言いたい放題!気まぐれ日記 その2(平成17年10月22日〜平成18年9月12日) 
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61.2006年9月12日(火)
 最高でした!今年のご来光は。
9、10日の1泊2日で七面山団参を行いました。今年で第29回目となりましたが、これは法筵寺となってからの開催回数です。毎年、大勢の方が参加されますが、特に今年は募集を開始した当日に定員となり、その後も多数の方にお断りを致しました。本当に申し訳なく思います。次回は、30回記念として2泊3日、さらに募集人数も今回の倍近くを予定しています。

今年は、お天気にも恵まれ、なんといってもこの時期では、なかなか拝する事ができないご来光が拝めました。この七面山山頂からのご来光は、年に2回(春分の日と秋分の日)だけ、富士山の頂上から太陽が昇ります。大自然のサイクルですが、人類が計算して、その場所を設けた訳ではないのでしょうから、まさしく大自然・すなわち神が成した事だと思います。又、その日には、プロのカメラマンや写真愛好家も、わざわざ登山してくるようです。しかし、確実に拝めるということは少ないようです。今は、まだ秋分の日より2週間程前ですので写真の位置から昇ります。しかし、その分、太陽はすでに昇っていますの一瞬の内に眩しく輝きますから、いつまでも拝んでいることが出来ません。

特に、暑い時期に登る時には汗が大量に出ます。同時に水分不足と、着替えをしないと急激に体温が下がり、足がつったり痙攣したりと大変なことになります。今回もご婦人が36丁目で、そのような状態になり、幸いお湯を頂けたので治療し、なんとか登ることが出来ました。体調は毎年同じではありません。くれぐれも準備と体調管理をしておく必要があると思いました。
私は、1ヶ月以上前に体調を崩したお陰で、近くのスポーツジムに通うことになり、今回は、周囲の人も驚く程、かなり楽に登ることが出来ました。
以前、適度な運動、栄養、睡眠が大切だと言ったことがありましたが、そのまま実行することになりました。しかし、実践することで、よく理解でます。
もちろん、足の筋肉痛は残りますので痛いです。
 ご来光の写真は行事報告でUPしてあります。

皆さん携帯電話のカメラで待ち受け用にと撮っていましたが、ご来光は被写体が良いのできれいに写ります。これは、一眼レフデジカメです。

ご来光の反対側には、やや欠け始めた月があり、日天(太陽神)と月天(月神)が同時に拝めました。
シルエットは、敬慎院本堂の屋根です。
60..2006年9月3日(日)
 
子供を叱る時。

志摩マリンランドのマンボウ。水槽には大小5〜6匹はいました。
8月30日やっと夏休みを取る事ができ1日半でしたが、伊勢方面へ家族と出かけました。と言っても、この時期、毎年、長男は合宿で北海道ですから、4人でというこです。二見浦と志摩マリンランド、大王崎と身近な所ばかりでしたが、それはそれで行けた事で満足しています。

本日は、月初めの行事(盛運祈願会)でした。お勤めの後、お話をするのですが、その中で、最近、多くの若者が関連した殺人事件に触れました。
何故、人を咎めるのに殺すという行為までいたってしまうのかということです。1つには単純に、小さい頃から「命の大切さ」について、一言も親が話もせず触れもしなかったのだと思います。ただひたすら勉強だけ出来ればいい。その他のことは後回し、人を蹴落としてまで上がることを要求され続けてきたのではないでしょうか。又、親がそう育ってきたなら、尚更仕方ありません。子供も「人を殺す」という感覚はゲームの中で、何度も繰り返し戦ってきました。ある部分、ゲームなのか現実なのか区別出来ないのかもしれません。リセットさえすれば戻るからです。
先輩僧侶の方の話で、あるお宅へお経に伺ったら、いきなり子供が迷彩色の戦闘服姿で、おもちゃの機関銃を向け、ダダダ・・と言いながら、早く死ね!なぜ死なないのか。と言い続けたそうです。その後、親が出てきたので、両親に向かって「こういう育て方は良くない云々」と諭されてたそうですが、実は、その戦闘服一式はおじいさんからのプレゼントだと聞かされたそうです。

皆さんに、子供と真剣に話をする時、又、叱る時、テレビやラジオ等をつけっ放しにしていませんかと問いかけました。私は、どんな時でも大切な内容、重要な内容だと感じたら、テレビや音の鳴るものは消します。子供もその瞬間、顔つきが変わります。大切な話、又、真剣な話であると分かります。皆さんはどうしているでしょうか?
もちろん育て方には、絶対これが正しいというものはないかもしれませんが、それでもどこかに真剣さが必要であると思います。まして子や孫にプレゼントするなら影響力の良き物をあげてはどうでしょうか。結局は、その報いは自分の元へ戻ってくるからです。

大王崎灯台を眺めて・・・。これは銅像です。
59.2006年8月26日(土)
 ど真中まつり。(どまつり)
今年で8回目を迎える「第8回にっぽんど真中まつり」という催しがあります。要するに、名古屋が日本の中心ということで、全国から踊りの好きな人たちが集まり、3日かけて盛り上がろうということのようです。今までも毎年この時期に行っていたようですが、今年から市内数十ヶ所の中の一つに、地元の道徳通りが会場となったということです。午前11時〜午後5時30分の間、道路が閉鎖され、50組近いチームが、時間差でどんどんと踊っていきます。午前中は法務でしたので、午後から見学に行きましたが、どのチームも衣装や、振り付けに凝っていて、飽きずにず〜最後まで見ていました。当然、家族からは途中で帰ってくるだろうと思われていましたがしかし、せっかくだからと最後までとなりました。
 全体的には130近い参加チームがあるようで、全部が見れる訳ではありませんが、それでも、それぞれ優秀なチームを投票して最終日には、コンテストが行われ優勝チームが決まるそうです。これはTVでも見れるので、そうします。
 始まりは、学生の間で始まったようですが、何故か、鳴子(鳴り物)を使用することが義務付けられているようで、そのルーツは、そのあたりのお祭りに影響されたのかもしれません。しかし、回を重ねるごとに盛大になっていくということは、踊りが好きということと、一つになって何かしようという表れかもしれません。実際踊っている人たちも、かなりの高齢者から幼い子供までいますので、それぞれのチームコンセプトによって違うので、それもいいと思います。
こういう時代ですでから、せめても、みんなで楽しく一つになるということも大切なことかもしれません。
久しぶりで立ったままの状態で、足が少々疲れました。

衣装や踊りも見ていて飽きません。

結構、年齢層が幅広く、老若男女が一つになって踊る。いい事かもしれません。
58.2006年8月15日(火)
 61回目の終戦記念日

最初、きれいに咲いたのですが、その後、茎は順調に伸びたのですが、花が・・・。
昨日(14日)は、当山の初代上人(父)のご命日で開山会(かいざんえ)の法要が営まれました。そして、7、8月と2ヶ月のお盆が一段落して、まずは今年も無事終わったというところです。私のところは絶対数、檀家さんの数が少ないので、それ程でもありませんが、多いお寺では、それこそ、檀家さんの棚経(お盆のお経)廻りは一大イベントになります。まずは、皆さんお疲れ様でした。

 さて、今日は61回目の終戦記念日でありますが、早朝から各TVでは、小泉首相の靖国神社参拝を生中継、そして終日、この問題を取り上げています。総理の公約として8月15日に参拝すると言っていましたので、ご本人は一応公約を守ったということになるのでしょう。
しかし、事あるごとに首相の靖国参拝は、いろいろと議論がなされてきました。特に近隣の国々からも、「参拝をやめろ」と言っています。国内でも、賛成反対と、最近では、昭和天皇が参拝をしなくなった理由として(真意は分かりません)一部のメモが報道されてから賛否が流動的になっています。

 この問題は簡単に取り上げて語れるもではありませんし、ここで結論が出るものでもありませんから、世の中の情勢や政治的な判断等を待つことにしますが、ただ宗教的な一面からすると、靖国神社は戦没者の英霊を祀るとあります。たしかにお国の為に犠牲になられた尊い命ですから、後世の人間が丁重にお祀りするのは当然のことです。ただ一つだけ思うのは、亡くなられたすべての人々が「靖国へ祀られる」ということを願っていたのか?ということです。中には仏教徒もいれば、キリスト教徒、他の信仰をしていた人もいたと思います。さらに、どのような死に方であっても、自らの死後行く世界がわかっていた人もいたはずです。ですから、大上段から、戦死した人は、すべてが神となり靖国に・・・という発想はどうなのでしょうか?慰霊する心は理解できますし、感謝することも大切です。しかし、生きている人間の都合ばかりが優先し、やはり説明が不十分であり、これだという決め手が欠けています。

 私たちはいずれは死を迎えます。その時、どこへいくのかさえも分からない。分かろうとさえしません。しかし、死んだらすべてが終わりではないことも事実です。形を変えて続いていきます。今後、一層、亡き方々を問う時、又、慰霊、供養、菩提を弔うなどの行為、すべて目に見えない世界を扱い問う時には、この世とあの世に通じた人生観、運命観、生死観、宇宙観が要求されるのです。又、そのような世界観(真理)を多くの人が得たならば、靖国の問題をはじめ、世界中で起きている宗教戦争(政治の問題かもしれません)さらに世の中に起きている多くの問題が解決されるのではないでしょうか。
 でも、これらのこと、お坊さんなら当然でしょうと言われそうです。お盆という行事も、そのためにあるのではないの?と・・・その通りです。
57.2006年8月7日(月)
 今年も盛大に!親子の集い
6日、盛運祈願会終了後、今年も”夏休み「親子の集い」”が開催されました。昨年から今回のような形式で始まった行事ですが、子どもを対象にした集いは、以前からも、さまざまな形態で行ってきました。お寺で1泊するという方法も何年か続きました。いづれも途中で途絶えてしまい、数年後に形式を変えて再開するという繰り返しでした。原因は、参加する子どもが途絶えたということです。あくまで檀信徒の子どもを対象にしていましたので、絶対数、檀信徒の数が少なかった訳ですから、いつも平均して子どもがいるとは限りませんでした。ここ数年、10〜20年前に、子どもとして参加していた子が両親となって、その子どもたちが参加するようになってきました。さらに檀信徒の数も増えてきましたので、これからが楽しみであると思います。

さて、今年も猛暑に恵まれ、子どもたちは水遊びに、大人は生ビールに大喜びでしたが、もちろん、信仰に関する時間もあります。昨年に引き続き、日蓮宗名古屋青年会から青年僧侶の方々8名がお手伝いに来寺され、それぞれの持ち味を生かしたお話や、唱題行(お題目を唱えること)の実践、大人も子どもにも分かり易いようにとパネルシアターにしたお釈迦様の伝記など、短時間ではありながら中味の充実した内容であったと参加者の感想がありました。
特に、唱題行では、皆にうちわ太鼓が渡され、叩き方やお題目の唱え方など、初めて挑戦する大人も子どもも真剣そのものでした。大太鼓も4歳の子が挑戦するなど、普段は見ているだけだったのが、自分も出来るという緊張感と満足感があったようです。
その後、1階に会場を移し、ここぞとばかりに、お父さんたちが汗まみれになって網焼き、鉄板焼き、流しそうめんなど、皆さんにサービスしていました。皆さんで楽しく集うことによって、平素は、お寺と自分という関係しかありませんが、同じ檀信徒としての繋がりができることで、さらに大きな力となり、お寺の発展にもつながっていきます。今回、お寺へ来るのも初めてという親子も多数いましたので、こうしてご縁が結ばれていけばと思います。

ともあれ、青年会の皆さん、お手伝い頂いた皆さん、そして参加された皆さん暑い中お疲れ様でした。成功を心より感謝申し上げます。
尚、行事報告でスナップがUPしてあります。

団扇太鼓を叩きながらお題目をお唱えするのは、ほとんどの人が初体験でした。

今年はプールが2つになりました。よちよち歩きの子から、子どもは水遊びは最高のようです。
56.2006年7月19日(水)
 雨降って地固まる。

「棟札・むなふだ」を家の大黒柱、屋根裏になりますが、そこに納め永く家屋の安泰を守護します。すべて手書きです。
ここ数日、各地から大雨の被害状況が報告されています。近年は、この時期になると、一気にメチャメチャ降るので被害が出ています。梅雨といっても名ばかりで、以前のように、毎日じめじめと続くことがありません。やはり、地球上の様々な影響があるのでしょう。またもや、インドネシアでは地震と津波があり、多くの方が犠牲になったようですが、この津波は地震が起きてから40分後のことで、数年目の教訓は生かされていなかったのでしょうか。TVの現地人のインタビューでは、「もっと大きな地震でも津波はなかったから、今回も大丈夫だと思った」というのを聞いて、ならば、地震が起きた時、誰が責任を持って避難警告を発するのかということになります。実際には避難警告は出されていなかったようで、もう少し何かが改善されていたら・・・と思います。

「雨降って地固まる」との諺通り、今日は、大雨の中、地鎮祭(じちんさい)を営みました。地鎮祭は字の通り、建物を建てる前に行う儀式です。土地を借り、その上に家を建て生活をさせて頂く訳ですから、当然、その土地を司る神々様に、その旨をお願いをします。さらに、その土地に纏わる因縁や住まいとしていた昆虫たちにも、その旨を伝え、無事、工事が進み完成することを祈ります。
 通常は、神社の神主さんの役目というイメージですが、日蓮宗では、特にご祈祷を行う寺院では、こうして行うこともしばしばあります。
以前、鈴鹿市にある椿大社の宮司さんと、ある大きなお屋敷での地鎮祭を共に行ったことがあります。お互いに、それぞれの立場、儀式に従っての方法で営みましたが、宮司さんによれば、日蓮宗の行う地鎮祭には、それなりに深い意味がある(ここでは触れませんが)とのことで認めておられました。最近になって宮司さんの本を読む機会に恵まれ、そのことを改めて納得することができました。
 又、椿大社といえば「猿田彦天神」をお祀りされているところですが、私のお寺にも「猿田彦天神」がお祀りされています。この神様は土公神(どこうじん)とも言われ、土地に関する神様でもあります。この地域では、家を建てる時などは、椿大社まで行き、「お砂」を頂いてくるという習慣もあると聞きます。いづれにしても、そのような意味をふまえて、ご挨拶もせず勝手に土地を荒らしたり、土足で踏む込んだり、好き放題していては良い事は起こりません。もちろん、大きな意味で言えば、この地球上に住んでいることも同じで、大地を汚染したり、ごみを適当に捨てたり不浄にしておいて、それで地球を大切にと言っても矛盾ばかりです。
せめて自分が住んでいるところ位は、清浄であるように心掛けましょう。

大雨の為、テント内での儀式となりましたが、施主の方、工事関係者の方と共に、無事完成することを祈りました。
55.2006年7月10日(月)
 
FIFAサッカーも終了。
今朝、起きてTVを見たら、FIFAサッカーの優勝がイタリアであると報道されていました。日本が予選敗退した時点で関心は全く薄れ、あと知っていると言えばせいぜい準決勝戦で日本人が主審と副審を勤めたと言う程度です。写真は、先日の盛運祈願会の折に、七夕飾りの短冊に願い事や、希望、夢など、子どもを中心とした参詣者の皆さんに書いてもらうのですが、男子でも、「野球選手になりたい」は数名いるのですが、「サッカー選手になりたい」という短冊は見つかりませんでした。やはり、まだまだサッカーよりも野球なのででしょうか。国内のスポーツ人口でも、野球が圧倒的に多いとありましたから、現実そうなのかもしれません。まだまだ若い?中田英寿選手も、はやばやと引退宣言をし、次の監督も決まりかけているようです。”気まぐれファン”としては、4年後に再び、サッカーの事を書けることを短冊に託しました。

 去る8日は、法筵寺墓苑(お墓)でお盆のご回向(お経)を営みました。当初は、雨天を覚悟していたのですが、それどころか晴天で、しかも暑くなり、午前中で、しっかりと日焼けしてしまいました。夜、学習会が開かれたのですが、数名の方はお墓にもお参りに来られていたので、日焼けの原因はわかっていますが、その他の人たちには、怪訝そうな目つきでした。中には「コレ」ですか?とゴルフのスイングの格好をされてしまう始末です。たしかに、へたながら嗜しなんでいましたが、ここ2年以上、クラブさえ握ったこともなく、ほとんど忘れかけています。そんな訳で、「日焼けは、お盆のお墓参りです」と言いながらも、こういう時しか、日に当たらない、なんと不健康な生活かと思う次第です。
やはり、肉体には適度な運動と、栄養と、睡眠これが大切です。

7月中に書いてもらい、8月の「夏休み親子の集い」にてお祭りします。
54.2006年7月3日(月)
 
お盆の季節です。

お盆の時は、施餓鬼(せがき)法要といって、特別な準備をします。多少、宗派や地域によって方法や飾りは異なりますが、ご供養は効果的であります。
このお施餓鬼法要は、個人的にも営むことができます。目には見えない霊の世界ですが、それゆえに真心が大切な事です。
7月に入ると、もうお盆の季節となります。お盆は8月だ!と思っている人も大勢いると思います。旧盆で行うと8月ですが、本来は7月ということであります。全国的にも、まだまだ8月の方が多いでしょうし、一般的にな夏期休暇もその時期に合わせて取られていますので、いくらここで騒いでも仕方ありません。
しかし、昨日(2日)には、そうそうに本年度の盂蘭盆会(うらぼんえ)、お盆の法要が本堂で営まれました。昨年の7月から本年6月までの間に亡くなられた方を、初盆(はつぼん)・初めてのお盆を迎えるということで、特にご供養を申し上げます。ご親族や親戚の方、友人等も、塔婆供養(とうばくよう)をされ、亡き方への感謝を込めご供養を致します。又、檀信徒の方々も、ご先祖様や亡き方へのご供養を致します。
こうして、生かされているということに対し、1年に一度位はご先祖様や亡き方への感謝や意識を向けて頂いてもいいのではないでしょうか?いや、すべきであります。そのことで、家族や自分自身の意識も変わり、レベルアップにも繋がります。
これからがお盆です。是非、意識してください。

ところで、昨日の法要が終わった後、ある檀徒の方が「お上人さん体調悪いんですね。大丈夫ですか?」と家族の者に話されたそうです。廻りの人も、「声が少し嗄(か)れているようだし・・・」と。一体どうなったのかと、私自身が心配になりました。
たしかに、昨日の法要は、両脇に若手のばりばりのお坊さんでしたし、身長も体格もいいので、大した段差がない高さでのお経机では、真ん中で座る私が小さく見えます。しかも檀信徒の皆さんは椅子です。見た目からハンディがあります。
そして、決定的なことは、私が礼盤(らいはん・導師が座るところ)に座る時、若いお坊さんが衣を調えるために後方に来ます。これは、通常の時はありませんが、暗黙の中で、そのように気遣って頂いているのですが、実は、そのしぐさが、初めて見る人にとっては、座る事に介添えが必要と思われたのです。さらに、私自身、お経などは声を大きく出しますので、午前中の盛運祈願会・法話と引き続き、お盆法要で回向の読み上げが続きましたので、多少、声が嗄れ気味となりました。それらが合わさり、先の会話になったのだと思います。

何事もそうでしょうが、それぞれの世界にはルールがあり、面倒そうに見えたり、無駄なよう見えたりしていても実は、それが次へ移るための大切な所作(しょさ・動作のこと)であったりします。特に法要では、そういうことが多いと思いますので、そんなものかな〜とご覧になって頂ければと思います。難しい事は皆さんには要求致しませんから。
53.2006年6月22日(木)
 ショッピングセンターにて
昨日は、太陽が一番長く照ってる日、夏至でした。そう意識したのかもしれませんが、たしかに、車を運転していて冬だと真正面に夕日がまぶしかったのに、随分、北よりに太陽が沈むんだと改めて認識しました。いかに平素は意識していないかということです。

久しぶりに仕事のない日だったので、妻と長女3人で、岐阜県の本巣市に出来たという、日本最大級のショッピングモールへ出掛けました。高速を使わないと2時間はたっぷりかかる遠方ですが、高速道路だと、それでも1時間位かかります。何事も1度位はお話のネタにということ行くことにしています。たしかに、広大な土地に240店舗あるといいますから、一つの町があるようなもので、一通り歩いてきました。運動不足の私には、丁度よい運動になったのかもしれません。たしかオープン当時(今年の4月)は、あまりにも来場者が多すぎて、下水処理能力がオーバーして、閉館時間を早めたという記事を読みました。

別に、そこだけの問題ではなく、どこでも見かけることの一つに、子どもが何か買って欲しいとねだる風景です。昨日も、泣き叫ぶ子どもがいたので目に止まりました。周囲の人も何事かと見ましたが、そのことでした。
しかし、なかなか泣き止まず収まらないので、ついつい成り行きを見ることになりました。子どもは4歳くらいの男児、若いお母さんですが、全く、言う事を聞かないようです。出口の方へずるずると引っ張っていくだけです。そこへお祖母さんが登場し、今度は、そのお祖母さんが無理やりおんぶをして出て行こうとするのですが、そんなことにひるまず、さらに泣き喚くので、降ろさざるを得ません。必死で、お祖母さんがなだめるのですが、実のお母さんは遠巻きに他人の如く見ているだけです。私は、この子の勝ちだと思いましたが、反面、こんな育て方をされたら可愛そうにとも思いました。

その時、ちゃんと説明をし、何故、ダメなのかを言わなければ、次からも泣き騒げば要求が通るということになります。体罰はいけないといいますが、10歳までは構わないのです。(但しそれ以上になってから手を上げるから仕返しされます。)子どもだって一旦、泣き騒いだという状況になれば、叩かれて、その場を納めるしか方法がないのです。一旦振るかざした手をどこへ納めていいか分かりません。叩かれる事で納得することもあるのです。1回そういう経験をすれば、あとは、言葉だけで納得していくものです。
そうやって私は育ってきたと思います。要求が通らないことは百も承知で泣き騒ぐこともあるかもしれませんが、そんなことをしてもダメだと分かれば、次からは無駄だと思いしません。何時までも泣き騒がせておく、今の若いお父さんお母さん。如何でしょうか。

モレラといいます。店内は撮影禁止だそうで、昔からそうなのかもしれませんが、最近は、そういうところ多いです。
52.2006年6月14日(水)
 安産祈願

「腹帯・はらおび」として経文をお書きし、ご祈祷します。
お腹に巻いて頂くのですが、初めの頃は一反が長いように感じられますが、臨月間近になると、しっかりと安定するので丁度、良い長さになります。でも、今の若い人は、ほとんど市販のマタニィー○○のようですが、でも、母子共に健康で安産を祈りる心は大切にしたいです
今日は「戌の日」でもあり、若い夫婦が来寺され、無事出産できるようにと安産祈願を行いました。写真は、一反のさらしに、日蓮宗のご祈祷相伝に基づいて、経文等を書き、いわゆる腹帯ですが、さらに本堂の子安鬼子母神(こやすきしぼじん)様の前で、ご祈祷を受けて頂きました。
 
この世に、親子として縁を結び誕生してくる訳ですから、母胎としても十月十日(とつきとうか)の間、責任をもって胎児を育てる使命・役目があります。もちろん、あらかじめ親を選び、そして、親も子を選び、両者了解の上、すべてを承知の上で誕生してきます。決して、「子どもは親を選べない。だから罪のない子たちは・・・・」というコメントをたまに聞きますが、そういう人生観や運命観でいくと、第三者や誰かを犠牲者、すなわち悪者に仕立てなければ収まらないことになります。他人のせいではなく、自ら、いかなる環境であっても、そこへ飛び込んでいくことで、今生の使命や役目、成すべき事をするために、あえて生まれてきたのだと認識することも大切です。やはり、親子というものは、それだけの意味があり、今生の大切な人間関係です。

又、妊娠中の胎児に与える影響は計り知れないものがあります。その時々の出来事に対し、母胎としての母親がさまざまに反応しますが、その反応をまともに受けて育つそうです。ましてや薬物、喫煙、アルコール、食べ物などは、直接、影響します。又、精神状態も自律神経に影響し胎児にも及ぼします。妊娠を4期に分け受け、各時期に於ける影響は、その子の性格や、物事に対する判断、思考にもかなりの影響してきます。

いづれにしても、経文や多くの教えの中には、子どもを授かるため、無事出産するには、子どもを育てることの大切な教えが説かれています。さらに、すでに人生を歩んできた人でも、自らの胎児期、幼児期等のネガティブ(否定的)な感情を浄化していく方法もありますので、興味のある方は、このHPをじっくりとご覧頂き、又、ご連絡下さい。
「親子は、尊き、深き、最大の人間関係の学びであります。」
51.2006年6月4日(日)
 
守護神報恩祭
本日は、当山のご守護神様に日々の感謝を祈る「法筵寺守護神報恩大祭」が営まれました。当山のご守護神様に関しては、HPをご覧頂くとして、私たちとご守護神様との関わりについて考えてみたいと思います。
 お経の中には、多くの守護神様が登場されます。すべては、お釈迦様(仏陀)との約束で、仏道修行を志す人々(実践している人)を、より効果的に仏道修行(仏、神への道)をサポートするという役目、使命を持っておられます。
ゆえに、誰でも、志を持てば自動的に、その人を守るということになります。又、守護神さまも、「神」とお呼びしていますが、実際は仏教的に言えば菩薩であり、他の宗教で言えば天使、サポーターということになります。自らも向上し、他の人をも救うという使命です。そういうことであれば、実は、皆さんも、ある意味では菩薩です。一生懸命努力され、向上心をお持ちです。しかも自分以外の人の幸せを喜び、又、困った人を救っていこうとする心や実践は、まさしく菩薩そのものである。と経典に説かれています。もし、全世界の人々が、そのような心になったら、もう戦争も飢餓も略奪や殺人だって起こりません。本来、宗教の教えの原点は、そのような世界作りを目指そうというはずだったのです。原点に戻れば、ご守護神様も大いに協力、守護して頂けるのではないでしょうか。
そのようなことを再認識しながらの報恩大祭でした。
ご守護頂けるとは、すべてこちら側の問題であります。またまだ、私自身も未熟であると否めませんが、少しでもお役に立てればという誓いの日でもありました。

皆さんにも、ご守護神様のエネルギーを移していく。そのようなご祈祷です。
50.2006年6月1日(木)
 九州へ行ってきました。

平和祈念像 長崎市 下記の隣にあります

「長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂」にて法要。手前が折鶴
5月29日〜31日の2泊3日で、九州の福岡・長崎へ行ってきました。今回は、日蓮宗名古屋宗務所(市内のお寺の組織)主催の団参(団体参拝・だんさん)に参加したということです。この団参は毎年行われ、全国の関連寺院のお参りをするというものです。
今年は、福岡と長崎を巡る旅で、3ヶ寺を参拝し、特に、長崎では原爆の慰霊碑を祀る平和公園にて慰霊法要を営みました。この日記の平成17年9月13日付をご覧頂くと、折鶴の話題を取り上げていますが、この時の折鶴と今回参加された方々の折鶴を平和の願いを込めて奉納しました。
私たちは、日蓮宗という宗教儀式に則り法要を営む訳ですが、原爆で亡くなられた多くの人々は、宗教も国も違います。しかし、鎮魂する心は変わりありません。ましてや平和を願う心も変わりません。祈りを通じて、安らかならんことを祈るばかりです。丁度、平和祈念像の前では、修学旅行の小学生が来ていました。代表の4〜5名の生徒が、その前で、多分、慰霊の言葉のような文章だと思いますが読み上げていました。(その後、全員で黙祷を捧げていましたので)そのような姿を見た時、とても大切な事、重要な事をしていると思いました。

だんだんと宗教心や、信仰ということが生活から離れて無くなりつつあります。靖国神社の問題もあり、純粋な慰霊や鎮魂という事も政治的に利用され、ますます、信仰そのものが偏見視されています。明らかに、そのような体制に誘導されつつあるということを再度、認識すべき時でもあります。

ただ、いつも言う事ですが、自分の宗教が一番であると思うと、絶対に他と交わる事や相手を認めることが出来ません。何故なら、常に相手を見下すからです。そうではなく、自分の宗教も一つの道である。と考えなければ、いつまでたっても平和どころか、自分自身の平安さえも来ません。相手を認めるとは、自分自身も認めることです。
49.2006年5月10日(水)
 お祝いが続きました。
今年のゴールデンウィークは、連日、仕事(ご法事)をしており、最終日は第一日曜日でしたから盛運祈願会を営み、結果的には、何処へも出掛ける事もなく、無事?終わりました。お寺は、皆さんがお休みの日は、ご法事を営まれる事が多いので忙しい・・・ということです。もちろん、大切な事ですから当然です。大抵、お寺の子は暗黙の内に了解している思いますが、さらに、大きくなると、それぞれの世界があるので、休みだから、みんなで何処かへということもありません。

連休が終わった後は、お祝いの会が2日続きました。
8日は、学生時代にお世話になった身延山の武井坊ご住職、小松浄慎僧正が、昨年暮れに、日蓮宗の宗務総長に就任され、当時、お世話になっていた学生や有縁の方々が東京に集まり、お祝いの会となりました。
私が、昭和45年15歳で、武井坊さんにお世話になったのですが、その時、ご住職は立正大学を卒業された年でありもました。
今回就任されたご住職の師匠も、以前、宗務総長をされましたので(私の師父は、この方の弟子となります)親子二代で総長となられた訳です。
日蓮宗の運営及び未来を託していく大切な任務であり、私にはとても想像出来ませんが、宗門の発展の為にご活躍をお祈りするしかありません。

翌9日は、当山の正干与(お寺の責任者のお一人)をされておられます、栄立寺ご住職、光岡潮遠僧正の、住職歴50年、日蓮宗一級法功章受章、法務大臣賞のお祝いの会が開催されました。
住職を50年勤めるということは、かなり若い年代で就任しませんと、なかなか50年は勤めることができません。光岡上人も師父上人が高校生の時に遷化(亡くなること)されたとのことで、大学卒業と同時に就任されたそうです。私事になりますが、同じように25歳で師父が遷化し、住職になりましたから、そういう意味では、もう私も25年以上になります。
さらに、宗門内の業績や保護司等のご活躍を讃えられ、日蓮宗一級法功章を受章されました。会場には、檀信徒や有縁の寺院の方々、小松浄慎宗務総長も前日のお祝いの会に引き続きお祝いに来られていました。

今回は、続けてのお祝いの会でしたが、やはり、なんと言っても健康でなければと思います。後は、ご本人のヤル気と家族の協力でしょうね。今生の使命もあるかと思いますが、トップに立つ事は大変だなと、他人事ながら正直思いました。
あらためて、お世話になった両師にお祝いと感謝を申し上げ、今後のご活躍をお祈り申し上げます。

小松浄慎宗務総長(左)とお祝い会にて

光岡潮遠僧正お祝いの会、壇上にて一級法功章を受章される。
48.2006年5月2日(火)
 
学校が変わる。

今年からルールが変わり、激しい激突はあまり見られなくなるかもしれません。練習試合の時は何度もペナルティで退場させられてとぼやいていました。でも怪我は多少減るのではないかと思います。
昨晩、アイスホッケーの試合を観戦してきまいた。もちろん息子の大学リーグの試合です。今年は、新入生が6名ほど入部してくれたそうで、昨年は1名のみだったので、先々どうなってしまうのかと、他人事ながら心配していたのですが、ひとまず安心です。試合の方も9-0で勝ち、新入生も活躍していたようで、これから益々練習して技を磨いてくれればと思います。(なにしろ、リングまで車で10分ですから、暇な時は行きます)
長女も一緒に応援に行ったのですが、結構ハマルようです。

今、学校の教育環境が変わろうとしているようです(今更・・・と思われるかもしれませんが、知らなかったので)来年度からは、全国で小・中学校進学の時は、学区外への入学も可能とか。この地域でもそうなのでしょうか。さらに東京都品川区では、今年から、すでに小学校6年・中学校3年制から、「4・3・2」制と変わったとあります。この方が子供の成長に合っているとかで、小中一貫校に進む希望者も多いそうです。
蒲郡に今年から開設された全寮制の中高一貫の海陽学園も注目を集めています。今までは、学区内にある、小学校、中学校とごく当たり前に進学し、高校でどこへ進学するかというスタイルでしたが、社会はどんどんと変わり、「学校選択の時代」が本格的に始まったようです。
 こうなると一番悩むのは、親と言う事でしょう。いかに情報を集めるかです。そして学校側も選択されます。勿論、教師もです。しかし、優秀な先生は給与も上がると新聞に書いてありました。義務教育ですから、平等に教育を受ける権利もあるのですが、反面、合わないからという理由で登校拒否する子も多くなっています。そういう意味では、自分に合った学校へ通えるというチャンスも増えてくるでしょう。
でも、最終的には、親と本人で決めることですから、それだけ個々の責任も増す訳です。やはり最終的には「他人のせいではない。」ということです。
47..2006年4月11日(火)
 
オーラについて
最近、話題になっている番組に「オーラの泉」があります。美輪明宏さんと江原啓之さんが、毎回、ゲストを迎え、その人の守護霊とか、オーラの分析をするという内容です。根本的に目に見えない世界のことですから、そのような世界を初めから信じない人や、信じられない人にとっては、どうでもいい、怪しい番組と見られているかもしれません。
もちろん私にとっては、やっとここまで放送されるようになったと喜んでいる一人で、当然のこととして毎回、楽しく見ています。少し前までは、霊魂とかあの世という世界が取り上げられ徐々に認知されてきたのですが、次は、生きている人間の霊性に関心が高まってきています。前にもお話しましたが、「気」の世界も同様です。

オーラについては、肉体から発せられているエネルギーが、その時の健康状態や心の状態を色によって見ることができるというものです。それが簡単に見れてしまうのが江原さんの能力です。だれでも見れるかということですが、その気になれば見れると思います。機械を使って計れるということも聞いています。
そして、様々な心の深さや能力が色で分かる反面、不足している面も分かるということです。ですから、不足している面を補うこともできる訳です。
では、最終的にはどうなるのかというと、「後光が射す」といいますが、仏像の後ろに光が四方八方に広がっているように表現されているように、金色に輝いていくのでしょうね。

私たちの人生においても、さまざまな経験をすることによって、良い事でもそうでない事でも、すべて光として、その人の肉体にオーバーラップしていくのだと思います。光の三原則というのがあります。光が重なった部分は白になります。単色であれば、青とか黄色ですが、重なると白になる。人生も多くのことを経験することで、実は輝いていくのだと思います。ですから、過去が悪かったと後悔するのではなく、むしろ白に近づいていると思うべきです。

今日は、かなりの雨がふっています。又、しばらく続くようです。境内のしだれ桜も、数日前に、いくつかの花を咲かせました。
今回の雨と風で桜も散ってしまうのでしょうね。
46.2006年4月3日(月)
 花まつり

花見堂の誕生仏(誕生された時のお姿)に甘茶(甜茶)をおかけします。

やっと咲いた一輪の桜です。残りも楽しみにしています。
昨日は、毎月の行事にあわせて、お釈迦さまのご誕生をお祝いする「花まつり」を行いました。お釈迦さまは、今から約2600年以上前に、現在のネパールで誕生されました。ほとんどはインド北部が中心のご生涯でしたので、今でも仏蹟地として残っていますが、インドでは、もともとヒンズー教が主であったため(今でも、90パーセント以上で、仏教徒は数パーセントしかいません)そのような意味では、あまり意識されていないのが現状です。しかし、仏教の教えはインド、中国、日本へと渡る間に、人類を救う教えと伝播され、今日の仏教になったのですが、現実には「葬式仏教」となっています。決して、葬儀や死後の為だけにあるのが仏教ではありません。
 常に生きているひとこそ救われなければならないし、そのために生まれてきたのです。ゆえに、様々な出来事は、そのために起きています。有効に生きるための指針として仏の教えはあるのですから、仏教徒というユーザーは大いに、その指針を活用して頂きたく思います。

今年は、東京の方が早く桜が満開のようです。このあたりでは、まだまだこれからですが、連日、激しい雨や強風が吹き荒れています。気温も低く、すべて自然のことですから、お任せするしかありませんが、満開になれば人の心も多少は豊かになることでしょうね。しかし、いつもの如く花見客のモラルが問われています。飲み食いをさんざした挙句そのまま、後始末もせず帰っていくというニュースが流れていました。とても考えられない映像でしたが、怒りより情けないという悲しみの感情でした。

お寺の境内にも、まだ3年目の「しだれ桜」があります。やっと、いくつかの蕾ができ、本日、一輪の桜が開花しましたので、記念にデジカメに納めておきました。
45.2006年3月17日(金)
 お墓参り
今日は、12日に引き続いてお彼岸の行事として「法筵寺墓苑」のお墓参りが営まれました。先回の日記にも触れましたが、18日からお彼岸ですが、早めに先行して行事を行っていますので今日が、その日でした。
昨日の大雨がカラリと晴れ、晴天でしたが、その分、強風でした。庄内川に面して墓苑がありますので、北風をまともに受けます。しかし、見晴らしはいいので我慢しなくてはと思います。もちろんお天気さえよければ申し分ない所です。
本日も、墓苑にてご先祖さまや亡き方々へ感謝とご回向を申し上げさせて頂きました。

又、今日は名古屋市内の小学校の卒業式だったようで、道中、あちこちの小学校では校門で、それこそ門出の行事が行われていました。子供が関わっていないと、あまりピンときませんが、それでも見ると懐かしいさと同時に、これから中学校に行って、また様々な経験をするんだろうなと思います。まずは、お天気でなりよりだったとお祝い申し上げます。

一つ、うれしいメールがありました。それは、今日、娘さんが卒業式を迎えた、あるお母さんからですが、以前より体調が良くなく、卒業式に出席できるかどうかでしたが、遠隔療法(エネルギーを送る)によって無事、出席出来たことのことでした。お母さんも良かったでしょうが、娘さんにとっても大切な思い出となると、役に立て良かったです。

墓前でのご回向。今日は強風でテントは止めました。湯のみさえも飛んでいきましたから。顔も少々日焼けしましたので、紫外線にはご注意を
44.2006年3月13日(月)
 
お彼岸法要

宗派によって、ご供養の仕方は異なります。どの方法がいいとかではなく、亡き方々に伝わるのは真心がこもっているかどうかです。
春のお彼岸は18日から24日までの1週間ですが、昨日、一足先に「春季彼岸永代供養法要・しゅんきひがんえいだいくようほうよう」が営まれました。一言で言えば、ご先祖さまから頂いた命に感謝し、共に魂向上のために励みましょうと誓う日です。
 お彼岸の行事は、日本で生まれた仏教行事の一つですが、季節感のある日本の風土に合っているというか合わせたのでしょうが、この1週間の間に、いくつかの仏道修行を行えば、いつもよりは得点が高い!というような発想かもしれませんが、せめて、年に数回位は、ご先祖さまや亡き方々に対し感謝しましょうとなったものです。いまでも「お彼岸はお墓参り」と定着しているのはそんなことからかもしれませんね。

 ご先祖さまや亡き方々に対するご供養や感謝の心は、特に、お彼岸だから行うというものではありませんし、こうして命を頂いていることに対しての感謝は、ご先祖さまのみならず万物に対して心がけることは申すまでもありません。しかし、こういう行事があることで意識できるのも事実ですので、やはり、古来から人間の智慧でしょう、さまざまなイベントを計画して、その気にさせてきたと同時に、文化や歴史を作ってきたのでしょう。もちろん、続けていいものもありますが、それは、もう止めてもいいのではという内容のものもあります。その時代や、時には権力に任せて都合で作ったものもあるでしょうから、その必要性を感じなくなったら止める勇気も必要です。

お彼岸には、仏道修行をする期間だと言いました。良い事(善行)をすることは当然の事かもしれませんが、その以前に、自分自身がマイナス的な考えを持っていては意味がありませんので、なによりも前向きな思い、考えをまず持つことでしょうね。いくら善行を行っても心は晴れませんから・・・・。
43.2006年3月3日(金)
 桃の節句
今日は、桃の節句、ひな祭りです。古来から続く行事の一つですが、その起こりは様々です。時代によっても地域によってもお祭りの仕方があるようですが、要するに女の子を中心に「無病厄災・発育成就」いつまでも健康で、悪い虫?が付かないよう、健やかに育って欲しいと願う思いが込められているのではないでしょうか。雛人形を檀飾りにするのも場所によって違いますし、これも人形屋さんに聞かないとよく分かりません。
ともあれ、幸せになって頂くことを節に祈り、無事に育っていくことに感謝です。

最近、TVで「氣功」が特集されていました。番組の中では、氣功についての科学的分析など、いろんな側面から実験して検証していく構成でしたが、全体的には病気が癒される(治るという表現は薬事法に反しますので使いませんが)内容が多かったので反響も結構ありました。
氣功と言っても、その種類は様々あり、ほとんどは自分自身の健康やバランスを整えたりするのに用いることが多いです。他人の病気を治したりするのは主に「外氣功」と呼ばれる、私が行っている療法となります。ですから、ご覧になった氣功家の方々には賛否両論があったかもしれません。反面、私たちには、ある程度納得して頂けた面もあります。ただ、TVの氣功家の方と違うのは、一切、自分の力・自分の気を使っていないということです。
ともあれ、その後、予約や問い合わせの電話やメールが増えたことは事実です。しかし、すべての方を受け入れるのではなく、丁重にお話をしてから、お越し頂いています。
今までは、目に見えない世界、例えば霊魂の世界、あの世のことなど、この気の世界も同じように目には見えませんが、誰でも持っている不思議な力です。やっと気付いて頂けたのかもしれません。まだまだこれからですが、しかし、これだけは言えます。実は魂が存在するが同様に、「あなたにも、気のエネルギーがあるから生きているのです!」

お内裏様とお姫様の位置が、左右反対の所もあります。それぞれに意味もあるようですが、最初に飾った通りで行っています。
42.2006年2月14日(火)
 思うまま・・・

2月13日満月(中央)でした。土岐市のショッピングモールにて。

今日は昼間、車で走っていると窓を開けている車が10台に1台の割合でいました。トラックになると8割は開けています。日差しも段々と春が近づいているようです。
最近、日記も書いていませんでしたので、少し最近の出来事を書いてみます。

 毎月、開催している行事にディクシャセッションというのがあります。詳しい事はHPをご覧頂くとして、この行事は、誰でも参加できるのでHPをご覧になった方や、檀信徒の方が参加されます。もちろん、その日初めてお会いする方も多くいます。今回は特に初めてこのセッションを受ける方用のコースでしたので、さまざまな方が参加されました。詳しい内容は、個々のプライベートに関わることもありますので書けませんが、こうしたご縁で皆さんが参加されることにより、私自身も多くのことを学ぶことができます。
なんと言っても、宗教や信仰の枠を超えて神仏の世界や目に見えない世界のことが、当然のこととして語ることが出来る、とても貴重な、しかも意義あるセッション(集い)と思っています。もちろん目的は、すべての人々が幸せになることです。

 翌日は、小中学校の同窓会が開催されたので、久々に参加しました。
中学校を卒業して35年たちます。当時40名クラスで10組ありましたので、400名前後の同窓生がいることになりますが、当日は90名位の出席者があったようです。この出席率がいいのか悪いのか全く分かりません。
さて、同級会とかクラス会というと、みんなわきアイアイで、さぞかし懐かしい再会というイメージですが、実は、多すぎて一度も同じクラスになったことがないとか、お互い印象が薄いとかとなると、それは全く初対面ということになってしまうのです。ですから「アンタ誰?」となります。何とかお互い理解しあうまでは話がチンプンカンプン。特に、初めの内は立食ですから、孤立状態になってしまいます。とにかく、隣になった人と話題は何でもいいから話すしかないという、不思議でおかしな状態です。かろうじて共通しているのは同級生というキーワードだけですから。
それでもかすかに記憶にある人とは話すことは出来ましたが、40年前の記憶はいい加減なものです。最後まで、誰だっけ?でほとんど終わりました。無論、相手もそう思っているに違いありませんが・・・。
懐かしいはずの同窓会ですが、正直、次はもういいかな・・・。と思いました。しかし、これだけの調整をした幹事さんには感謝とお疲れ様でした。

41.2006年1月30日(月)
 
節分会、お疲れ様
昨日は、恒例となった「平成18年開運節分会」が開催されました。
通常、お寺は檀信徒向けの行事がほとんどですが、法筵寺では、できるだけ宗派や宗教に拘らずに、お寺へ足を運んで頂けるよう考えていますが、その中でも、節分会は大きな行事の一つです。特に、子どもたちが喜んで楽しめる事が、将来に繋がっていくのではないかと思います。もちろん、大人も楽しめるよう計画もされていますが。
今年の参詣者数は、家族で代表してという方が多くあり、総体的には昨年よりはやや少なめでしたが、ご祈祷の申し込みは増加しているようです。徐々に知って頂くことで輪が広がっていきます。

個別祈祷(12〜3名にて、ご祈祷受けて頂きます)が終わると、豆を撒いて頂くのですが、これは撒く方も拾う方も楽しめます。常連になってくると、大きな口が開くカバンで受け取る子もいて、それはそれでアイデア次第です。その豆を、お友達に配れば、また、そこからご縁が結ばれていくのですから、これもOKです。
とにかく、お祭りですから楽しんで頂くことが一番と毎年計画しています。

今回、本厄祈願をされた男性からの志で参詣者全員に配られた品物がありました。それは「いのちの笛」というものです。この「いのちの笛」というのは、災害等で建物の下敷きになった時、自分の所在を知らせる為の笛で、明かりも点灯できるようになっています。キーホルダーになっていますので、いつも携帯していれば、日常の災害や危険を知らせることも出来ます。もちろん、そんなことが遭ってはいけないのですが、イザと言う時のために持っておくことも大切な事かと思います。
ちなみに、この「いのちの笛」は、男性から皆さん本厄ということで何かしたいという申し出がありました。何がいいのだろうかと模索している時、日蓮宗(企画 東京都東部社会教化事業協会)から届いた封筒の中に入っていました。すぐにこれよ!と家内に言われ手配ができ、なんとか間に合う事が出来ました。尚、他の寺院や団体でも使いたいそうですが、すでに在庫がないそうです。何でもタイミングでしょうね。お先に使わさせて頂きました。

豆まきは、撒く方も拾う方も楽しいです。

「いのちの笛」備えあれば憂いなし
40.2006年1月15日(日)
 生と死を考える。

今日、玄関に飾られていた生け花。
チューリップが春らしさを感じます。
今年に入り、70代の女性が2名続けて亡くなられました。お一人は檀家の方で、もうお一人は檀家の方ではありませんが、お世話になった方です。。
 お檀家の方は、長年病気を患っておられましたが、体調のよい時を見計らってお寺に御守りの交換に来られていました。又、昨年9月には、戒名(法号)がどうしても欲しいと言われいましたので、その方と2人で本堂にて儀式に則り授与式も行いました。そして、しばし入院後、亡くなられました。
 もうひと方は、こたつに入りながらご主人と共に夕食をという時、晩酌のビールを1杯、ご主人にお酌をした後、少し気分が悪かったのか横になると言われ、そのまま横になったそうですが、なかなか起きないので、そろそろ夕飯の支度でもしたらと声を掛けた時には、すでに亡くなっていたそうです。
 お二人の「死」ということを通じて、果たして自分たちだったら、どうなんだろうとと家内と話し合いました。そして、昨日の学習会の折にも、皆さんに問うてみました。
青年層と中年層以降の意見が分かれました。それは、突然亡くなるのは、嫌だという意見は若い人たちが多く、「ある程度、自分の身辺の後始末ができないので・・・」「病気だったら、ある程度覚悟が出来るから」と言うものでした。
「死」というものは、たしかに自分で決めることが出来ないしれませんが、しかし、これだけはどんな人も避けられない事実でもあります。
日蓮聖人は、「まず臨終のことを習うて、他事を習うべし」と言われています。避けられない死に対する心構えもさることながら、いかにこの世、特に、身内の人たちとの別れをどのように迎えるかということでもあります。
年配の方々は、後者の亡くなり方を望まれた方がほとんどでしたが、若い人たちは前者でした。人生経験の多い少ないということではなく、単純に、自分自身や残された人たちのことを考えると、やはり、突然と言うのは受け入れられないということでした。

どちらが良くて、どちらが悪いというものではありませんが、「死」を様々な角度から見つめることにより、今を生きることの大切さを知り、今日を精一杯、楽しく生きることの意味も、さまざまな死を通じ教えて頂けます。やはり、毎日をどのように生きているか、、どのような思いで生きているかが、その時を迎えた時、集大成として現実化するのでしょう。
39.2006年1月2日(月)
 平成18年新春

明けましておめでとうございます。
本年も、この日記ぼちぼちと書いていきますので、何卒、お付き合い頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。

昨年の暮れは、あちこちと掃除ばかりしていました。風邪気味のせいで、しばらくの間声がまともに出なくなり、新年が近づくにつれ焦りましたが、何が何でも声が出るようにと・・・。多少、聞きづらかったかもしれませんが、何とか平成18年の新年盛運祈願会も無事に終えることができました。
今年は昨年よりも多くの方々、特にご家族での参詣が多くあり喜ばしことでした。
最近、お話しする中で、「こうして参詣されて一番喜ぶのは誰でしょうか?」と尋ねます。「それは、あなたご自身、魂そのものです。」と言います。
ご本尊様や御先祖様も、もちろん喜んでは頂けるでしょうが、しかし、それはあくまで他人事です。なんと言っても、やはり、自分自身ではないでしょうか。自分の魂が喜ぶ事、向上すること感動すること、今年は、このあたりをさらに追求していきたいと思っています。

では、今日はこの後、もう少し正月気分に浸ることにします・・・・。


お天気にも恵まれた正月でした。

生け花も”迎春”
38.2005年12月23日(金)
 再び大雪!

例の「雪かき」が活躍しています。
昨日の午後から、再び大雪に見舞われました。19日の日記と同じようなことですが、先回積もった残雪が消える前に降りましたから、やはり珍しいことです。
この雪の為に、年末のお墓参りが中止となりました。この時期になると、ご先祖さまに1年間の御礼と新たなる年を迎えるためにと、法筵寺墓苑内の墓地での回向(お経を上げます)を行うのですが、さすがに、この雪では出来ませんので、関係の檀信徒の皆さんには早々にお電話をして、そのことをお伝えしました。

以前、豪雪地方のお寺へ伺った時、お墓そのものが冬の間中、ずーと雪の中に埋もれたままと聞いた事があります。どこにあるかさえも分からない程だと言っていました。ゆえに、その間は本堂の納骨堂などにお参りしたりし、中には、麓に、その季節用のお墓も立てている所もあると聞きました。
確かに墓地については、その地域や風習、それこそ風土に合わせて建てられていると思います。又、いづれお墓については、別の機会にお話したいとも思っています。

天気予報では、まだ雪が降りそうと言っていますが、これだけ道路が通行できないとなると、段々と生活にも影響が出てきます。 暑ければ暑いと文句が出るし、寒ければ寒いと・・・・・。天候を楽しむ方法を考えることにします。

猫?犬?不思議な雪だるまです。
次女によると、ウサギだそうです。
37.2005年12月19日(月)
 
58年ぶりとか・・・

昨日の午後から、58年ぶりという大雪が降りました。このあたりでは実際のところ、数年前の1月2日に積もった雪の方が、はるかに多かったようですが、今でもTVのテロップでは交通情報や各地の積雪情報などが流れています。やはり場所によっては大変なところもあるようで、特に日本海側では積雪による事故も多発しているようです。「暖冬」と言っていた天気予報士などには、どうなってるのだ!と問い詰められている場面を何度か見ましたが、それは相手が大自然ですから、人間の都合通りになる訳でもなく、仕方がないことでしょうね。
でも、何故か2日前に家内が買うと言った「雪かき」が、すぐに役に立ちました。果たして今シーズンは何回役に立つのか、それはそれで複雑です。

昨日の午前中は、年末の大掃除が行われ大勢の方々にお手伝い頂き、隅々まで清められました。お手伝い頂く方も、ベテランの方から初めての方まで、これはある意味で慣れてしまうと同じところや同じ方法で行うので、意外と見落としてしまう部分もあるのですが、別の人が行うことにより、別の角度からも掃除されますので、ローテションもいいことだと思います。
掃除が終わると、お正月用の破魔矢も、皆さんで制作します。初めての方は、なるほどと思いますし、毎年関わる方も、これで一気に気分は迎春となります。


雪の境内

あとは正月を待つばかりの破魔矢
36.2005年12月12日(月)
 月日の経つのが早いです。

本日、庭に咲いた、椿の花

あれよあれよという間に12月も中旬になってしまいました。この日記も全然更新することもなくです。では、何もしていなかったのかというと、そうでもなく、あれこれといろんな行事や出来事に遭遇していたのですが、では、そのことを書いてみようかというとそれ程でもなかったりと、結局はそんなような毎日を繰り返しているのかなと実感しています。
では、何かあったから書いているのかと言うと、これまたそうでもないということで、あまり期待しないで下さい。
 しかし、ここ最近、気になるのは、小学生の女子が殺されると言う事件が続いています。亡くなられたお子さんには心からご冥福をお祈りします。又、ご家族の胸中も言葉では尽くせない悲しみの日々であると察しますが、それ以上のことは申せません。
 又、マンションの構造問題も一気に噴出してきました。これも現実に住んでおられる方や、近隣の住民の方の不安も、この瞬間でさえ気を抜くことができない状態である訳ですから、大変なことであります。しかも、他にまだまだ似たような状況のところがあるのかもしれませんし、現実に古い建築基準法で建てられたビルは同じようなものであると言われています。そうなると問題は想像以上です。今更どうすることもできない。ということなのかもしれません。
 
 いづれも、表面的には全く問題ないと思われているような、人物や建物が突然、急変してしまうということです。外見上は見分けがつかない、むしろ優秀とされている場合もあります。しかし、中味、構造の問題は分かりません。建物の場合は、設計の段階から手が抜かれていれば、当然そのような建築物になりますが、人間の場合は果たしてどうなんでしょうか。単に育てられた環境だけのせいでしょうか。むしろこの世に誕生してくる以前の計画になんら意味があるのかとも思えます。しかし、これは単純にお話できる内容ではないと思いますので深くは探りませんが、これからも、様々な問題や出来事は終わることがないでしょう。
 でも、私たちは、こういう世界をあえて選んで生まれて来たともありますので、ならば、少しでも良くなるよう努力していくべきであると思います。・・・そんなことをづーと言い続け、皆さんと実践してきたような、ここ数週間でもありました。


少し前に撮った銀杏の木ですが、今では、みんな散ってしまったでしょうね。(徳川美術館にて)
35.2005年11月20日(日)
 
いのりんぴっく名古屋

昨日、昭和区の法音寺(日蓮宗)を会場として、「いのりんぴっく名古屋」が開催されました。この催事は、日蓮宗がバックアップし、毎年、会場を変えて開催されるものですが、夏の愛知万博に引き続いての開催となりました。主旨は「環境・平和・いのち」いのりの祭典と題して開催され、多くの人々に日蓮宗を知ってもらい、平和や信仰を広めようというもので開催までの20日間位は、地元の東海ラジオでも毎日、コマーシャルが流され、当日も同ラジオ局の生中継があったようです。
 
 会場では、本堂での法要をはじめ、舞楽、日蓮劇、パーカッションアンサンブル、シャンソン、二胡の演奏、野外では、焼きそば、おでん、豚汁、みたらしなど、又、ポニー乗馬体験や小さな動物に直接ふれれるなどの、さまざまな企画がなされ、特にお寺の奥さんたちもバザーや、みたらしを焼くなど各ブースに参加し盛り上げていました。

私も、今回は法要の中で久々に出演(本来は、出仕といいます)しました。それは”平和の塔”の前でご祈祷をする一人として参加しました。今までは、宗門のさまざまな行事やイベントが開催されるたびに、すべて演出する側で、時には舞台監督であったり、総合責任者であったり、そんなことを長年携わってきたので、今回は衣を着けてうろうろしているだけで「どうしたんですか?」「えっ!出るんですか?」とほとんどの人に言われました。もちろん平素は、葬儀や法事、各法要にはメインで勤める訳ですが、舞台に上がるというのは、又、いつもとは違った緊張感があります。久々でしたから、特にそう思ったのかもしれません。

今までにも、宗門のさまざまな催し物が開催されてきましたが、常に誰の為、何の為にと問いかけながら企画運営、実行に移さないと、単なる自己満足で終わってしまい、ただ単に行事をこなしたということで、反省もなく通り過ぎてしまうことばかりでした。一つには何でもやりさいすればいいという雰囲気で、次に行うこともないので(同じ主旨では)そのようになってしまうのでしょう。
 常に仲間内での議論では、未信徒(日蓮宗に縁の無い人)を対象に行うのか。すでに縁ができている、いわゆる檀信徒に向けて行うのかでありますが、公になればなるほど、結局、檀信徒向けに行う方が無難で楽ということになってしまうのです。
布教と教育は違うはずですし、どこかでごちゃごちゃになっているのかもしれません。
ともあれ、私の意識の中には、常に新たなる人々に向けて発信しなくてはと思っています。


久々の出演?でした。

お寺の奥さんたちも揃いのジャンバーに、奮闘していました。
34.2005年11月13日(日)
 アイスホッケー観戦

南区のレインボーアイスアリーナ。
お寺から車で5分で行けます。

今日は午後から南区のレインボーアイスアリーナで久しぶりのアイスホッケーの試合観戦してきました。
と言うのも、第14回中部学生アイスホッケー選手権大会が、中部地区の6大学でリーグ戦が
開催されており、今日が決勝戦だったのです。優勝は愛知学院大学でしたが、このリーグでは昔からここがずば抜けて強いチームです。たまたま、息子がこのチームでお世話になっているということもあり観戦したということです。
 私は、氷の上では立つ事がやっとと言う程度で、アイスホッケーとは全く無縁でしたが、息子の方は小学生の頃に近所の子供から誘われて以来、ずーと続けてきました。そのこともあり現在の大学にも入学していると言ってもいいでしょう。

なんと言っても、「氷上格闘部」というような名前が書かれてたトレーナを着ていますので、ぶつかり合いが激しい競技ではあるようですが、少し前に、アイスホッケーが舞台となったキムタク主演のTVドラマでプライドというのがありました。その時は一時的に用具などが品切れになったようですが、しかし、アイスホッケーだけはある程度、小さい頃から滑っていないと、急に始めてもとても問題になりません。結局は、小さい頃から滑っていた子が集まったチームが断然の強さです。でも、聞くところによると北海道とか東北など寒い地方で育った上手な高校生が大学に進学する時は、やはり強いチームに誘われので、結局一番強いのは東京の大学だそうです。
 正月過ぎには、愛知県を代表して全国大会(インカレ)に毎年、出場するようですが、2回戦へ進出するのは、相手チームが温かい地方の大学との対戦しかないと言っていました。やはりレベルの差があるのは否めないようです。

ちなみに今日の息子の活躍と言えば、腕を怪我していたので出ないかと思っていたのですが、途中から出場し、珍しく?アシストなしで点を入れていました。力まず冷静にゴールできたのは、そこれそ怪我の功名・・・でしょうか。
約束通り、今から息子の同級生4名を連れて祝勝会へと焼肉屋へ出掛けることにします。


よくあれだけ滑れるもんだと思います。
33.2005年11月7日(月)
 
お会式

昨日は、お寺で日蓮大聖人がご入滅されてから724回目のご命日の法要を営みました。
専門的な表現をしますと、第724遠忌(おんき)といい、10月13日が本当のご命日となります。又、この法要を昔から「お会式(おえしき)」といい、亡くなられた場所は、今の東京都大田区池上ですが、ご命日の日には、今年も30万人もの参詣者があったとニュースにありました。お会式という行事は、東京では有名なお祭りとして江戸時代から盛んであったようです。

日蓮大聖人が亡くなられた時、その場にあった、桜の花が咲いた(今でも、10月13日前後には境内にある桜が咲きます)という故事にちなんで、桜の花を模した万灯を作り、太鼓や笛などで威勢のいい音頭をとりながら、バレン(火消しの時使った)を回しながら練り歩きます。本来は、ご命日なので静寂に執り行うものでしょうが、一年に一度、お祖師様(おそっさま・日蓮大聖人の名称)にお会いする日、感謝する日、お徳を讃える日という意味から賑やかになったと伝えられています。確かにお江戸のことですから、そのようにいつしかなったのでしょうね。

そのような意味で当山でも、毎年11月の第一日曜日に、御報恩のお会式法要を檀信徒の皆さんと営んでいます。今年の特別法話には、若いといっても30歳ですが、(お坊さんの世界では、まだまだ若手になってしまいます。なんと言っても定年がありませんから、いくつになったらベテランというものがありません。私でもやっと中堅かな?という程度ですから)服部巧顕師(円乗寺)が勤められました。皆さん、新鮮な面持ちで聞かれ、とても勉強になったと後で感想を述べていました。檀信徒の皆さんに育てて頂いているというお話は、それは私も含め一生涯のことだと思います。


法話をされる服部上人・最近ではHPを開設されて布教にも力を入れています。
32.2005年10月30日(日)
 チャクラヒーリング

すでに閉幕してしまった愛知万博のインド館には、チャクラのイメージ模型が作られていました。でも、そんな場所にも小銭が投げ入れられていました。そこは賽銭箱でもないし、儲かったのはインド人なのかも・・・?
昨日は、10月最終のディクシャセッションを開催しました。
ディクシャセッションについては、ここで説明するのは難しいので、HPなのでご覧頂くとして、(同じような事を8月18日の日記にも書いていました。)受けられた方も、どうやって説明していいのか分からない。とにかく体験した方が早いし納得すると言われています。
ともあれ、毎回、様々な課題でセッションを行うのですが、昨日は身体の調整と癒しを兼ねて、チャクラの中でも、喉のチャクラ(ヴィシュダ)の瞑想ヒーリングを中心に行いました。(第1のチャクラから毎月順番に行っています)もちろん、チャクラに詳しい人もご覧になっておられると思いますので、勝手なことは言えませんが、心身とも浄化することが霊性を向上させることになると取り入れています。

私は、自分の宗派で修行し、皆さんにもその教えを伝えてきました。もちろんそれが正しいと信じ今でも変わりありませんが、瞑想ということをしたことがなかったのです。座禅とも違うと言われましたので、座禅と瞑想は違うと思います。
その瞑想・メディテーションをすることにより、今までとは異なった時間を持つことができるようになりました。まだ瞑想そのものの体験が浅いので難しいことはいえませんが、言える事は、いきなり祈る(お経を唱えたり、お題目を唱えること)よりはいいのかなということです。自分の心に素直に向き合った時、何を祈るのかが明確になり、時にはこんな浅はかな自分本位の祈りであったことに恥じる時もあります。又、今まで無視していたこと、忘れていた事など気付くこともあります。
もちろん、今までの祈り方や信仰の仕方、それぞれの教義に則り行ってきたのですから、私などが否定する事は何もありませんが、静かに自分に向き合う時間を作ること、さらに祈ることの大切さも遅まきながら、そして恥ずかしながら感じている今日この頃です。

全国にはたくさんのお寺があり、しかも比較的、静寂な場所にもあります。さらに、本堂にはご本尊様や神々や仏様がお祀りされ、純粋な祈り?を日々、住職さんたちがお勤めされているはずです。であれば、そんな素晴らしい環境の中で、誰でもが、安定した心を求められるような場所として本堂を解放したら、もう少し世の中が変わるのかもしれません。
でも、そんな勝手なことを言うのは無責任な奴だと言われるでしょう。ただ、教えは誰の為にあるのかな〜と思っただけです。
31.2005年10月22日(土)
 
天災に思う。
遅まきながらですが、2週間前に起きたパキスタン、インドいわゆるカシミール地方で起きた地震は、すでに5万人以上の死者や300万人以上の被災者が出ていると報道されています。
しかも、アナン国連事務総長は、このままだと第2の死の波がくると警告しています。これは、被災地が高地であり、寒さと感染症による死者が増えるということです。

丁度、明日で1年を迎える新潟中越地震の復興もなかなか進んでいないと特集していましたが、昨年から今年にかけての冬は19年ぶりの大雪であったようで、そのためにも復興は途絶え、さらには雪の重さに耐えかねた家屋も多く壊れたようです。もちろん人々は、各避難地や仮設住宅に移ったのですが、パキスタンの場合は避難する場所さえないという状況であります。
アメリカの南部を今でも襲っているハリケーンの場合でも、数百万人に対し避難せよという命令にて、大多数の人々が移動するのですが、移動できる場所があるという事です。
ない場合はどうするのかということです。しかし、これも他人事ではないということを教えてくれているのだと思います。

国内に於いても毎日、どこかで地震は起きています。TVでは地震や天災に関する番組を目にしますが、これも当たり前のような感覚になってきています。「大地震が起こる」「大地震にから身を守る方法」などと特集された初めの頃は緊張して見たものですが、皆さんも果たして、今はどのように見ているでしょうか。又、どうせ同じようなものだから見ないという人も多いのではないでしょうか。段々と慣れてきてしまう、常に世界中から、様々な天災の被害や被災地の映像が流されている内に麻痺してきてしまう恐れもあります。

この私が住んでいる場所でさえ、東海・東南海地震が起きたら、90分後には30センチの津波が来ると予想されていて、すでにそのための防災に関することを地元の消防署において説明会が開かれています。いつ来てもおかしくないといわれ続けています。
その時のために防災の準備をと思います。
被災された皆さんの一日でも早い復興をお祈りします。これしかいえない無力さも同時に痛感します。ゆえに、せめても祈りだけはとお祈りします。


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もう、朝晩はかなり涼しくなりました。日中でもそんなに温かくないのに、ハイビスカス連日、順番に咲いています。