言いたい放題!気まぐれ日記 その3(平成18年9月25日〜 )
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100.2007年10月24日(水)
 護法団参

身延山大本堂での法要。
この場にて、直接、法主猊下より委嘱を賜りました。

行衣(ぎょうえ)。今回、法筵寺から参加された方には、檀徒の方が縫われ、このように書かせて頂きました。
22日・23日の1泊2日、日蓮宗名古屋宗務所主催の護法団参(ごほうだんさん)へ参加しました。今回は参加したというより、副所長ですので開催したというのが正しいでしょう。=4年ごとに宗務所所長の改選が行われます。今年の4月から新たにスタッフが変わり(所長は再選されました)スタートしました。=
名古屋宗務所では、1年目は慣例で、総本山身延山久遠寺にて、輪番奉仕(りんばんほうし)を行うことになっているようで、本年も、教師(僧侶)21名、檀信徒100名にて団参が行われました。

輪番奉仕というのは、日蓮聖人の御廟所(ごびょうしょ・お墓)をお守りすることで、日蓮聖人が入滅(亡くならること)後、お弟子の方々によって交代でお守りしたことから始まり、以来726年、全国の僧侶、檀信徒の方々によって今日まで続けられています。法主猊下(ほっすげいか・久遠寺の住職)より、今日一日、そのお役を委嘱するという儀式が、参加者を前にして直接、行われます。その後、法要を行います。以前は、そのまま御廟所にて清掃奉仕を行いましたが、今では法要のみとなりました。
 たしかに以前は、檀信徒の皆さんが白衣に着替え、御廟所の清掃等を行っていましたが、何時頃からか、そういうことが無くなった(形式が変わった)ようです。今は専属の方が、いつもきれいに清掃されています。
2日目は、北山本門寺に参詣し無事終了することができました。

団参の2日間、お天気に恵まれ、富士山が絶えず車中から見えていて、どのくらい、あのベテラン?のバスガイドさんが「富士山が見ています!」と連呼していたことか。それだけお天気が良かったのかもしれません。
 今までは、ただ参加するだけの立場でしたが、計画から引率し成功して当然のことですから、無事終わるまで気が抜けないという、お寺でも団参は行っていますが、ほとんど知らない方をお連れするというのは、絶えず気が抜けないということです。それに「おらが寺の住職が一番」という目で、他のお坊さんはチェツクされています。別に格好つける必要はありませんが、でも、確実に評価されていることは間違いないということ、努々(ゆめゆめ)忘れてはなりませんぞ!と思います。
 ちなみに今回の身延山での「登詣之証」は21473でした。
99.2007年10月15日(月)
 神無月












熱田神宮内にある「大黒様」と「恵比寿様」のお社
(左右のお社
10月も半ばとなり、やっと涼しくなったと思いきや、昨日、北海道旭川市のMさんから頂いたメールには、もう初雪が降りましたとありました。先週、地元の神社のお祭りが行われ、名古屋市内では、毎週どこかで秋祭りが行われています。昨日一昨日は、名古屋まつりとして英傑行列など開催されていました。でも、今年から市内を走っていた花バス(市バスを、お祭り用にデコされていました)がなくなったそうです。まだ子供が小さい時、花バスが通る頃になると家内が子供を連れて大通りまで連れて行っていたのを思い出します。

 10月は「神無月」といいます。神様が出雲大社(島根県)へ年に一度のサミットに集まるからと言われています。ゆえに出雲地方では「神在月」とも言われています。神話の世界からのことですが、ある時、こんな質問がありました。「みんな神様が出雲へ行ってしまったら、地元は留守になってしまう。なのに、何故お祭りをするの?」ということです。たしかに素朴な質問ですが重大なことです。調べてみると、ちゃんと留守番をする神様がおられるとありました。それは、恵比寿様、金毘羅様、荒神様など、それぞれの土地を守る神様は、サミットには出かけないということです。ですから、地元でお祭りが行われても、ちゃんとお応えして頂けるということになります。もちろん、それぞれにちゃんとした例えば、五穀豊穣などの感謝祭としての意味もあるのでしょうが、神様がいなくなるということではないとお話しました。
 当山には、昔から恵比寿天神様がお祀りされています。併せて大黒天様も並んでお祀りされています。大黒様と恵比寿様が一緒にお祀りされているところも多く見かけますが、本来は、ルーツも発祥も違うのですが、人間界からだと福徳の神様として同じようにお祀りするようになったと思います。
 ですから、このお寺は「神在月」となります。しかし、本来、皆さんの中には、いつでも神様はおられますので、留守はないということです。

 昨日、プライベートな集まりがあり参加しました。集まった目的はワンネスということですが、それぞれの立場でワンネスの運動を広げていこうということです。組織がある訳でもありませんし、ルールも何もありません。でも、世の中を幸せにしていうこうという想いは共通しています。初めての集いだったので、楽しく交流することが目的だったのですが、一つだけお話したのは、「人を幸せにすること、苦しみから抜け出させること、人を救うということは、命がけでなければできません。その覚悟を試される時もあります」ということです。自分で言いながら、そうだなと改めて思う一日でした。
98.2007年9月30日(日)
 すべては繋がっている。

講演会のチラシです。
昨日、東京でサトルエネルギー学会(会長・帯津良一氏)2007秋の大会が開催されたので初めて参加してみました。学会そのものを、あまり理解していないのですが、案内状が送られてきたので、ふっと参加してみたくなり出掛けました。こういうことは時々あります。理由よりも「出掛けねば」と思うと、予定が入っていなければ行くことにしています。ポリシーがないと言われそうですが、もともとあると訳ではないので平気です。でも拘りもあったりして・・・。

 昨日の大会は、メインタイトルが「すべては繋がっている」で、5人の講師が午後1時から7時30分まで連続して行うものでした。途中でリフレッシュエクササイズもあって長時間ながら、あまり疲れを感じませんでした。どんな内容だったかを簡単にまとめてみます。

講演1『いのち、その大きな繋がり』 サトルエネルギー学会・会長・帯津良一氏でNPO法人ホリステック医学協会会長でもあります。以前にも何回か講演は聞いたことがあります。今回、印象に残った話は、「死後の世界を知ること。死とは訪れるタイミングがあるので、うまくつかむことが大切。それが天命を全うするということである。」と、ご自身も医師であり、院長でもありますが、今の医療や製薬会社のあり方を問われていました。

講演2『太陽と月の光明科学』 縄文エネルギー研究所所長・中山康直氏で、太陽と月が人類に与えている影響や、突き詰めていくと、誰しもが神社そのもであり、大祓は大笑で感謝することであるなど、自らの体験をふまえての話でした。又、パンツではなくふんどしにすることで開運するという話は興味深かった。

講演3『真我実現からワンネスへ』 原アカデミー主宰・原久子氏。この方とは、インドにて同じ時期にワンネスディクシャインストラクターとなりました。もちろん私のことなど記憶にはないと思いますが、もともと瞑想法やヒーリングでは有名な方で、心の浄化や人間関係の重要性を語り、後半は会場全体の瞑想をリードされました。私も心地よく瞑想し、合わせてディクシャエネルギーを皆さんにプレゼントしました。

講演4『子守唄の不思議』 NPO法人子守唄協会代表・西舘好子氏。古くから伝わる子守唄を研究し、改めてその子守唄の持つ力と大切さを、とても感動的に話されました。後半は、西館さんの説明を受けながら、歌手の稲村なおこさんがピアノとギターの伴奏で子守唄の数々を歌い上げてくれました。先の瞑想にて心の次元が違っていたせいか、子守唄のひとつづつが感動的で、会場にいた人も同じように感じていたと思います。関連の記事、思うまま独り言

講演5『宇宙・人類史の真実と日本の使命』 東京工業大学大学院教授・樋口雄三氏。ご本人の気功や禅、超越瞑想、霊的施療の実践と体験を通じての話しと、共同研究者のアマノコトネさん?とのコンタクトによる異次元世界からのメッセージを話されましたが内容は控えます。他に、外氣功の成果や科学的検証をふまえての説明は、もちろん、会場にいる人は誰ひとり私のことを知る人はいませんが、なんだか立証して頂いているようでした。大いなる存在との対話は興味深いものでした。

 今回、会場となった霞が関イイノホールの会場内は、3分の一程度の入りで、しかも年配の方がほとんどでした。私は間違いなく若手の方だと思います。スピリチァルの世界ですので、その気がある人が集うのでしょうが、美輪さんとか江原さんだと、すぐにチケットは完売されるそうですから、TVの力は大きいと思います。今すぐに成果がでるものではありませんが、今後の人生の中で、今回の出会いも(一方的ですが)何かの一因になるのでしょう。
97.2007年9月23日(日)
 
お彼岸です。

本堂での写経・書写行(しょしゃぎょう)ともいいます。それぞれの願いを、初めに念じ、一心不乱に写経します。



写経は、本堂のご本尊様に納経(納めます)翌朝のお勤め(住職)時に、祈願を読み上げ、納経されます。
今日は、秋のお彼岸の中日です。世間では、安倍総理の突然の辞任を受け、次は麻生さんと言われていた総理の座を、急浮上した福田康夫さんが総裁に決まりました。「俺はやりたい!」といくら叫んでもできないという現実を身近でも多く見てきました。物事が決まるにはタイミングとチャンスというものがある。まさしくそんな感じを受けました。ともあれ、福田さんには多くの問題が山積していますので、相当の覚悟と体力を要求されるのでしょう。私たち庶民は見守るしかありません。

 昨日は、定例の「法華経の世界」学習会を開催し、久々に大曼陀羅御本尊の世界をお話しました。改めて日蓮大聖人の大曼陀羅観に触れることができ、総和の世界の意義や安心立命の境地を少しでも伝え、実感して頂ければと思います。
 今日は、お彼岸の行事として、本堂で「写経の会」を開催しました。
まず冒頭で、お彼岸と言えば?という質問に「春はぼたもち、秋はおはぎ」「季節の変わり目」「お墓参りの日」「先祖供養の日」など、さまざまな答えがでました。どの答えが正しいとか間違っているということではありませんが、本来、お彼岸は日本独特の仏教行事として、せめてお彼岸の期間(1週間)は仏道修行しましょうと考えられたもので、
六波羅蜜(ろくはらみつ※ここをクリックすると詳しい説明があります。)の修行を実践しましょうということであります。そうすれば、迷いの世界(こちら側の岸)から、悟り(彼の岸)へ渡ることができるという意味です。
ですから、あくまで生きている人々に対する修行法なので、単純に先祖供養とか、お墓参りというのは本筋からズレていることになります。しかし、ほとんどの寺院でも、TVのCMさえも、お彼岸イコールお墓参りとなっているのが現状です。ゆえに、この時期になると一気に墓地へ出掛けるので、各霊園はパニックになります。もちろん、私のところでも行いますが、この時期ではなく、もっと前倒しでご回向は申し上げます。
 要するに普段から、ご先祖に対するご供養・感謝をしていれば、慌ててお彼岸だからということではなく、あくまでも、お彼岸は私たち自身の仏道修行を行いましょう。これが本義ではないでしょうか。しかし、お墓参りもご供養も立派な仏道修行ではないのかと反論もあるでしょう。ならば、日頃から、ご先祖様に対しご供養や感謝をすべきでしょうとなります。でも、こんな議論よりも、実は、日々生きている中に、ちゃんと仏道修行が含まれています。人が見ていないからと言って自分を害することをしたら、そのツケは必ずきます。
〔持戒〕辛いこと、苦しいこと、悲しいことに耐えなければなりません。そして、憎まれても相手が更生するなら言わなければなりません。〔忍辱〕まじめに働くことや学ぶことで、その努力は報われます。〔精進〕人を愛することの必要性も分かっています。愛する人を救いたいと努力しています。いかなる状況になっても幸せになりたいと願っています。〔布施〕これらは紛れもなく立派な仏道修行ではないでしょうか。

 しかし、一番理解しておくことは、すでにこの地上を去った亡き方々も、そのことを今も続けているということです。死んですべてが終われば、そんな楽なことはありません。肉体は消えても形を変えて、仏道(神道)修行を、さらに続けているということです。
 しかも、死んだ後、生きている間にどれだけ努力精進したかということの重要性を徹底的に知ることになります。それはそうです、こうしてわざわざ人間として、この娑婆世界へ誕生してきたのですから、そして、親子兄弟夫婦として切っても切れない人間関係を結び、そこから生じるさまざまな課題を乗り越えていませんか。ゆえに、いつも六波羅蜜の修行を自動的に実践しているのです。
 もう一度、「お彼岸」を考え、そんなことに気付くのも、これをお読みになった方
〔智慧〕の「お彼岸」です。
96.2007年9月12日(水)
 発願大会(ほつがんたいかい)

大本堂内での法要
2週間前、団参で身延山へ参拝してきたばかりでしたが、10日、11日と再び参拝することとなりました。今回は、日蓮宗の主催で行われた「立正安国・お題目結縁運動」発願大会(りっしょうあんこく・おだいもくけちえんうんどう・ほつがんたいかい)に出席するためでした。要約すると、日蓮宗では、宗祖である日蓮聖人が誕生されてから平成33年で800年を迎えます。単に記念すべき年を迎えるのではなく何かせねばということで、先に掲げたキャッチフレースにて宗門運動を盛り上げていきましょうということです。今年が、その初年度となり、まずは、そのスタートとして身延山に集合しなさいということでした。と私は解釈しました。
 身延山での発願法要は、酒井管長猊下(日蓮宗最高位)大導師の元、総長をはじめ宗務院関係、宗会議員、運動関係者、全国の宗務所所長、事務長以上、各檀信徒会長が集合参列しました。僧俗一体(そうぞくいったい)お坊さんも檀信徒も一体で、お題目の縁を結び、世界の平和を祈り、又、運動していきますと誓うということであります。
 さてさて、私も、名古屋宗務所副所長ということで、この運動では副支部長ということでもあり、所長、両事務長と参加しました。全国から、そして、宗門の重鎮の方々が参加されていたのですが、どうも、この大会そのものが、ほとんど周知されておらず、地元(身延)のお土産屋さんさえも「今日は何?」ということで知らなかったようで、まして、地方の人たちはほとんど知らない内に終わってしまったという感じです。全国から集まっての発願大会ですが、一般檀信徒の方はおらず、僧侶の方も、ほとんど知らないということです。折角の法要であり、これから頑張るぞ!ということなのでしょうが、これでいいのかなと正直思いました。あとは、それぞれ帰ってから地元で頑張れよということなのかもしれません。

 いずれにせよ、布教は個人の力量でしかありません。ヤル気が最大の力となるのでしょうから、足元を確かめならが地道に進むしかないのでしょうね。
ちなみに今回の「登詣之証」は14089でした。95の時は、16620だったのですが・・・。
95.2007年8月28日(火)
 七面山団参
日記が、しばしご無沙汰になっていました。お盆など行事もありましたが、24日〜26日、七面山への団参(団体でお参りすること)を開催しましたので綴ってみます。
 山梨県の日蓮宗総本山久遠寺から西方に位置する場所に、七面山という霊山があります。ここは、日蓮大聖人が身延山に在住されておられたある時、七面天女という龍神様が現れ、法華経を信仰する人々を守護するという誓いを立てられました。以来、今日まで多くの方々が、七面様を信仰し七面山へ登詣しています。実際には、山頂まで4時間位かけて登山するのですが、かなり厳しい坂道です。
 今年も、45名の方が参加され、皆さん汗を流し自らの足で登りました。途中、体調を崩した方もいましたが、皆さんの協力でなんとか頑張って登ることができ、本人も又、家族の方も登詣を通じて多くのことを学ばれたことと思います。毎年のことながら、常に多くのことが学べる行事の一つでもあります。でも、年々登る人が減っていると昨年も聞きましたが、少し淋しいことです。全国で「七面様」をお祀りされておられるご寺院の皆様、是非、ご参詣下さい。
 下山は、いつもと異なり北参道を下りました。私も記憶にない程下りたことがなかったのですが、想像以上に険しかったので、皆さんから少々ブーイングがありました。来年はどうするかアンケートでもと思います。
 さらに、今年は、第30回記念ということもあり、2泊目は下部ホテルに宿泊し、身延山にもお参りできました。最終日には、久遠寺での御開帳も行い、皆さんにも「登詣之証」が授与されました。ちなみに私が頂いた登詣番号は16620でした。この日記のNo81でも「登詣之証」を紹介しましたが、その時は1930でした。

 毎年、開催している七面山への登詣団参ですが、若い時は平気で登れます。しかし、年を取ると衰え登ることが不可能になってきます。それは仕方ないことですが、そんな時の為にこそ、親から子や孫へと伝えていくことが、とても重要なことです。今年も何組かの親子、祖母と孫での参加がありました。尊き想い(信仰の大切さ)を伝えていこうとすることが、とても大切です。自分だけの信仰、いけない訳ではありませんが、その本人がストップしたら、それで終わりです。自らが信仰の有難さを感じたならば、次へ、せめても子や孫へ伝えていくのが、今生、親子になった約束ではないでしょうか。お父さん、お母さん、お爺さん、お婆さんが、そのことを伝えないで誰が伝えるのでしょうか。そんなことを感じた団参でした。
スライドUPしました。

今年も素晴らしいご来光を拝むことができました。

身延山大本堂の前にて。
94.2007年8月6日(月)
 夏休み「親子の集い」

お焼香作法の実践。後ろの子供たちも合掌して、お経を読んでいます。夏休みどころか一生の思い出になり、必ず役に立つことでしょう。
昨日、毎年恒例となった、夏休み「親子の集い」を開催しました。午前中は、毎月開催の盛運祈願会が行われ、引き続きいての行事となりました。先週あたりから急に夏らしくなり、猛暑日となったのですが、この暑さゆえ喜んでいたのは思いっきり水遊びが出来る子供たちでした。たしかに、8月の第一日曜あたりが一番暑いかもしれません。
 午後1時から、日蓮宗名古屋青年会の若き青年僧の皆さん6名で、仏教のお話、お経の練習、今回はお焼香の作法を実践を行いながら、楽しく、しかも厳しく、有意義に教えて頂きました。何と言っても子供と参加した親や祖父母の皆さんが一番、勉強になったと喜んでいました。
 この「親子の集い」を開催する目的の一つには、普段、なかなかお寺に足を運んで頂けない若いお父さんやお母さん、当然、子供も来ることがありませんが、開催することにより、足を運んで頂けます。今回も、そういう方が半数近くいました。(今回は総勢70名余でした)そういう方々が、お経を読んだり、題目を唱えたり、又、お話を聞かれることによって知識が深まります。今まで考えていたお寺や宗教についても、「そうだったんだ」と理解して頂けることが一番うれしいことです。
 2時間たっぷりと、本堂で修養を終えた後は、1階の駐車場を開放して、プールでの水遊びや、鉄板焼き、焼きそば、さらに恒例となった「流しそうめん」これは、青年会が毎年行う「青少年と青年僧のつどい」にも、昨年、今年とリースされるくらい人気があるようです。初めて体験する人は、まさか住職が考え作ったとは思っていないようです。ただ、そういうことが好きなだけですから、思ったとおり作っただけです。
 毎年、少しづつ変化をもたせ、参加する人にも楽しんで頂く、しかし、本当は、私が一番楽しんでいるのかもしれません。家族全員(家内の母も含め)総動員で準備して本場を迎え、そして元通りにする。家内から一言「何が、(あなたを)そのようにさせるの?」「そういうことが好きだし、いかに楽しく布教ができるか」です。

スナップをUPしました。スライドショーにてご覧頂けます。

今年フィナーレは、ナイヤガラの花火でした。
.93.2007年7月30日(月)
 最近の出来事
26日、大阪市で第2回「宗教対話」学習講座という勉強会に参加しました。これは国際永久平和記念祭典協議会(代表・竹内日祥師)が主催するものです。「宗教対話」と言うのは、私もまだ勉強中で正確には説明できませんが、時代の要請に応じ、全宗教宗派の宗教者たちが対話を通じて、新たなる枠組みを構築していくということです。宗教は、それぞれに教義を持ち、絶対に自分のところが正しいと誰しも思い実践しています。(本来はそれでいいのです)しかし、その考え方はとても狭い世界になり、原理主義の実践をしていくことで、時には他を排斥、攻撃していかねばならなくなります。和を作るどころではありません。(自らの正当性のために)しかし、これでは人類の平和どころか、家族さえも自分自身も救われません。まずは、自分が信ずる宗教が原理主義ではないことを証明するには、自ら「宗教対話」をしていくしかありません。私自身の「総和の世界」もそんな思いです。そんな訳で初めて参加しました。
 今回の講師は、花園大学名誉教授・(財)禅文化研究所所長の西村恵信師と、同志社大学教授の宮庄哲夫氏でした。禅の世界からとキリスト教(カトリック)の世界を、わずかながらでも知ることができました。私自身、自分の宗派のことを完璧に理解している訳ではありません。誰しも都合よく理解しているのだと思います。しかし、理解していないからこそ他の宗教や宗派、又、全く異なる世界から改めて自らの宗教の事を理解できることがあると思います。実際そのような面も多々ありました。これからもあるはずです。

27日は、名古屋市内寺院(日蓮宗)の夏季講習会が開催され身延山大学教授の池上要靖師により、日蓮聖人の『「立正安国論」を時代歴史観から考える』と題し講義がありました。さまざまな点から立正安国論を捉えていくことで、一層理解を深めるということです。自らのことも学び、他も学べるという2日間でありました。

昨日は、参議院選挙でしたが、結果は与党が大敗しました。理由はさまざまあるでしょうけど、私もせめて投票には行かねばと、親子4人(選挙権があるので)で早朝から行きました。TVを見ていたら、住民票がなくて過去3年以上の選挙にも投票すら行ったことがない。という方が当選されたとのこと。本人も全く自覚していなかったのか不思議なくらいですが、公認し推薦した人たちも、そして国民も「どんだけ〜」ということでしょうね。

境内にある「ぶどうの木」全く実は付いていません。でも、毎年、幹が伸びて葉を生い茂らせますので、今年は、上からさらにと伸ばしています。
92.2007年7月22日(日)
 
北北海道。

階段の手すりを下まで付け替えました。些細なことかもしれませんが、年配の方や足のご不自由な方にとっては、とても重要なことなのです。
昨日と本日、寺で3件のお檀家さんのご法事があり、しかも2件はお斎(ご法事の後の食事)を召し上がっていかれました。何分にも零細寺院にとっては珍しいことでもありますので、せめてセッテング位は心を込めてと準備いたしました。特に、先日の日記(No89)で書きました自動ドアの安全対策と手すりに付きましては、前日までに業者の協力により改善工事が出来ました。ご指摘頂いた方もご参詣されましたので、まずは一安心です。でも、本来ならばエレベータ等があれば問題ないことです。昔のように、お寺だから不便でも構わないという考え方は通用しません。それこそ、25年程前、「本堂に冷房〜贅沢な。修行が足りん」なんて先輩方に、いやみを言われていました。なにしろ鉄筋3階建てですから、冷房の設備が無かったら、夏なんて正常に座っておれません。(夏は本堂の花が一晩で暑さのため枯れます。太いローソクが曲がった年もあります。)さすがにその当時ではエレベータを付けるまでには至りませんでしたが、今ではエレベータを完備しているお寺はたくさんあります。巷の葬儀会館などは設備は完備していますので、そう意味でもお寺離れしていくのも自然な成り行きなのかもしれません。でも、お寺には荘厳な本堂(ご宝前)と、そこに流れるエネルギーがあります。もっとお寺に足を運んで頂けるような努力が必要です。

さて、見出しの「北北海道」のことですが、高校野球に関心がある方なら、すぐに分かりますが、甲子園に出場できる枠が北海道では北と南に分かれています。今年から、編成が変わり北北海道のグループになった「駒大岩見沢高校」があります。すでに先日、地区大会で優勝し甲子園出場が決まりました。本日、南の代表に「駒大苫小牧」も決まりました。駒大苫小牧は、昨年、有名になった田中投手がいました。今年は楽天イーグルで活躍中です。
 ところで、この「駒大岩見沢」に、甥が3年生で野球部に在籍しているのです。中学校までは東京でしたが、本人の希望で北海道に渡り寮生活をしています。今年のお正月にお寺に帰省した折、「もし、夏に甲子園に出たら、みんなで甲子園まで応援に行く」と約束していました。もちろんベンチ入りが条件ですが、果たしてどうなるのか楽しみです。
 
91.2007年7月15日(日)
 
お盆と台風一過
今日は、お盆の最終日です。7月にお盆を営まれた方は、精霊送りをされる日でもあります。当山では諸般の事情で10年位前から「精霊送り」の行事は行っていませんが、それに変わるお盆を営んで頂いています。お盆の行事で棚経(たなぎょう・お経を上げに伺うこと)があります。今月から来月にかけて、お檀家のお宅へ伺っています。

棚経と言えば、この数日間、多くのお坊さん泣かせの天候だったと思います。3日間で棚経を行わなくてはならないお寺では、何が何でも遂行しなくてはなりません。昨今の交通事情も含め、近隣に伺うには徒歩、自転車、バイクの使用となりますが、雨が降れば衣や足袋が濡れます。そうなるとお仏壇の前に行くまでが大変です。汚れたまま座敷に上がるも気が引けますし、その都度、変えるわけにもまいりません。どうしたものか、それぞれに対処するしかありません。

 先日、棚経の途中でガソリンを入れようと、ナビ(ナビゲーション)で検索し初めてのスタンドへ立ち寄ったらセルフでした。衣を着ていますが、そんな事言っておられません。説明を読みながら、何とか給油口にノズルを差し込んだ所まで進んだ時、あのゲリラ的風と嵐のような雨が降ってきたのです。しとしと降るのなら問題ありませんが、台風並みの暴風雨です。もう、車内に逃げ込むしかありません。給油口にも風雨が叩きつけています。こうなると、あとは、もう成り行きに任せるしかないと諦め状態でした。しばらくして、スタンドの店員が気が付いてくれました。衣を着ていたせいか、はたまたあまりにも悲惨に見えたのでしょうか(実際、そうでしたから)親切に対処してくれて、しかもタイヤの空気圧まで調べ調整してくれました。その間も雨は激しく降り続いていたので結局は一歩も外へ出ることなく終わりました。セルフどころかサービス満点でした。仕事とは言え店員さんに感謝です。

今日は、台風4号の襲来を予想(皆さんもそうだと思うのですが)し対処を考えていたのですが、朝起きたら、雨風まったく無しです。そのまま午前中には日が差して暑い日になりました。もちろん、この地域だけでしょうが、そんなことで、7月のお盆が終わりました。まだ、8月のお盆は残っていますが、果たしてどうなるのやら。

先回の「お寺でコンサート」風鈴とお経のコラボレーションが動画で見れます。吉田慎さんのHPでこちらから行けます。http://www.lifeact.jp/kazaoto/event/event070707.html
今回のお経とのコラボは、大きな音で聴くと一段といいかもしれません。

本堂からみえる、セントレア(中部国際空港)へ行く名鉄電車。午後に撮ったものですが、午前中から晴れていました。
でも、吹き返しでしょうか。夕方から風が強くなってきました。
90.2007年7月7日(土)
 〜七夕の調べ〜

雅楽・声明・読経とコラボ。和楽器なので結構いけます。でも、同じ演奏は出来ないかも?
「第2回お寺でコンサート〜七夕の調べ〜風鈴演奏と雅楽&声明とのコラボレーション」というタイトルの演奏会を開催しました。
すでに、このHPでは以前からPRしていましたが、今回は、2日前に、中京テレビの夕方に放送されているニュース番組で、風鈴演奏家の吉田さんが生出演(生演奏)され、その時に、法筵寺での演奏会もテロップにて、電話番号等も紹介されました。ほんの数秒のことでしたが、すぐに1件の電話問い合わせと、1件の申し込み、翌日1件のメールにて申し込みがありました。多いか少ないかは分かりませんが、突然のこと、僅か数秒のことでしたが、それでも反響には驚いています。
 本日は、40名の参加者があり、その内3割強は、初めてお寺に来られた方、又、風鈴演奏もは初めてということでした。当初には無かったPRでしたが、終わってみれば丁度良い参加人数であったと思います。

今回は、前半、吉田慎さんの風鈴演奏。後半は、市内寺院のH師、F師に雅楽の篳篥(ひちりき・東儀秀樹さんが演奏する楽器)と笙(しょう・和音が美しい楽器)を友情出演ということでお願いをし、私も声明(しょうみょう)と読経(どきょう)でコラボレーションに参加しました。
前回(昨年の12月)の時は、一人でしかも、突然のコラボでしたの、緊張の連続でしたが、今回は、比較的落ち着いて声も出ていたと思います。後で、今回は良かったと言った感想もありましたので、自己満足ですが、まずまずではなかったかと思います。
ひょとしたら、吉田さんのHPにて、動画にて公開されるかもしれませんので、その時には、又、ご紹介します。
又、演出を盛り上げる為に、一宮市のM師も、早朝より長い竹を運んで頂き、本堂内に配置して頂き、まさに七夕の調べとなりました。

そんな訳で、今回の癒しコンサートも無事終わりました。しかし、1点だけ前回と共通点がありました。それは、風鈴の天敵のキーワード「風」です。前回の時は、本堂のエアコンが突然壊れました。ゆえに、ハロゲンヒーターを本堂に配置して暖を取りましたが、今回は、リビングのエアコンが突然、壊れました。原因は、前回と同じコンピュター部分だそうです。そして、演奏会が終わった翌日、何事も無かったが如く直りました。今回もそうそう修理に来るそうです。
まさに、お寺全体がコラボしているんでしょうね。

演奏を終えて、お疲れ様でした。
89.2007年7月2日(月)
 
新たな気づき。
昨日は、お盆の法要が早々に営まれました。正式には盂蘭盆会施餓鬼法要(うらぼんえせがきほうよう)といいます。まだまだ世間では、梅雨も明けていませんし、暑くてたまらないと言うほどでもありません。学校も会社も夏休みもまだ先のことです。しかし、季節はもうお盆なのです。
以前にも書きましたが、インドでは(お盆の発祥はインドです)7月は雨季の終わる時で、お釈迦様の時代から雨季が終わると各地へお坊さんたちが再び布教や修行に出掛けます。お盆は、その最終日に、目連さんという方のお母さんが救われたという故事にルーツがあり、それゆえに日本では、7月のお盆を新盆といい、8月は旧盆といいます。ほとんど8月ですが、7月に行う所もあるということです。
 そんなことで、昨日、毎月第一日曜日に行う盛運祈願会(祈りの日)の午後から行いました。特に、本年、初盆(はつぼん・昨年のお盆から今年のお盆の間に亡くなった方)にあたる親族や親戚の方々が、初めてお寺にお越しになるということもあり、又、檀家の方々も参詣されることもあり、午前と午後では、参詣者の半数以上が入れ替わることになります。要するに、午前中は、檀家さんではなく信徒の方(他宗の方など)が多くお参りに来られているということを改めて認識しました。

そんな訳で、午後からも一段と緊張して法要を、もちろん何時もですが営むことになります。法要も法話も無事終わり、いよいよ皆さんがお帰りになる時の事でした。後で家族の反省会で聞いたことですが、まず、階段に手すりの無い所があるということ。そして、自動ドアの安全性に不備があることが判明したのです。いつも当たり前のように使用していたのですが、初めて来られた方によって分かったのです。確かに、今まで10年以上も使用していたのに大きな怪我が無かったのが不思議でした。想像も付かなかったことですが、一つ間違えば大怪我をする状況でした。今まで起きなかったことに感謝です。
 本日、業者の人を呼んで立ち会って説明した所、確かにその通りという結論になりました。小さな子供であれば、大怪我で済まない事態の可能性もあったのです。
慣れというのは怖いですし、気づかないことも危険なことだと思いました。事故というものは予想もt出来ない状況で起きると言われますが、確かに、この10年間気づいていた人も、ひっとしていたかもしれませんが、残念ながら私たちの耳には届いていませんでした。
そして、再び、そのことを指摘された方が今月中にご法事で来られます。(多分、お怒りでなければ?)早々に間に合うように手配しました。

今年も「七夕飾り」に子供たちが願いを書いて飾ってくれました。
8月の夏休み「親子の集い」まで飾っておきます。
今週の風鈴演奏会”七夕の調べ”でもバックに飾ります。
88.2007年6月23日(土)
 
師恩会

先師の遺徳を偲ぶ為に建立されている法筵寺歴代墓地(法筵寺墓苑内に建立)師父上人が第一世なので、現在は、師父上人のみです。
先日、師恩会(しおんかい)という集いに参加してきました。正式には「平成十九年度 第80回 中部教区師恩会」といいます。要するに、今年度、80回目となる中部地方(長野・三重・岐阜・愛知各県)の日蓮宗のお坊さんで、今までに遷化(せんげ)亡くなられた方々のお徳を偲び感謝するという集まりです。僧侶(お坊さん)と言えども何時かは亡くなる訳で、僧侶という狭い世界で生きている分、時には先師を偲び集まりましょうということで始まったのだと思います。それが80年も続いてきたということです。毎年、開催地は順番で巡ってきますが、今年は三重県の当番でした。強制ではありませんが、開催地の方々の参加は多く集まりますが、遠方の方はどうしても少なくなります。

この会の特徴は、お坊さんの位や、役職などの地位、住職か非住職など、さまざまな立場がありますが、それは一切問わず、すべて生年月日順、生まれた日を基準に並ぶということです。しかも、出席者の中で地元の最長老が、法要の導師を務めるということになっています。
そこで、今回の導師の方は、大正10年生まれで86歳。又、最年少は昭和58年生まれで24歳でした。私と言えば、全出席者116名中62番目でした。58番目が真ん中となりますが、その方とは同級生ですので、ほとんど真ん中と言うことになります。本来は、516名(平成18年9月6日現在)おられると統計にありますが変わらないと思います。

お坊さんの世界では定年がありません。生涯現役です。もちろん住職を後身に譲ることはありますが、元気?だったら、ず〜と続けられます。ですから、今52歳ですが、まだまだ若手になってしまうのです。一般の社会では、それなりの地位や役職に就いたりしますが、平均的に年齢が高くなります。それに発言することも、どうしても控え気味になります。ご老僧のご意見が優先されていくことが多いのも否めません。ですから、ゆっくりと時間が流れているのでしょう。ただ、時代に遅れをとっているという面、すなわち今生きている人たちのニーズに応えていないとも言えるのです。特にスピリチュアル(霊性)な面に対しても、一部の人を除いてほとんど反応しません。反応できないのかもしれませんが、特殊な世界で生き続けることが許されている間はいいでしょうが、やはり時代に生きる人々が求めているのに、即応しないのは、やがて、いやすでに見捨てられているのかもしれません。
先師の功績やお徳を偲ぶこと、師厳道尊(しげんどうそん)師匠や先輩を称えること、とても大切なことでありますが、そんなことを思った先師報恩の日でした。
87.2007年6月18日(月)
 臨終の事を習て他事を習うべし。
先日、こんなお電話がありました。「実は、母が亡くなったのですが、もう火葬まで済みました。しかし、葬儀をしていません。生前中、私が死んだ時には、このお寺で葬儀をして欲しい。と言っていましたので電話しました。」ということです。突然の電話ですから、どうお答えしていいのか分かりません。まずはご家族で(一人よりも大勢の方が理解して頂き易いからです)お越し下さいと申し上げ、翌日、夫と子供さんが来寺され、詳しくお話をお聞きしました。結果、亡くなられてから12日目に本堂でご遺骨をお持ち頂き、白木のお位牌に法名をお書き(授与)し葬儀を営みました。

常々、お話をしている中の一つに、私たちは、いつかは絶対に死を迎える。死ぬということです。結婚や生まれてくることは、それなりの準備や心構えをします。突然ではありません。しかし、「死」だけは待ったなしです。もちろん、年を取る事、病気になることも、死への準備かもしれませんが、それでも、余程の覚悟や状況にならなければ、本人は死を考えたとしても、周囲は口に出せません。又、たとえ死を考えたとしても、それ以上は怖くて悲しくて、考えを止めます。家族となれば、縁起でもないと避けて通ります。でも、現実には、「死」という現象を迎えます。その時、考えてもいなかった、想像していなかったと口にはしますが、実際は、誰もが触れたくなかったということで。結局、残された人(家族)がパニックになるということです。

日蓮聖人は「だれでも生まれたら必ず死ぬのだから、なにを於いても、まず臨終の事をちゃんと考えて、それから生きるということを考えないさい(意訳)」と申されいます。もちろん、大いなる真理の世界からですから、とても深い意味が含まれているでしょうが、単純に捉えれば、もしという時、イザという時、自分の葬儀の事くらいは、例えば、宗教が決まっていないのなら、どの宗教なのか、どのお寺でとか、あのお坊さんがいいとか、葬儀の時はこうして欲しいとか、ある程度は家族と話し合っておくべきです。それでも「死人に口なし」と諺があるように、実際に送る人たちが決めなくてはならないことは山ほどあるのです。
絶対に人には迷惑を掛けていない。と言い張って生きている人もいるでしょうけど、死んだ後、その抜け殻(遺体)は誰かが処理するのです。誰かのお世話になるのですから、どのように生きることも大切ですが、自分の死ということを考えた人生観も大切です。特に、ここで強調したいのは、死を迎えた瞬間から葬儀という儀式をどのように送るかということです。
 皆さんいつも言っています。健康な時に、家庭が安定している間に、そして、この話を聞いた時(読んだ時)こそ話し合うチャンスだと。

紫陽花は、字の如く紫色が綺麗です。
86.2007年6月7日(木)
 迷惑電話?

外路地に昨年、移植した「額あじさい」が随分と大きくなり、満開に咲いています。
2ヶ月ほど前、電話が壊れ正常に機能しなくなりました。普通に使っている時は当たり前のようですが、イザ使えなくなると不便ですし、緊急の連絡がある場合は、お互いに困ります。家庭で使用するタイプではなく、いわゆるビジネスタイプ(事務用)ですので、1台を交換するだけでは解決しません。今回は基盤の一部が焦げていたようで緊急に全面交換となりました。
 ところで、多くの方も経験して迷惑だと感じるのが電話による売り込みです。あらゆる業者から、どんどん掛かってきます。私のところでは、電話帳を見て掛けてくる場合は、必ず少し間があいて続けて掛かってくるという特徴があります。(これは以前、電話帳に2種類の名称で登録してしまい、そのままになっているからです。)しかも、忙しい時とか、こんな時にというのがほとんどです。ですから、イライラは募る一方となります。相手は仕事ですから仕方ないかもしれませんが、いちいち対応するのも苦痛です。
 ところが、新しい電話機に交換したら、さまざまなオプションが付いていました。もちろん使用料が発生するものもありますが、その中で、相手の番号が記録される機能があります。これによって一度掛かってきて受けたくない番号は出なくてもいいとなります。当然、着信拒否もできます。そこで、通常の呼び出し音ではなく、心地よい曲に変えてしまえと設定しました。すると、今まで掛かってくるたびに苦痛であったのが、気になるところか、突然、心地よい曲が流れるので、全く気にならなくなりました。反対の発想でしょうね。
 たしかに、多くの人が迷惑と思っていることで、そのような機能が開発されていくのでしょうが、それはイタチごっこかもしれません。しかし、少しでも平常心を保つことは大切なことです。相手をなじるより、自ら出来ることで快適さを考えるべきでしょう。ところで、非通知で設定されている方は、間もなく繋がらなくなりますので、よろしくお願いします。
 さて、一時、迷惑メールはシャットアウト出来ていたのですが、ドメイン(アドレス等)を変えたら再び攻撃にあっています。さあ、どうするかです。
85.2007年6月3日(日)
 守護神大祭とお斎(昼食)
毎年、この時期は雨が多いのですが、本日は晴れて暑い日でした。本日は、法筵寺の守護神様の報恩感謝の日として、毎月の定例行事と併せて「法筵寺御守護神報恩大祭」が営まれました。6月は法筵寺が誕生した(開創)月であり、この時期に開催しています。
 15〜6年前の大祭は、法要後、境内で焼きそば、お好み焼き、どて煮、バザーなど様々な模擬店を檀信徒の方々で行い盛大に開催していましたが、書院の増築による場所等の問題や、だんだんとマンネリ化してしまうことで、盛り上がり(意欲)が欠けてきて(私だけかもしれませんが)、模擬店などの方法は中止しました。しかし、形は多少変わりましたが、夏休み「親子の集い」では、同じような野外での鉄板焼き等は継承され、又、新たなメンバーで盛り上がりつつあります。(今年も開催されます)

お寺は、それぞれの方針や歴史、又、地域との繋がりによって護持運営されています。歴史があればあるほど、檀家さんや関係する寺院等の繋がりもあるでしょう。私のところは、わずか30年弱ですから歴史はありませんし、あまり制約も無かったので、その分、自由に運営することが出来ました。ゆえに、上記に述べたようなことも比較的スムーズに行えたのかもしれません。
毎月、お斎(昼食)を皆さんに召し上がって頂くのですが、以前では、檀信徒の皆さんに、それぞれ分担して作って頂いていました。もちろん、どの方法が良いというのではありませんが、最近は家族で賄ってしまうことが多くなりました。これは子供たちが成長したという理由もあります。特に、年2回は、弁当形式でお出していますが、本日は、その日でした。早朝4時頃には準備に取り掛かり、午前9時頃には出来上がっていますが、それも家族内だから出来ることだと思います。もちろん、この方法が長く続くかどうかは分かりませんが、出来る間は、せめても6月の大祭と11月のお会式にはという思いで家内はいるようです。それが、僅かながらでもご報恩として皆さんに喜んで頂けたらという思いです。
今日の帰り、11月のお弁当に添えられるデザート担当の方が決まりました。ありがとうございます。楽しみにしています。

ご守護神様ご宝前
手際よく準備?  ↓ 完成のお弁当
84.2007年5月23日(水)
 ワンネスについて(1)

今日はとても良いお天気でした。


以前、伊勢湾で撮った夕日です。
当たり前のように太陽が昇り、沈むと思っていますが、仏教では、太陽は日天子(にってんし)、月は月天子(がってんし)として感謝の祈りを捧げます。
最近、このホームページ上で、頻繁にワンネスという言葉が出てきます。ある面では意識していますが、ほとんど自然の成り行きです。
このワンネス(一体)というのは、口にするのは容易いのですが、実際にそれはどんなものなのか、また、経験するにはどうしたらいいのか、難しく言葉でもうまく表現できません。又、あらゆる面で、これがワンネスとも言えるのです。
本来、すべての人々は繋がっているので、分離や対立はないはずですが、実際には、この地上世界では、親子兄弟、家族でさえ平然と殺したり傷つけたり、又、わが子を捨てたりもしています。まして、知らない他人となれば尚更のことで、肌の色が違う、宗教が違うということで戦争に発展し、殺しあうのは当然のような状況です。悲しく愚かなことですが事実です。
しかし、これらは今始まったことではありません。有史以来、続いています。しかし、もう一方では、人々の心には、純粋にそうではないという想いがあります。これも自然に湧き出てくる想いであります。このあたりに共通したワンネスという源があるのでしょう。

さて、自分自身とのワンネス、他人とのワンネス、そして大自然とのワンネス。あらゆる一体感を感じることをワンネスと表現していいと思うのですが、時々、今日こそ絶対にワンネスを体験するんだ!という方がいますが、ワンネスとは、そのようにして体験できるものはないと思った方がいいです。余程、瞑想等の達人であれば可能かもしれませんが、そうではなく、ある時、突然のように、それもとても忙しい時とか、何かに集中している時とか、また、何も考えずぼーとしている時とか、さまざまな時です。
 私が体験した一つに、ある時、高速道路を時速100Km以上で運転していました。丁度、浜名湖辺りでしたが、夕日を正面に眺める状態になりました。その時、突然、運転している状態(もちろん肉体的にはその体制を維持しています)から、太陽と一つという感覚になり、車も、周りも溶け込んでいる感覚です。時間も空間も止まっているかのようです。心の中には、一切の不安も恐れもなく、最上の至福感だけです。自然と熱いものがこみ上げてきます。なんだか分かりませんが、すごく気分がいい状態が続きました。もちろん、実際は高速運転中です。しばし、我に帰り、再び運転に意識を向けましたが、しばらくは、その至福感に浸っていました。今思えば、ワンネスとはそういうものかと思います。
 一つ、注意しなければならないことは、一度、不思議な神秘体験をすると、そのような体験を追い求め続けることが本意と思い、体験ばかりを求めて、さまざまな精神世界や、そのような世界を求め渡り歩く人がいます。私たちの本来の目的は神秘体験をするためではなく、真の心の解放であり、その輪を広げることであります。一度でも体験されたと思う方は、次のステップに進みましょう。
83.2007年5月14日(月)
 ワンネスの集い
昨日、法筵寺を会場に「ワンネスディクシャ体験コース」が開催されました。このイベントはHP等でご案内していましたので、ご覧になった方もおられると思います。
平素は毎月3〜4回位、本堂でディクシャセッションを行っていますが、今回は、特にカルキセンタージャパンの代表である大矢浩史さんが来られて行うということもあり、遠くは東京、敦賀、高山からと名古屋周辺の方々も含め一般参加の方が35名、講師の方が15名参加されました。
このワンネス運動は、宗教宗派を超えての運動で、今や世界中に広がりつつある運動です。内容については参加されることが一番ご理解して頂けるかと思いますので省略します。ただ、この運動についてホームページを一新したのも、したくなったのも、そのような意図がありました。
 ホームページとワンネスディクシャをご紹介するパンフがありますので、その冒頭の部分を紹介します。そして、気なるワンネスディクシャについて、いつでもお尋ね下さい。詳しく紹介する書籍もありますので、ここをクリックして下さい。
              
総和(そうわ)の世界へそうこそ
      〜ワンネスムーブメント デヴィン ワンネス オルガナイゼーション〜
私たちの魂は、もともと尊き存在であり、すべてはひとつです。しかし、そのことを忘れています。思い出すために多くの体験をしています。特に、この地上世界には苦しみの一つとして、さまざまな分離や対立があります。それは、他人に対してのみならず、自らの心の中にも分離と対立が生じ、それが苦しみ悲しみ、不安や恐怖として渦巻いています。まずは、ひとりひとりの心が優しさに満たされ、尊き存在であったことを思い出すことです。そのために、信仰があり、ワンネスディクシャがあります。苦しみから逃げるのではなく、素直にプレゼンスに全託することからはじまります。ひとりひとりの目覚め、気付きをワンネス運動として提唱し実践しています。
Divine(デヴィン)Oneness(ワンネス)とは、“聖なる一体・総和”という意味で、活動に際し、通称・DOOディ・オー・オー)と言います。信仰の世界とワンネスディクシャを統合し実践するのが目的です。 

ディクシャセッションの時は、本堂のムードが変わります。もちろん、さまざまな行事に於いても変わりますが、高次元エネルギーも微妙に違うようです。
  
5月13日開催した「ワンネスディクシャ会」の案内パンフレット。
82.2007年5月4日(金)
 6連敗で止めた。

勝利インビュー(いわゆるお立ち台)にてTウッズ
次女の携帯電話のカメラにて
ゴールデンウィークの真っ最中ですが、別にどこかに出掛ける事も、計画もなく、日々が暮れています。子供が小さい頃は、多少なりとも出掛けたりしたものですが、今では、アルバイトに精を出していますので「どうぞ頑張って下さい」と言うしかないです。
 昨日(3日)仏壇屋さんから頂いたナゴヤドームでの「中日対巨人」戦のチケットで次女と観戦に行きました。なにしろ6連敗中でしたので、そろそろ連敗をストップさせに行かなくてはと勝手に思い込み出掛けました。次女も「私が今までに出掛けた(観戦した)試合は全部勝っているから大丈夫」と、これまた勝手ながらの、ましてや次女と二人で行くことも初めてでした。
 試合の方は、両軍ともホームラン1本つづで8回まできましたが、ついに4点も取られてしまいました。大体こういう時には、帰り始める人も出てきます。案の定、小さな子供連れや、後ろの席に座ったいて老夫婦も、ぶつぶつ言いながら帰っていったようです。
 しかし、ある反面、球場全体がこれで帰るにはという雰囲気もありました。やがて4点も入れられた表が終わり攻撃となりました。ところがナント、森野選手のホームランなどでついに同点に追いついたのです。今まで静まり返っていた中日応援団や球場の盛り上がりは、もう最高潮です。知らない人同士も、この時ばかりは昔からの大親友という感じて喜び合っています。隣に座っていたジャイアンツファンは顔面蒼白状態になっています。そして、9回表も0点に抑え、いよいよ最後の攻撃となり、代打の立浪選手は三振。しかし、井端選手がヒット、福留選手は敬遠、そしてTウッズがサヨナラヒット。ついに連敗が止まりました。
 所詮、野球ゲームかもしれません。今、高校野球の奨学金が問題になっています。いわゆる特待生という制度です。しかし、高校生の野球に関してはダメだということだったのです。そんなことはほとんどの人は知らなかったでしょう。他のスポーツと同じ扱いで、力が優れていたりすれば、当然、そういう特典があってもいいはずなのに、学力は認めるが体力は認めないというのは、やがて、青白い、もやしみたいな、頭でっかちの、上下関係も分からないような人間ばかりが増えて、そして、そういう人たちに支配されていく未来が想像できます。
 人間というのは、個々に能力があり、みんながバラバラであり、実はそれが一つである。ゆえに、すべての事で一番、あらゆる面で最高と言えるのです。たしかに高校野球の場合は、仲買をする人が云々、越境入学が云々と言われています。どんな結論になるのは、しばらく静観するしかありません。
 球場やスタジアム、又、劇場や映画館、コンサートなどへ出掛けて、好きなチームや気に入った人を応援すること、これは自然の流れでしょう。贔屓があるから、この世なのです。
81.2007年4月21日(土)
 「祖山総登詣」赤字覚悟が・・・。4万アクセスに感謝。
昨日(20日)日蓮宗総本山身延山久遠寺へ団参(団体参拝)を行いました。当初の計画は1泊2日間でしたが参篭(宿泊)先の都合で日帰りとなりましたが、マイクロバス定員19名の参加にて開催されました。
この4月より、日蓮宗では「祖山総登詣」運動が始まり、いわゆる日蓮宗の檀信徒は、全員、身延山へお参りしなさいということでありますが、祖師堂にての御開帳や、朝勤等を行うと、その証として「登詣之証」が授与されました。まだ運動が始まったばかりで、これらの案内も数日前に宗務院より届けられたばかりです。今回、さっそく体験できたということです。
 団参は、お天気にも恵まれ、少しハードな日程でしたが、御廟所、総本山、ロープウェイにて奥之院、さらに上沢寺にも参詣できました。皆さんお疲れ様でした。

さて、今回の団参は、マイクロバスを檀家の方の協力で安くなるということもあり、ならば参加費は少しでも安価にと思い計画しました。しかし、実行段階になり、計算もれがあると分かり、赤字(お寺にて負担)覚悟となりました。
ところが、昼食代で運転手は500円でいいといわれ、ロープウェイ代は、10人単位で割引きになる券があると、参加者のI氏が見つけられ、さらに総本山での御開帳も団参になると志納金が異なる(※直接、身延山に問い合わせ下さい)ということを受付の方に言われ、赤字覚悟で望んだ団参でしたが、終わってみれば、賛助金も頂いたお蔭で、車中のお茶やお菓子まで用意でき、結局は赤字どころか御廟所のお線香代までありました。
 もちろん見積もりが甘かったということは否めません。また、団参ですので参加費の負担を少なくすることもあり、イザというときは、お寺で負担をするのが当然という考えが優先していました。
次回は、そんなことのないようにと反省し無事、終えたことに感謝しています。

ところで、ホームページを開かれた方は、今までと違いびっくりされたのではと思います。旧HPにて、4月中旬にリニアルすると予告はしていましたが、やっとリニアルできました。又、本日、4万アクセスに達しました。御礼申し上げます。
 さて、今回は、まず、アドレスから変わりました。また、PCも変えましたので少々時間がかかりました。同時に、”私の行いたい世界をさらに広げる”という思いも込めて、タイトルもそのような意味にしました。中身はあまり変わってはいませんが、1ページつづ作り変えました。まだ完全な見直しをしてはいませんので、不都合があればお申し下さい。
 ますます、怪しい世界へと懸念される方もおられるかもしれませんが、この世は「変わった奴だ」と言われて本物になるんだと思います。家内や家族はハラハラしていますが・・・。ともあれ、視野を広げていこう、対象は人類64億人、また、この世のみならずと思っています。何卒、これからも末永くお付き合い頂きますようお願い申し上げます。ありがとうございました。

御廟所(日蓮聖人の墓所)前にて



「祖山総登詣」運動にて、身延山から頂いた「登詣之証」。表と裏です。裏には、登詣番号がついていて、ちなみに0001930でした。
80.2007年4月2日(月)
 小僧と師匠

決して良いとは言えない環境ですが、それでも花を咲かしてくれました。あと数日すれば、この蕾が満開になるでしょう。
今年も境内にある、しだれ桜が開花しました。といっても写真にあるように、ほんの数輪が蕾となっての一輪です。数年前、やっと定着して花を付けた年に、どうしても移動しなくてはならず植え替えをしました。やはり翌年は花が咲かず、それでも頑張ってやっとここまできました。自然界のことです気長に木々満開になる日を待ちましょう。

3月末の5日間、日蓮宗のお坊さんになる為の登竜門として「僧道林・そうどうりん」という修養道場がありますが、弟子(愚息)が入林(入ること)しました。
宗門によって異なりますが、まず、僧侶になる為には、師匠について得度(とくど)という第一歩があります。次に宗門儀式として度牒(どちょう)があります。ここまでは、中学生の時に終えていましたが、今回、何を思ったのか、急に次のステップへ進みたいと言い出し、急遽、入林ということになりました。正直、まだ学生ということもあり、恥ずかしながら師匠として、僧侶としての訓育はほとんど行っていませんでした。しかし、実際に体験することによって、さらなる学びや気付きがあるならばと、又、自ら志願してのことなので許可をしました。
5日間の僧道林を終え帰ってきました。本人の弁を総合すると、訓育をして頂いた主任先生や主事の先生、いわゆる先輩のお坊さんに直接触れ、指導を受けたことによって、自分のまったく知らなかったことや、又、中途半端に理解していたことが理解できたようで、新たな希望や夢が持てたようである。もちろん、これからが本当の厳しい修行になるのであるが、その第一歩に、見習うべき志を持った先生、師に出会うことはとても大事なことあり、今回、めぐり合えたことが、これからの人生に大きく影響を与えていくことと思います。先生にも感謝致します。
 それは、どんなことでも同じで、志した時、求めた時、そのことを教えてくれる先生、師との出会いによって将来が大きく変わります。そのことがさらに好きにもなれば、逆に嫌いになることもあります。教える側の資質や思いというものは、
今更言うまでもありませんが、とても重要で責任あることです。物事を教える難しさは、自分よがりでは相手に通じないということです。

これからが本格的な修行となります。
79.2007年3月27日(火)
 
25日の出来事
久々の日記を書いています。25日、このあたりでもかなりの揺れを感じましたが、現地では震度6強という揺れの大きさで、能登半島地震と呼ばれるようになりました。あまり地震が起きない地域とのことですが、所詮、地球上のことです絶対に何も災害が起きないという場所はないと言うことです。先月、香港へ行ったという日記を書きました。その中に地震が起きないという前提での建物作りということを書きましたが、そのことが即座に浮かびました。
被災された方々が高齢者が多いと報道されています。又、とても狭い部屋で横になることもままならない状況での避難生活が映し出されていました。せめても早くゆったりと横になれる環境と、復旧をお祈り申し上げます。

この日は、午前から午後にかけてディクシャセッションが行われました。最近の特長として医師の方の参加が月に延べ5〜6人はおられるということです。もう1年以上続けて参加されておられる方も数名おられ、初めの頃はプライベートなことは分かりませんでしたが、後で段々と分かってきて、一層の奮起と更なる自己のレベルUPを空回りしないよう努力しています。正直、とても励みになります。

夕方からは、同業の方の結婚披露宴が名古屋城の西、某Wホテルにて行われお祝いに出かけれました。新郎は少々婚期が遅くなった分、又、本人の人柄もあるでしょうが、披露宴に出席されていた方々の交友関係がとても広く、皆さんも驚いていました。ともあれ、「結婚できて良かった!」と新郎の最後の挨拶には、万感の想いが込められて、もらい泣きしていた人もいました。まずは幸多かれと祈ります。

帰りに、いつもHP見ていますと意外な方から声を掛けられました。なんと言ってもこういうお声を頂くのが一番うれしいですし、これからも頑張るぞと、単純ですが、そう思います。
さまざまなことが、皆さんのお陰で頑張れるのです。感謝。

披露宴で自分のテーブルに飾ってあった花を帰りにプレゼントされました。本日満開になりましたので、合わせてUPしておきます。
78.2007年3月13日(火)
 
身延へ

奥の院からの富士山。丁度、この時期、ご来光は富士山の頂上から昇ります。ダイヤモンド・・・というそうです。
12日、久々に身延山へお参りに行ってきました。本来ならば総本山であり、日蓮聖人の御廟所(ごびょうしょ・墓所)へも絶えず参拝せねばなりませんが失礼をしていました。しだれ桜は蕾もかなりピンク色に染まり開花ももうすぐのようです。奥の院も参拝しましたが、積雪はありません。しかし、とても寒く日陰では霜柱がしっかりと地面を持ち上げていました。又、来月、団参を行いますので、皆さんと再び参詣させて頂きます。

11日は、ディクシャセッションST1(スタートコース)が開催されました。初めて参加された26歳男性の方より、メールを頂きご本人の了解も頂きましたので一部ご紹介させて頂きます。
「セッション後の自分の変化についてですが、今日いつもと同じように職場に出かけたのですが、まず感じたことは今までに無かった感謝の気持ちが出てきました。上司や同僚がいってくれた言葉がいつもなら聞き流してしまうことが、なぜか感謝の気持ちがわいてきて『ありがとうございます』という気持ちになりました。うれしくてうれしくていまこのメールを書いています。
先生がおっしゃっていたワンネスの感覚なのでしょうか?「自分はこの世で一人ぼっちではない。みんな応援してくれているんだ。」という気持ちになりました。
先生にめぐり合えたこと。みんなが言ってくれる一つ一つの言葉の中に神聖さを感じました。今まで嫌いだった人にも自分から声をかけられました。そしてその思いが独りよがりなものだったと思いました。『ありがとう』という気持ちでいっぱいでいっぱいで。いつも人の言った言葉の裏ばかり読んでいましたが素直な心で受けとめられています。何より自分の心に気づくようになりました。

このような意識向上を、一人でも多くの方に体感、実践して頂けることが、私の目指す世界であり使命です。私の方こそ感謝します。
ありがとうございました。
77.2007年3月1日(木)
 久々の香港
初めての海外旅行は、今から31年前、インドへ向かう途中の香港でした。1999年イギリスから中国へ返還される遥か以前のことでしたが、それでも初めて見た異国の驚きと活気溢れるパワーには圧倒された記憶があります。
その後、2〜3回は訪れましたが、今回、返還後の香港に久々に訪れる機会がありました。
町並みは、超高層ビルが所狭しと林立し、今尚、作り続けられています。地震は起きない(?)との勢いですから、見ている方は凄いとしかいいようがありませんが、実際住む気にはなれません。まだまだ、古い建物も残っていますから、超近代的な建物とのアンバランスも不思議な景色となります。
今回は、特に目的があって言った訳ではありませんので、文字通り「観光」でした。以前のように、写真を撮られた挙句に、自分の顔が皿になっていることや、キーボルダーになっていることはありません。当時は、応接間等に伺うと「香港観光」と書かれた皿に、本人の写っている写真が結構飾ってあるのを見かけました。今はみんなデジカメ持参ですから、もう昔のように必要としないでしょうね。
中国の一部ではありますが、中国本土からは気ままには来れない様で、やはり、マカオと同様に特別区として存在しています。たしかに、あまりにも違う発展をしてきたので、いきなり同じ国と言えども、どこかに規制が必要なのかもしれません。
以前、行ったことがあるタイガーバームという公園のような所は、すでに取り壊され高級マンションに変わっていました。ディズニーランドも作られていますが(行きませんでしたが)日本とはいくつか異なる・文化的、習慣的な様々な面もあるようです。
ともあれ、今回は旧暦の正月1週間後でしたので、まだまだ町の中は迎春ムードでした。超高層ビル全体にイルミネーションを施す所は、さすが香港というところです。
又、機会があれば行ってもいいところの一つです。

九龍から見た景色の一部、昼と夜では実際に見ると随分違います。この日は、曇り空でしたので、少し残念でした。

マカオの教会跡、火事で消滅して一面しかありませんが、世界遺産にもなっています。当時の建立時には、キリスト教弾圧から逃れた日本人もかなり手伝ったそうです。
76.2007年2月20日(火)
 心の教育講座

当日のパンフレットから。
先生には、以前、外氣功で療法にこられる方の症状で何度かメールにてお尋ねをしたことがありました。今後、ますますのご活躍をお祈りします。
昨日、名古屋ガーデンパレスにて、日蓮宗名古屋社会教化事業協会が主催する「心の教育講座」が開催されたので参加しました。講師の柴田寛彦先生は、日蓮宗の僧侶であり医学博士でもあります。現役の内科の医師です。又、日蓮宗の宗会議員(国会議員のような立場)でもあります。
 今回のテーマは「臨終正念とはー臨死の”いのち”への問いかけー」ということで講演をされました。
ご自分の身内を亡くされた時の状況を語られ、森鴎外の「高瀬 舟」からの引用で、死ということ生きるということを話されました。特に森鴎外の子である森茉莉の「注射」という話は、考えさせられる内容でした。
 要約すると、
 森鴎外(医師)の子供が百日咳にかかり、弟はすでに亡くなっています。その次の間で、姉も同じように苦しんでいます。葬儀を一緒にしてあげようと、又、母親は娘の苦しさに早く楽にさせてあげたいとの一心で、死んで楽になる注射を打ってあげてと医師である父親に懇願するのです。その時、母親の父が見舞いに来ていて「馬鹿なことをするな」といいます。そして、実際には注射をしませんでした。やがて3日後、その娘は回復し、のちに80歳以上の長生きをしたということです。

命というもの、生きるという、死ということを考えさせられました。話を聞きながら、世間で問われている尊厳死、安楽死、そして脳死とは本当の死なのかということが、次から次へと脳裏をよぎりました。今回は、僧侶という立場であり檀信徒向けの講座でしたので難しい問題には触れずに、亡くなる時の正しい心が大切であると経典など引用されまとめられていました。

 「脳死は本当に人間の死」であるかどうか。これについては、医学的立場、精神世界から述べられていますが、宗教的立場でがほとんどありません。
 私見ですが、脳死はやはり人間の死ではないと思います。死ということもある意味では、魂は不滅ということであれば、死はないと表現を変えねばなりません。しかし、とりあえずは、三次元的な肉体が滅びるということであれば、では「死」はいつなのかということです。実際には心臓が止まっても24時間位は、魂としてそこに止まるということも述べられています。多くの臨死体験、退行催眠等で述べられています。そうなると、今の医学的な脳死状態では生きているということになります。ゆえに生きている人間から臓器等を取り出したら、その苦しみはいかばかりかとなります。まともな状態ではおられません。
近年、ドナーとして登録しましょうということが言われていますが、果たしてどのくらいの「死に対する」覚悟があるかです。本人の意思もそうですが、家族の意思の問題もあります。臨終正念を説く時、このあたりの問題もあると思います。

 最後に、柴田先生は「わたしは肉体を提供します」と断言されていました。それは医師になる時、多くの人体を解剖をしたそうです。多くの献体があったからこそ、医師として、又、医学としての向上と発展があった、ゆえに自らもその恩返しに提供すると言われたました。
75.2007年2月11日(日)
 帰山式
2月10日は、日蓮宗大荒行堂が終わる日で成満(じょうまん)と言います。No.73でも書きましたが100日間に及ぶ荒行を終えると、それぞれ自分のお寺に帰り、無事終えたことを報告します。この報告式のことを帰山式(きざんしき)とか帰山奉告式(きざんほうこくしき)といい、関係寺院や檀信徒が盛大に出迎え、儀式を行います。
本日は、今回、初めて入行した東区H寺のI上人(23歳)の帰山式が行われ、お祝いの式に参列しました。初めての行ということもあり、特にご家族や、檀信徒の皆さんは期間中、大変心配していたことと思いますが、無事、帰山式を挙げ、本人の口から「お蔭さまに無事、成満できました」という言葉を聞いてホッとされたことと思います。
どんなにか、この日を待っていたかと、当時の自分を思い出しました。

どんな行をするのか、私の体験したことを少々書きます。
まず100日間、どんなことがあっても外へは出れません。家族が亡くなってもです。本人が亡くなる場合もありますが、過去にはそういう方もありました。それでも100日間はお骨のままで成満まで安置していたこともあったそうです。又、1日7回の水行は欠かせません。午前3時、6時、9時、正午、午後3時、6時、11時の7回です。起床は午前2時30分、就寝は午後11時の水行後です。その間は、お堂に籠もり、ひたすら読経です。木鉦(お経を読み時、叩くもの)の音は、一度も止まりません。常に、起床から就寝時間まで交代でお経を読み続けています。食事は、午前5時と午後5時の2回、しかも睡眠不足と空腹で体調が低下していますの、薄いおかゆと具の無い味噌汁のみです。(そうしないと体調を崩すので)徹底した精進です。この生活は35日間は完全に続きます。その後、面会が始まると「ご祈祷」を受け付けていきますので、多少、リズムが変わりますが、水行、読経は変わりません。入行する時には頭髪は剃っていきますが、成満時には、髪の毛も髭も伸び放題です。又、衣もよれよれになっていますので、行堂から出てすぐの頃は、警察に呼び止められた人も以前は多くいたそうです。そのくらい風貌が変わります。こうした修行を通じて、日蓮宗のご祈祷の秘伝を伝授していきます。当然、志願して入行するのですが、途中でドクターストップや諸般の事情で途中でリタイヤせざるを得ない人もあります。今年も7名いたと聞きました。時代は変われど厳しい修行には変わりありません。
 まずは、本年成満された修行僧の皆さん、本当にご苦労様でした。

帰山式を挙げるために行列をしてお寺に帰ります。総代さんや檀信徒が列に加わり、先頭には、色とりどりの成満旗を掲げます。

中央がI上人、共に入行された僧侶による水行。100日間の修行で髪の毛も髭も伸びています。
74.2007年2月4日(日)
 節分も過ぎ立春です。

節分会の本堂正面ですが、ご祈祷が始まる前に木の枠に襖が入ります。そうすると中は、まったく別の空間になり、行う我々も、又、ご祈祷を受けられる皆さんも一段と緊張されるそうです。
先週、「開運節分会」を終えた後、1日には、千葉県市川市にある法華経寺へ行ってきました。このお寺では、毎年、11月1日より2月10日に至る100日間、世界三大荒行の一つと言われる(他の2つは知りませんが)日蓮宗大荒行堂が開設されている所です。200名弱の僧侶が入行して日々、修行に励んでいます。私も27年前に入行しましたが、それは大変な修行でありました。今回、地元から4名の僧侶が入行しているので面会に伺ったということです。
この修行については、間もなく成満日(10日)を迎え、帰山式(きざんしき)という報告式がありますので、その時にでも紹介します。
 成満まで、あと10日ということもあり、かなり落ち着いてきた感じでしたが、それでも初行(はじめての行)は、一人前として扱ってもらえませんから(修法師として)、成満するまでが厳しい修行の日々であります。髪の毛もひげも伸び放題です。素足のあしは、ひび割れています。声も水行と読経で嗄れて、太く低い声となります。志願して修行に望む訳ですが、それでもドクターストップになる方もいます。泣く泣く中途退堂しなくてはなりません。そして、入行している本人はもちろんのこと、留守を守る家族や、周囲でサポートする多くの人々のお蔭で修行ができるのだと、改めて思います。

3日は、他のお寺にて節分の行事が行われ、15年ぶりくらいになるでしょうか、水行(すいぎょう)をしました。自分のお寺では毎年行いますが、やはり、他所で行うというのは、異なった緊張感があります。朝は、桶に薄氷が張っていたそうですが、行う頃には気温も上がり寒さはありませんでしたが、やはり年甲斐も無く皆さん前で行うということが・・・・複雑な心境でした。

4日は、2月盛運祈願会が開催され、2週続けての行事開催でしたが、多くの方々にご参詣頂き感謝です。
そんな訳で立春を過ぎて、やっと暮れから続いた新年の行事が終わりました。

中山法華経寺に開設されている「日蓮宗大荒行堂」
73.2007年1月29日(月)
 
節分会開催
昨日(28日)、毎年恒例となった「開運節分会」が開催されました。心配していたお天気にも恵まれ、昨年より多くの方々が参詣されました。本来、節分は2月3日ですが、当山で行う行事のほとんどは日曜日に開催しています。これは参詣される方の都合に合わせているので、曜日を優先します。特に節分会は1月最終日曜日と決めて行っていますので、だんだんと皆さんにも浸透してきたかと思います。でも、まだまだ正直なところPR不足という感もあります。

 例年通り、9時30分から節分会法要が営まれ、法要の終わる頃には堂内が一杯の人で埋まります。(もちろん、そんなに大きな本堂ではありません)まず最初の「豆まき」が僧侶の方々によって撒かれますが、これを目当てにという方も結構おられるようです。続いて、境内にて水行(すいぎょう)を住職含め4名の僧侶で行います。昨年は体力・運動不足のせいで、あまりにも貧弱な肉体をさらけ出したので家族からブーイングということを書きましたが、ついに昨年7月よりジム通いをはじめ、まずは秋の七面山登山でその成果を実感し、そのまま続けることにし、昨年よりはマシな肉体をということになりました。1年に1回の水行ですが、年齢と共に、それなりの努力が求めらるのです。今年は、来る2月3日にも、他のお寺の節分会で水行をすることになっています。でも本当は、この歳になって水行を他所で行うことには若干の抵抗はあるのですが。

引き続き、2時間連続で15名程度づつ個別祈祷を行っていきます。ご祈祷を受けた方は豆まきを行って頂き、自らも撒いて、そして拾っていくという流れになっています。豆は金平糖入りで、しかも空気が入った小袋です。当たっても痛くはありません。ただ、それ以外にも飴やキャンデーも同じくらい撒きますので、その方が当たると痛いかもしれません。でも、それ以上に楽しめるので問題はないと思います。痛かった人はすみません。

 その後は、お茶やぜんざいなど召しあって頂き、お帰りには「福引き」をして頂きます。今年の金賞(目玉賞品)は、ニンテンドウDS(リトル)ゲーム機でした。年末にはなかなか手に入らないと言われていたのですが、この賞品としました。当たったのは、家族で参詣された4歳の女の子で、当たった瞬間、本人より周囲の人の方が盛り上がってしまい、本人はビックリして泣き出してしまったと聞いています。もう一つのサプライズは、実行委員会(裏方でお手伝いをされる方々)でも同じように、一般の方が終わってから、ご祈祷や福引きを行います。今回は、総代のK氏よりゲーム機”Wii”が提供されました。これはまだ入手することが難しいのですが、Sさんが見事に金賞を当てました。最初はDSだと思っていたようですが、実は”Wii"ということを知って、ここでも家族中が大喜びされました。

そんな訳で今回の節分会も無事終了ということになりましたが、休む間もなく、又、今週は盛運祈願会が開催されます。
実行委員会の皆さんお疲れさまでした。又、ご参詣頂きました多くの皆さんにも感謝申し上げます。ありがとうございました。

一番最初は、総代さんと豆まきを行います。
その後、個別にご祈祷が行われていきます。

開運節分会のスナップUPしました。
”Wii”をみごとしとめたSさん(中央)。
提供されたKさん(左)
72.2007年1月2日(火)
 新年盛運祈願会

本年も、よろしくお願い申し上げます。
平成19年新春、お天気にも恵まれご来光も美しく拝する事が出来ました。本堂は3階にありますが、この季節は朝7時頃になると、御宝前にオレンジ色の太陽の光がゆっくりと左から右へと移動していきます。同時に、正面を向いて座っている私の背後からも、旭日が当たり、自分の影がシルエットになって写ります。この期間だけのことですが、とてもすがすがしい大いなるエネルギーを頂いています。
 
 元旦、正午から、新年盛運祈願会が開催されました。数日前から急に真冬の気候になりましたが、その分、お天気は良く、例年より多くの方々が参詣されました。普段、仕事等で参詣出来ない方々も、お正月だけはとご家族で参詣されますから、特に、しばらく会わない子供さんたちの成長には驚かされます。わずかでも機会を作ってお寺に足を運んで頂きたいと願っています。
又、法要後には、恒例の「つかみ取りお年玉」は、高校生以下の子供たちしかできませんが、とても盛り上がります。お楽しみとして思い出に残ればと思っています。今年の「お屠蘇」は社会情勢を考え、アルコール分のない美味しいお屠蘇を作りました。その分、金箔も大目しましたの、どなたの杯にも金箔が入り縁起がいいと好評で、お酒の飲めない人も子供にも、味わって頂けたので、返って良かったと満足しています。
法要後の法話や今年のテーマは、「思うまま独り言」にありますのでご覧下さい。

今年も、何卒、お付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。
71.2006年12月18日(月)
 年越し準備・大掃除
昨日は、毎年恒例となった年末の大掃除を行いました。心配していたお天気にも恵まれ、25名の皆さんにお手伝い頂きました。
大掃除は、多くの方や、毎年、新たな方々に参加して頂けることにより、お掃除そのものの仕方が異なりますので、平素、気が付かない面や、隅々まで磨かれるというメリットがあります。又、本堂では、仏具のお磨きもありますので、普段は手にすることができない所や、ご先祖様のお位牌等にも直接、手にして汚れを落としていきますので、そういう意味においては、とても親近感を持って頂けるようで、一年に一度大掃除ゆえのことです。

引き続き、正月用の「破魔矢」等の制作もお手伝い頂きました。初めて作られた方は、迎春を身近に意識されたと思いますし、新年の行事に参加され破魔矢を手にされた時には、いつもと違った気分で受け取って頂けると思います。

年越しと言えば「除夜の鐘」です。もちろん、私のお寺には境内もありませんし、まして鐘堂などありません。ですから、大晦日の夜には早々と閉門します。でも、せっかく鐘があるお寺では「除夜の鐘」にて年越しをと願うのですが、幸い、私と親交の深い、しかもホームページにリンクされている名古屋市内のお寺さんでは、年々盛大に「除夜の鐘」の行事を開催されていますので、是非、年越しには”鐘を撞きたい”という方は、次のアドレスにて参加されては如何でしょうか。それぞれ楽しい催し物も用意されているようです。
・円乗寺「除夜祭」  http://www.enjoji.jp/
・妙行寺「除夜の鐘」 http://www.myougyouji.jp/

本堂の仏具磨き

破魔矢の制作
70.2006年12月8日(金)・11日(月)
 
続”風鈴”癒し演奏会

吉田慎さんと。
6日開催した「癒し演奏会」の続報となりますが、本日、演奏者の吉田慎さんからメールを頂き、吉田さんのHPにも紹介されました。吉田さんのHP〔風音〕には、例のお経とコラボレーションした様子が動画としてUPされていましたの、『いっぺん聞いたろまいか』(名古屋弁です)と思うわれる方は、下記のアドレスへアクセスして下さい。その前に、言い訳だけさせて下さい。この時はいきなりのコラボでしたので、お経のテンポが緊張のあまり早くなってしまいました。本当はもっとゆったりと唱えると良かったと反省しています。(;^_^A(;^_^A
  http://www.lifeact.jp/kazaoto/cat8/event061206.html

参加された方から、こんなメールも頂きました。 

  昨日の風鈴コンサートはかなり良かったです。ねぇ〜〜
  初めての体験でした・・・
  最初はどんなもんかなーって感じでした・・・
  音がなれてくると・・・不思議に耳ざわりが良く うぅーんって感じ・・・で
  自然と身体が受け入れる・・・音組でした・・・
 
  先生とのコラボもすてきでしたよ!
  何故か、NHKの行く年くる年を連想しました・・・私だけでしようか?
  また機会があったら是非、企画してください。

次に機会があれば、雅楽とのコラボもいいと思いました。
そして、空調も翌日に直りました。(No68をご覧下さい)

-日記追加-感想文なので追加しました。
10日吉田慎さんからメールを頂き、感想が送られてきました。

 お経コラボ、とても気になって、昨日さっそく見ました〜〜!!
 演奏がはじまったとたん、うちの子どもがダンス!ダンス!
 と言って・・・抱っこしながら、ふたりで縦ノリでダンスしました♪
 トランスって感じていいですね〜〜♪

 いつもとまたちがった雰囲気の演奏、
 とてもよかったですよ〜〜〜☆
 うちの子もとっても気に入ったようで、
 もう一回!もう一回!と、5、6回立て続けに
 いっしょにダンスしてました〜〜♪

 昨日は心身ともに何だか落ち込んでいた感じでしたが、
 身体から何かが抜けていって、す〜〜〜っと楽になりました。
 ありがとうございました!
69.2006年12月6日(水)
 
”風鈴”癒し演奏会
午後1時30分から、本堂にて「第1回お寺でコンサート”風鈴”癒し演奏会」が開催されました。HPでご案内を掲載してきましたので、ご存知かもしれませんが、本日開催しました。冬に風鈴?と思われるかもしれませんが、参加された方は全く違ったイメージを持ったことと思います。演奏者のご紹介をHPから引用させて頂きます。詳しくはHPをご覧下さい。
吉田 慎(よしだ しん)さん・厚木市在住・38歳
風鈴演奏家。日本音楽療法学会会員。
愛知県東加茂郡「風鈴の町」テーマ曲〜遙かな空を発表して全国的に知られる。健康雑誌「壮快」では魔法の音として過去5回紹介。
風鈴ミュージックは日本各地の治療院で利用され支持をうけている。
現在は風音〜Kazaotoというユニットを結成して、「四季を通じて聴くことのできる癒しのサウンド」としての日本の風鈴の音の素晴らしさを、世界へ伝えるために精力的に風鈴演奏をおこなう。
TV出演:NHK「首都圏ネットワーク」、フジTV「めざましどようび」、日本テレビ「ニュースリアルタイム」等。以上引用です。

吉田さんのCDは、2年以上前から、外氣功療法やディクシャ等で使用していますので、参加者の中には聞きなれた曲もあったようです。癒しがテーマですから、皆さん初めの頃は緊張気味でしたが、段々とリラックスして聞いて頂けた事と思います。
又、今回のサプライズは「コラボレーションしましょう」という突然のお誘いがあり、初めはどうしようかと迷ったのですが、何でも挑戦と、皆さんがリラックス状態の時、いきなり木魚を叩きお経、さらに声明(しょうみょう・経文に節をつけたもの)に風鈴の音、ケーナ(笛)、シンセサイザーとお互いに即興でしたが、意外と好評?だったようです。ですから2度と同じようには出来ません。今回は私のお坊さんの姿やお経を聞いたことがない方々も参加されていたので、驚きと改めて別の一面に感動されていました。そうです。私はプロのお坊さんでした。そんな訳で今回の癒し演奏会は無事終了しました。

何故か、数日前に本堂の空調が壊れてしまい、結局、今日までに直りませんでした。しかし、ナント言っても風鈴は風が一番苦手です。ゆえに空調は使えなくて良かったのです同時に、ハロゲンヒーターが燦燦と輝き、やさしいぬくもりの明かりと、空調の音にも風にも邪魔されないというベストコンデションの会場となりました。何事も壊れたことが決してマイナスという訳はありません。すべては自然の流れなのです。

風鈴演奏家・吉田慎さん

私も参加しました。今回はお経の時、木魚を使いました。普段は木鉦しか使わないので、逆に驚いた人もいたようですが、実は、お寺には両方あるのです。
68.2006年11月26日(日)
 観劇は感激

中央が鈴木綜馬さん。沢口靖子さん、山本陽子さんが出演されていました。
昨日と本日、ディクシャセッションが開催され多数の参加者がありました。本日は募集定員を超えての参加があり、ワンネスムーブメントの広がりと意義を一層認識しました。特に参加された中に4名の医師がおられたと後で聞きました。決して難しい宗教の話をする訳ではありません。一定の宗教を強要する訳でもありません。ただ、私たち一人一人が尊き存在であるということ。一人一人の意識が向上さえすれば、例えば、いじめも虐待も、そして戦争さえも終えることができる。地上に誕生してきた本当の理由を知ることで、自分自身が向上できる。というような内容のセッションです。もちろん、どなたでも参加できますし、今は、HPをご覧になって参加される方がほとんどです。興味ある方は、このHPの「ディクシャ」をご覧下さい。そして、お勧めします。

先週は、劇場に足を運ぶことが2回ありました。そんなことは今までありませんでしたが、私が観劇するということは、出演者を知っているとか何かでありまして、21日は、中日劇場で「いろどり橋」という涙と笑いの人情劇を見てきました。このお芝居では、鈴木綜馬さん(元劇団四季のミュージカルスター・当時は芥川英司と言う芸名)が外氣功療法で来院され存じ上げることとなりました。今回、名古屋に滞在中、何度か療法に来られました。正直、お会いするまで存じ上げていませんでしたが、芸暦を拝見したところ、劇団四季の時代には、美女と野獣では主役など他にもメインを多々演じられておられる方でした。今回は初の時代劇だそうですが、全く違和感がなく、他の共演者の方々ともマッチしていて、ご本人は謙遜されていましたが、全体的にとても良かったと楽しませて頂きました。

24日は、アートピアホールで、檀家の娘さんが出演している「Nous13th]というステージダンスを見てきました。これは、すべて踊りですが、50名のダンサーが時には全員で、又、数名にてと、音と光とダンスをたっぷりと堪能してきました。3日間4ステージの公演ですが、なにしろ体力と根性がいる舞台だと思います。単にスクールで習っているから誰でも出れるというものではなく、オーデションに受からないと出れないという厳しいものだからこそ、見ていても納得がいく感動させる舞台になるのでしょう。今回の2つの観劇は、それぞれ感激しました。

そういえば、私も小学生の頃、体が弱く、妹がバレー(ボールではありません)を習っていて、その教室に一緒に通わされていました(本人の意思ではありません)単に体力向上の為だと思って(思うしかありません)いましたが、大体、そういうところは年に1〜2回、近所の図書館ホールのような所で発表会を行うのです。当然、本人の意思に関係なく出演させられます。創作バレーの教室でしたから、毎回数曲の踊りをタイツや衣装を着せられ、しかも鼻筋のついた化粧までさせられ踊っていたことを思い出しました。なにしろ、あの当時は男子がバレーを踊ることは希少でしたし、第一、本人が好きでやっていた訳ではありませんから、先生には随分、出来の悪い、ヤル気のない病弱な子供に写ったことだと思います。今更ながらお詫びします。
 しかし、私が入ったことで、数名のそれこそ習っていた女の子の弟が、やはり半強制的に入会させられていました。もちろん、そんなことですから長続きする男子なんていません。私がやっと中学に入学する時(坊主頭刈りでしたので、それを理由にして)に止めれましたが、その時には男子は誰もいませんでした。結局は3年以上通っていたと思います。お蔭で元気にはなりました・・・・。しかし、人生にとってどんな体験だったのでしょうか。

「名鶴ひとみステージングダンス25周年記念公演第2弾!」とタイトルにあります。
67.2006年11月23日(木)
 VS南カリフォルニア大学
午後、レインボーアイスアリーナにて、南カリフォルニア大学アイスホッケーチームと名古屋6大学選抜チームで「名古屋・ロサンゼルス姉妹都市アイスホッケー親善試合」が開催されました。息子も出場するとのことで、久々に今回は家内も一緒に観戦に行きました。
家内は「私が行くと負けるの」という言葉通り、ここ3年以上は観戦に行っておらず、たしかに大学のチームは負けることはありませんでした。でも、今回は勝手な解釈で、勝敗は抜きということで観戦しましたが、やはり負けました。しかし、即席混成チームで戦ったこともあり、それぞれが持つ実際の実力が出たのかどうなのか分かりません。パス廻しも連携プレーも果たして上手く行っていたのか・・・。何しろほとんど合流練習をしていなかったとの事。兎も角も親善試合ということですから、友好的ムードで終れば、それはそれで良かったのではと思います。

 インターバルの間も、西陵高校の50名近い女子生徒が、それぞれダンスを披露してくれたり、アナウンスも日本語と英語で行われたりと国際的でいつもとは違った雰囲気で、雰囲気だけは盛り上がっていました。しかし、なんと言っても観戦する人が少なく、地域的なこともあるでしょうが、アイスホッケーそのものが理解されていないのでしょうし、そんなの誰がするの?という返事が返ってきそうです。まあ、それも環境的にも施設的にも仕方ないのかもしれません。
 息子が帰って来て一言「なにしろ相手は大きく、ステックも長い。しかも体臭が強く、近くに寄りたくない!」という皆からの言葉だったそうです。それだけは何ともなりませんから・・・。次は、正月のインカレに向かって!!!

設備は最高なんですが・・・

並ぶと大きさの違いが分かります。白のユニホームが地元、大学選抜チームです。
66.2006年11月9日(木)
 
ゼロ磁場?

山頂から少し下った所に「ゼロ磁場」があります。
季節によって周囲の景色も随分異なると思います。今は紅葉がとてもきれいでした。


美和湖から見た、分杭峠。中央のへこんだ部分です。名古屋からは、駒ヶ根ICより、伊那ICを利用した方が道が快適です。
日本列島を縦貫する最大の断層「中央構造線」がありますが、この断層上に位置する長野県伊那市長谷に分杭峠(ぶんぐいとうげ)という場所があります。この分杭峠がゼロ磁場であることが数年前に発見されました。
ゼロ磁場というのは説明によると、互いの断層がぶつかり合う、いわゆるプラスとマイナスの力が押し合う状態の中に、エネルギーが蓄積されたり、又、エネルギーのない、零に近い状態もあるとされ、一方、ゼロにはならず、プラス(+)回転とマイナス(−)回転が一対になった素粒子状のスピン対(気)として、逆に、零場にエネルギーが蓄積される。とあります。
そのような場所においては、肉体にも影響を及ぼし、免疫の機能を高めたり、自然治癒力を推進させるので健康に良いとされています。もちろん、肉体ばかりでなく、それ以上に自然界を通じて様々な面で影響を及ぼしていると思われますが、詳しい事は分かりません。いづれにしても、身体にいいということで、私が行った日も各地から、この分杭峠を目指して人が集まっていました。丁度、谷状になっていますので、簡単な椅子のようなものが段々に作ってあり、それこそ勝手に好きなだけ座っているという、正しく自然の力を利用して癒しを行うという状態です。
昼間行ったのですが、日陰状態ですので、気温も低く、おばあさんたちは、冬支度で座っていましたが、ワイワイ騒いでおり、まるで遠足気分のようでした。静かに座って瞑想なんて・・・。とてもそんな状況ではありません。常連の人も多いようでいろいろと雑学を披露している人もいました。とにかく座ってさえいれば言い訳ですから、口コミで集まってくるのでしょうね。
私も15分位座っていましたが、結果は果たして・・・?試してみたい方は是非、どうぞ、但し、これからの季節は、とても寒いですし、雪が降ったら行けないと思います。まずは事前に調べてからの方がいいと思います。
又、この麓には、気場を活用した「入野谷」という施設もありますので、そこでしたら年中、大丈夫だと思います。気場を考慮した貸切の瞑想ルームもあります。(今回は飛び込みでもOKでしたので、1時間程横になってきました)お風呂も入れるようですがやめておきました。

今回、この場所へは初めて行きましたが、この近所にある「仙流荘」という施設には、もう25年前から、日蓮宗名古屋青年会の行事で毎年夏に何度も訪れていました。懐かしいので立ち寄ってみたら、かなり増築されていて、今やその場所は、南アルプス登山の基点基地となっていました。
もちろん、ゼロ磁場の影響は太古の昔からあったはずですから、知らず知らずの内に影響を受けていたと思います。
65.2006年11月5日(日)
 御会式と七五三参り
本日は、とても良いお天気でした。今日は、第63話でお話をしました御会式法要が当山で営まれました。御会式(おえしき)に付いては先回をお読み頂ければと思います。法要では、笙(しょう・雅楽の楽器)が奏でられる中で荘厳かつ厳粛に営まれ、普段の法要とは異なる雰囲気の中、参詣された方々も、また心地よく感謝のお勤めをされたことと思います。

又、毎年、この日には、子供の発育祈願を願う「七五三参り」祈祷も行われました。毎年と言っても、実際には2年目ですので、まだまだ皆さんには浸透していないようで、今年は2人だけの祈願でした。ただ該当する子供さんが少ないということや、参詣するタイミングが合わないということもあるようで、この行事に関しては、これから定着していくのかなと思っています。
ともあれ、幼い頃から、お寺に親しんで頂くこと、家族の会話の中に自然と手を合わせることの大切さ、又、両親もそのことの重要性を意識して頂くことで、世間で騒がれている「いじめ」「虐待」等の悲惨な事件は避けられるのではないでしょうか。このことは、今月の「思うまま・独り言」にも書きましたのでご覧下さい。
 どの親でもわが子の成長と幸せを祈ります。それは当然のことです。であれば、そのように育てていく必要があります。勝手に育つものではありません。まして、他人様が育てるものでもありません。今生、親となり子となった深い約束です。その約束を果たすのも親となった人の責任と使命ではないでしょうか。そして、その親もやがて年を取った先々にその答も出てくるのではないでしょうか。

笙の響きは心が落ち法要に荘厳さが増します。

ご祈祷後の記念に撮りました。
64.2006年10月16日(月)
 法話3座

しっかりとした”いちじく”法話に伺ったお寺で頂戴致しました。地元で採れたものです。
毎日、とても気持ちの良い天気が続いています。スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋、収穫の秋などと、四季を通じて、この季節は我々に恵みを与えてくれます。自然の恵みに感謝する、自然の神様にお礼の心を表す、いわゆるお祭り(感謝祭)も、この時期は多いのではないでしょうか。

 10月13日は、私どもの宗派の開祖(宗祖・しゅうそ)であります、日蓮聖人のご命日に当たります。今年は第725回目となります。この日を中心に全国の日蓮宗のお寺では報恩感謝の法要等を営みます。又、この法要を、お会式(おえしき)ともいい、ご入滅された地・東京大田区池上本門寺では、毎年35万人以上が集う、とても盛大な行事となっています。今年もお天気に恵まれ盛大に営まれたようです。ちなみに、法筵寺では11月5日に営みます。
 昨日(15日)も、各地の寺院でお会式法要が営まれたことと思いますが、その法要に際し、お説教とか法話を行う寺院も多くあります。私も、今年はナント2ヶ寺より、午前、午後、夜と3回の法話を頼まれまして、それぞれ1時間余、檀信徒の皆様にお話をさせて頂きました。言うまでもなく、私にとりまして、まず1日に3座行うという事はありませんでしたし、これからもないと思います。それは、その道(お説教)の専門ではありませんから。・・・・ちなみに、お坊さんでも、ご祈祷とか、お説教とか、声明とか、人生相談とか、社会福祉とか、それぞれ得意な分野がありまして、その道を極める為の、修行や研修会、講習会、勉強会が開催されています。又、それぞれの資格(タイトル)を取得するようになっています。ただ、お坊さんというのは、誰でもお話をするのは当然だと世の中の人々は思っているようですが、実は得意不得意があります。
 しかし、せっかくお声をかけて頂いたチャンスですから、お邪魔させて頂いた次第です。皆さんに喜んで?頂けてたかどうかは分かりませんが、私としては、私なりに(自己満足しかない)努力したつもりでしたので、昨晩は心地よい疲れと、緊張を癒しました。  
63.2006年10月11日(水)
 ドラゴンズ優勝!
しばらく日記が書けませんでしたが、別に不都合があった訳ではありません。ここ最近を振り返ると、昨日10日は、ドラゴンズが2年ぶりに劇的な試合で優勝しました。TV(BS1)で観戦していましたが、12回表の攻撃はやはり凄かったです。落合監督が涙うるうるになるのも分かるような気がしました。ずーと緊迫した試合でしたから尚更かもしれません。ともあれ、ひとまず落ち着きました。今度は日本シリーズ、もう少し楽しませてくれそうです。

 8日は、泉龍寺(海部郡)さんの本堂庫裏の落慶(新築)と住職入退寺式(いわゆる住職の交代)のお祝いがありました。新たに住職となった則武幸嗣上人は、私が身延山高校へ入学した時、お世話になった武井坊に住んでいて当時3歳でした。私がホームシックなり淋しい思いをしている時、周囲の人が気を使い2人で散歩に行きなさいと、よく手をつないで出掛けた思い出があります。今般、立派に成長された末の入寺式でした。お祝いに来られた武井坊の住職は、現在、前にもご紹介した日蓮宗宗務総長です。就任以前から決まっていたとはいえ、なかなか一般寺院ではあり得ません。これも彼のお徳でしょう。
 7日は、円乗寺(中川区)さんのお弟子・服部巧顕上人の結婚披露宴が名古屋城前の某ホテルで開かれました。お坊さんの結婚式は、自分のお寺の本堂で結婚奉告式を挙げ、その後、会場を移し披露宴を行うのが平均的な方法です。出席者の大半が、どうしてもお坊さんばかりになりますので、新婦側の出席者の方にしてみればある程度分かっていても、坊主頭ばかりでスーツ姿ですから、どのように見られて(写っているのか)いるのか・・・・。でも、普通の人と変わりませんから・・・。
彼のお礼の言葉から「日蓮大聖人は32歳で立教開宗を宣言されました・・私は素晴らしき奥さんと巡り会えました。」拍手喝采の内に結びとなりました。これからの活躍とお幸せをお祈りします。尚、彼もHPを作って頑張っています。

地元の新聞から。
スポーツ新聞はすぐに完売でした。

62.2006年9月25日(月)
 お寺でコンサート(妙泰寺)

本堂でのコンサートは、音響的にも言いそうです。特に、その場の「気」のエネルギーにもかなり影響されるようです。今回は気持ちよく演奏できたそうです。
23日はお彼岸の中日で、本堂で「写経の会」が開かれ、多数の方にご参加頂きました。毎年、この時期に開催していますが、これは書写行(しょしゃぎょう)といってお経を書き写すという仏教修行の一つです。古来から続けられているものですが、いざ書きましょうと言っても、すぐに書き始めれるものではありません。ある程度、準備や心構えが必要かと思います。そういう意味で、あえてこのような時期や、本堂で行いましょうとお勧めしています。次回は、是非ご参加下さい。

24日は、一宮市の妙泰寺様の本堂で、ヒーリングコンサートが開催されましたのでその演奏を聴いてきました。今回は喜楽堂という「Toshi小島&七海」さんというご夫婦の演奏会でしたが、日本では珍しいディジュリドゥという楽器を主に打楽器や管楽器、ギターの弾き語りなどが中心でした。本堂という空間でしたが、竹などを用いて雰囲気作りがしてあり良かったです。尚、この本堂の設定は、近隣のお坊さんが行ったそうで、以前そんな仕事をしていたそうです。
 このディジュリドゥという楽器は、オーストラリア先住民族アボリジニが太古の昔より聖なる道具として使っていた世界最古の木管楽器で、ユーカリの空洞化したものであり、自然の産物である。と説明されていました。低い音ですが、心地よい音色で、楽器の名前も音からディジュリドゥと聞こえるので、そのままの名前になったようです。
 小島さんご本人が、一宮市の出身で生まれたのは、妙泰寺さんのすぐ近くということもあり、お母さんも会場に来られ、又、コンサートとしては初めて聞いたとのことで、演奏後は、しばしいろいろなお話を聞きながら楽しませて頂きました。

 お寺でのコンサート、最近は各地で行われるようになりましたが、こうしてお寺を解放することは大切な事で、いつでも鍵がかかっていて敷居が高いと言われない努力も必要です。


続けて前の日記を読む

ディジュリドゥは、かなり大きい楽器です。しかし、こうして持ち上げて演奏できるようでもあります。