言いたい放題!気まぐれ日記 その1(平成17年6月2日〜平成17年10月11日)
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30.2005年10月11日(火)
お祭り 無事修了!

法筵寺南門に設けられた「お宿」

9・10日と、この地域(道徳学区)の山神社の祭礼があり、それぞれの町内ごとに「祭礼の宿」が設けられますが、今年は、その「お宿」が法筵寺南門の駐車場内となりました。今までは、有志の方の家の一部をお借りして行っていましたが、諸般の事情で会場が移りました。
元々、お寺では、お祭りやそれらに関連するような紅白幕、ポール、テーブル、椅子などは、年中行事で使いますので用意はしてあります。いつでも、すぐに設定できますので、それこそ朝飯前でありますが、お寺へも初めて来られた町内の人は、どのような評価をされているかわかりませんが、ある程度期待にはそえたとは思います。

特に、2日目は雨でしたので、雨がしのげた分、ゆっくりと皆さん歓談できたのではないでしょうか。もちろん、私たちは設営と解体、順番に廻ってくる「お宿の当番」以外はノータッチです。又、お祭りと言っても、今では決められた時間になると子供たちが集まってきて神輿を引き、獅子をもって町内を1周歩くだけです。私が小さい頃は、ず〜と外で遊んでいたように思います。
お祭りより楽しい事がたくさんあるのでしょうね。

 本来ならば、お寺は地域に密着しているものですが、時代と共に、お寺の敷居も高くなり、平素は、ほとんど人が出入りしないのが現状です。例えば、境内で勝手に遊んでいた子供が、もし怪我をした場合でも、管理責任を問われるのはお寺側です。それでは益々人を入れないようにしていくのは当然かもしれません。
しかし、一方では、地域の公共性に関与していないと云々と、宗教法人法の法律が改正されてまいります。開かれたお寺・・・とは。難しい問題でもあります。
でも、これらは切実な事としてこれから大いに議論されていくと思います。

さて、町内のお祭りと言っても、「山神社」という神道系のお祭りです。私のお寺ではなんら問題はありませんが、中には個人的な宗教信条や、一宗派のお寺へ出入りすること自体、抵抗がある方もいるのではなかったのか、その事のほうが心配でした。もし、来年、会場が変わっていたら・・・・。


この町内だけは、なぜか子供が多いそうです。このあとにも、ぞろぞろと続いています。
29.2005年10月9日(日)
富士山経ヶ岳へ

昨日、以前(9月9日付)、お話をした富士山経ヶ岳の団参を行いました。
今回は、日帰りの団参として開催し23名の参加がありました。参加者や有志の方にも、それぞれ世界平和を祈り、お題目写経をして頂きました。

心配していた雨も富士山五合目に着いた時のみ少々濡れましたが、昼食を終える頃には止みました。しかし、場所によっては高山特有の強風が吹いていましたが、経ヶ岳までの間はほとんど影響がありませんでした。
意外と富士山に日蓮大聖人の史跡があることは知られていません。今回は、初めて訪れる人ばかりでしたが、富士山を見るたびにこれからは想いが変わるのではないでしょうか。
今回は、檀家さんの運転(プロです)で、しかもその方の会社内で使うバスを借りる事ができたので実費だけの参加費で済みました。参加費も含め、このような団参は好評のようで帰りのバスの中では、次はどこへ行こうかと話が盛り上がっていました。

しかし反省点もあり、例え20名程度でも班ごとに分け各責任者を設けないと、はぐれてしまうということにもなりました。以前は、コンテまで作って団参を行っていたのですが、今回は、少ないからという安易な考えではダメ!次の為にと改めて反省させられました。
写真やスライドもあります。


日蓮大聖人が篭られていたとされる洞窟の前にて(姥懐・うばふところ)

洞窟の隣にある碑、大聖人が法華経を納経された場所
28.2005年10月2日(日)
第一日曜日は”祈りの日”

たくさんのお菓子と、すでになつかしいモリゾー・キッコロの飴もありました。

寺の行事こそ、それこそ自由に開催しているものはないのでしょうか。
1月は正月元旦から(私の所もそうですが)、12月31日大晦日まで、全国の寺院を調べれば、連日さまざまな行事(イベント)を開催していると思われます。それぞれに意義を持って行っているのでしょうが、何分(なにぶん)にも宗派という壁があり、オラの寺が一番!という意識の中で張り合っている(いる訳ではないでのしょうが)状況であり、そんな状態で、日本の仏教が支えられているのが現状なのかもしれません。

今日は、毎月第一日曜日に開催している「盛運祈願会・せいうんきがんえ」という、1ヶ月間の無事を感謝し、さらなる月の安泰と世界の平和から、個人の願いまで祈ってしまうという行事が行われました。宗旨宗派は問いませんので、それこそ老若男女を問わず、参詣者の半数以上は檀家でない方が占めています。そのため月によって、人数はかなり変動しますが、数よりまずは参詣されることに感謝です。
 今月は、特に、皆さんへの「お供物」(お経の上がった品物)として、お持ち帰り頂く数が多かったです。それぞれお供えされます方は、日々の感謝の気持ちとしてご本尊様にお供えされるのですが、その一分をお分けして頂くことにより、さらに功徳が積めるようになっているのです。ですから、受け取っていただく人もいないといけないのです。

余談ですが、賽銭箱も、お賽銭を投げ入れると手前に戻ってくるように作ってあります。これも同じ意味があり、布施をした分は、それ以上に周り廻って自分の元へと来るということであります。
ですから、あとは、どのような気持ちで投げ入れるかは、心の問題ですね。

27.2005年9月30日(金)
癒されます。

久しぶりに、水族館へ行ってきました。
近くてもなかなか行けない、行きたくてもチャンスが意外とない。そんな経験は結構あると思うのですが、その中の一つが、私にとって名古屋港水族館です。お寺から車で10分もあれば充分行けてしまう近さなのに、その機会がありませんでしたが、今日は、午後から出掛けてみました。
 イルカショーの始まるまで1時間程、メインプールの前でイルカやシャチを眺めながらボーとしているだけで充分楽しめます。時々、飼育係りの人が来て、目の前でイルカたちと遊んでくれたりと、たしかにプールの中で飼われているのかもしれませんし、ショーもやらされる訳ですから、大自然のイルカたちとは違うかもしれませんが、それでも水槽の中を眺めているだけで癒しはあると思います。

それこそ、シャチのクー(メス)は、以前もどこかで書きましたが、和歌山県の太地町から来たもので(リースされています)、名古屋港水族館へ来る前に、このクーがいけすで飼われていた時に出会っていました。夕暮れの誰もいなくなったいけすに、クーが触れそうな位まで近づいてくれました。その時、又、「いつか会おうね」と声を掛けたことがありました。
そんなことがあったので、まさかこんな近くに来たとは・・・。そんなこともあり、水族館へ行くのが楽しみの一つでもあったのです。
もちろん、今はまだクーとは会話できませんが、そんな日がくればと思っています。


見てても癒され、楽しいです。

シャチのクーは、さすが近くで見ると大きいです。
26.2005年9月26日(月)
185日間・2204万9544人

「ありがとう185日間」

「自然の叡智」をテーマに、3月25日〜9月25日まで開催されていた、正式名称「2005年日本国際博覧会」・略称「愛知万博」・愛称「愛・地球博」が、ついに昨日閉幕となり、入場者総数は2204万9544人であると発表されました。
計画から開催、閉幕に至るまで関係者すべての人々は、まずはほっとしていることと思います。内容が大きくなればなるほど、公共性が増せば増すほど、賛否両論はあるので一概には言えませんが、こうしたイベントを通じて文化や社会が進んでいくことも確かなことですので。なりよりも大きな事故も災害もなかったことだけでも良しとしましょう。

私は、結局2回会場へ足を運んだだけでしたが、こんな事は書くなと言われましたが、家内と次女、それに家内の母親は、幾度となく通ったみたいで(ハマッタようで)、ついに最終日には午前5時に最寄の地下鉄駅まで送りました。そして帰ってきたのは日付が変わっていました。
何度でも入れる入場券が功を奏したようで、総入場者の4割がそうであったとのことです。中には期間中200回以上(1日に数回入場)も通った人もいたとTVで特集していましたが、皆さん、随分健康になったとも言っていました。終わった後は、どうしたらいいんだ!と、そんなことは私が考えなくてもいいのでしょうが、それぞれに良き思い出が作れたことに感謝できれば、成功だったのでしょう。モリゾー・キッコロも永遠に森に帰るというストーリーになっていて、そういうロマンも含め、この地元での185日間、国を挙げてのお祭りは終わりました。

 来週は、町内のお祭りで、お寺の駐車場が今年から「宿」になります。あまり関係ないとは言え、そっちの方も成功させなければ・・・・。


モリゾーとキッコロ初めの頃は目が怖いと言われていました。
25.2005年9月24日(土)
お彼岸です。

昨日は、秋のお彼岸のお中日(ちゅうにち)ということで、写経の会を開催しました。
お寺で、写経の会を開催するのは久々でしたが、今回は、お彼岸の期間中を選びました。この期間に仏道修行を行うことは、とても大切で意義あることが説かれています。是非、そのような意義も込めて「写経」ということになりました。

 午前、午後と2回に分けて開催しましたが、中には初めて挑戦という方も何名かおられ、手を清めるための塗香(づこう・お経を写経するとにあたり、手を清める為に用いる粉末状のお香)を神妙に受け取られ、心も清浄に真剣に写経に取り組んでおられました。

今回、それぞれの写経された想いとは別に、世界の平和や、人類の安泰を願い「お題目写経」も最後に行って頂きました。この分については、来月、富士山経ヶ岳に納経(形は変えます)をかねて、皆さんで参拝しようと計画しています。(この下にある9月9日付、日記を参照してください。)
もちろん、参加できない方でも世界の平和を祈る「お題目写経」は受付けていますので、10月の盛運祈願会には、是非、「お題目写経」をしてください。

アメリカでは、再度、強烈なハリケーンが上陸するというニュースが連日、報道されています。被災地の方々は心配でしょうが、まずは被害が最小
であることを祈ります。
愛知万博も、いよいよあと明日のみです。地元TVでは、特集が多く、どこも名残惜しそうです。


真剣に写経に取り組んでいます

皆さんの書かれた写経
24.2005年9月16日(金)
数十年ぶりの電車

身延駅前は、随分前に町並みを整えるため、通りの建物を全部壊し、統一した建築物になっています。
でも、人影はありませんでした。
昨日・今日と、身延山へ行ってきました。
しかも、何十年ぶりかで電車で行ったのですが、最後に乗ったのは何時だったか全く記憶にありません。新幹線と身延線を使って行くのですが、今でも身延線は単線で、車両は近代化されていても速度は昔と変わりませんし、景色もあまり変わってはいないと思います。
 この電車には思い出があります。それは、35年前になりますが当時、学生(高校1年から6年間〔短大3年制〕身延のお寺で修行しながら学校に通っていました)の頃、夏休みなど、僅かの休暇が貰え、家へ帰ることが出来ました。毎回、家へ帰る時は、うれしくてその日を指折り数えていましたが、再び、家から身延へ帰る時には、薄暗い照明の古ぼけた電車に揺られながらに、しかもそのスピードの遅さも加わり、だんだんと近づく身延に、なんとも言えない淋しさや、辛さを思うその想いで胸が一杯になりました。それこそ帰る日は食べ物も喉を通らなかったと記憶しています。もちろん、そんな想いをしたのは私だけではないと思いますし、送り出した両親も又、同じであったと思います。
 このようなことは多くの人々が経験されていることだと思います。さまざまな事情があるにせよ、故郷を離れ、親元を離れ生活をすること、他人の飯を食うというようなことは、むしろ昔は当然のことであったのかもしれません。
 しかし、時々、その当時の夢を見ることがありました。それは、とても淋しく束縛されている感じを受けていましたので、一種のトラウマになっていたのかもしれません。もちろん、その事に気付くことができ対処しましたので、今回は同じ路線、景色なのにまったく新鮮な旅になっていました。

 さて、今回の目的は、それこそ学生時代、お世話になった武井坊(お寺・宿坊)のご縁のある人々の、年に1度の同窓会のようなもので、先師の年回忌法要も兼ねての集いとなりました。このお寺は、父の師匠のお寺でもあります。法要では父のご回向も頂きました。
 今回は、遠近より40名位出席されましたが、それこそ80代から、20代までの幅広い年齢層であります。
宴席になると、アルコールが入り、それぞれの思い出話に花が咲くのですが、ご高齢の方はよく昔の事を覚えていらしゃいます。(最近の事は・・・失礼!それに、職業柄、話すことは得意ですから・・・)ゆえにマイクを一旦持つと話がなかなか終わりません。次から次へと記憶が蘇るのでしょうね。さらに、同じように苦労された仲間の方から、一言二言相槌が入ったりと、拍車がかかるのは当然のことでしょう。
私も年を取るとそうなるのかと複雑な思いで聞いていました。もちろん、今回は、それこそ、私のような若造は一言で充分と自己紹介のみで終わりました。いずれ年を取ったら、だらだらとなりますから(嫌われても)
 でも、同じ釜の飯を食った仲間という意識が働くのか、だんだんと年齢の枠は取り払われて楽しい時間は過ぎていきました。 又、来年も、皆さんとお元気でお会いできますよう願い帰ってきました。

本堂での先師法要
ここで、15歳から6年間毎日祈ってました。
23.2005年9月13日(火)
万博で折鶴。
12日午後5時〜8時まで、愛知万博の会場内にある、ロータリー館(友愛の館)にて、日蓮宗名古屋宗務所主催の「いのりんぴっく・愛知万博」が開催され、2度目となる愛知万博へ行ってきました。愛知万博も残り13日となり、連日、超満員で12万人は当たり前となっています。そんな中での開催でしたが、日蓮宗の市内寺院の檀信徒を中心に500名近い人たちが訪れたと聞きました。企画関係者の人は、どういうことになるのか心配であったようですが、ひとまず成功というで良かったと思います。

 参加者は、若いお坊さんたちの話を10〜15分位、聞いた後、隣の部屋に移り、お題目の書かれた紙に願い事を書き、さらに鶴を折るということです。その鶴は、5色あり、丁度、お題目が両翼になるというもであります。
鶴が完成した後は、お饅頭と抹茶の接待がありました。
短い時間に、直接参加してもらえるような形式にしてあり、万博らしい内容でした。

次回は、11月19日に「名古屋いのりぴっく・法音寺会場」で、さらに盛大に開催される予定です。又、その時は、事前にご案内できるかと思いますので、皆さんも参加してください。

上は、お話を聞く会場。
下は、折鶴

お話を聞く会場

お題目の書かれた折鶴
22.2005年9月9日(金)
経ヶ岳

富士山六合目に立つ、
日蓮大聖人の銅像

久々の日記となりました。もちろん、毎日色々なことはありましたが、ついつい今日になってしまいました。(タイトルが、ホント気まぐれで良かったです。)
 アメリカのカトリーナ、日本のナービー(台風14号)は、大変な被害をもたらしました。詳しい事は、皆さんすでにご承知の通りです。同じような勢力であったようですが、条件によって被害状況があんなにも異なります。それは、これからも起きる災害に対して同じことが言えると思いますので、いかなる時でも大丈夫ということはないのでしょう。

 さて、昨日、富士山の六合目にある「経ヶ岳」というところへ行ってきました。ここは、日蓮大聖人が参篭され、「立正安国」(現代風に言えば、世界平和)を祈念され、法華経を納経された場所として残っています。
今回は、写経の会を開催するに当たり、その写経の一部を納めよう(もちろん形は変えます)という計画の下見ということでありました。
 以前にも一度行った事がありますが、今回は、すぐ下にある山小屋の方にお話を聞く事ができました。
それによると、以前ここを管理していた人(尼僧さんだったと思います)が、全面的に身延山久遠寺(日蓮宗総本山)に管理や運営を託されたとのことです。しかし、あまり身延山の方から、掃除やお参りに来ないと言っていました。もちろん身延山でも、専属の人が決まっているとは思われませんので仕方がないと思うのですが、そのことをしきりに語っていました。
 どうやら、私に、まして、同じ宗派のお坊さんとしては見られていないようで、良し悪しは別として本音で、しかも、かなり厳しい口調で語られていました。(その後も最後まで、家内に語りかけていましたので・・・・)

いづれにしても、八角堂の本堂や、休憩場所、日蓮大聖人の銅像、さらには、実際に日蓮大聖人が篭られていた場所、納経された場所が存在していますので、このままではと思いました。話では、身延山が建て替える計画や図面までできているとか、しかし、場所が場所だけに難しいとも・・・。
 今、身延山では、五重の塔を再建するために勧募をしています。今の法主猊下(身延山の住職)の実父も同じ法主猊下でしたが、この方が、当時、この経ヶ岳の再建をされたとありました。私のような凡僧には難しい事はわかりませんが、同じ経典を納める場所の再建、何か意味があるのでしょうね。
 来月中には、日帰り団参で皆さんと参詣してまいります。又、ご報告します。


三合目あたりから望める
雲海
21.2005年8月31日(水)
夏休み!家族旅行

家族揃っての夏休みがやっとできました。
ここ数年は、全員が集まっての旅行ができませんでしたが、今回は、長男のクラブ合宿の日程が変わったために実現しました。
行き先は、和歌山県の高野山を中心としたその近辺でした。高野山は言わずと知れた真言宗の総本山で、弘法大師空海上人が開かれた山で歴史は1200年あります。最近では、世界遺産にも指定されました。海抜900メートルの高峰上にあり33万坪の一大盆地にあり、なんといっても、そこへ辿り着くまでの道のりはカーブと狭い道で、前日までの七面山登山での足の筋肉痛を耐えながら、ブレーキとハンドルさばきに神経を尖らしてのドライブ旅行となり、足はさらに疲れました。
自宅からは5時間もあれば充分行ける所ですが、運転に自信がない人は少し緊張していかれた方がいいかもしれません。

又、、この高野山には、日蓮大聖人も遊学(勉強)に訪れた場所であり、どこで勉強されたかは調べていませんが、当時の比叡山、京都、奈良の各宗派の寺を廻られたとあります。私たちは単なる一観光客でありますが、廻ったお寺は板の間も掃除がよく行き届いて、他の観光客も足が汚れないと・・・たしかにきれいでした。
金剛峯寺を中心に、各寺院(宿坊)が50ヶ寺程あるとおもいますが、身延山と違い、ほとんど平面に点在していますので、道路や駐車場も整備されていました。
どうしても他宗の総本山と比べてしまいますが、参拝者を多く迎えるためには、道路と駐車場、そして大勢の人が休憩できる場所が必要です。未来、数百年単位での計画で設計と整備が重要なんでしょうね。でも、自然破壊になってもだめですし・・・。無理して困難な所へ、わざわざ行く事に意味があるのでしょう。

そんなことで、今年の夏休みは終わりました。


金剛峯寺の石庭は見事でした

突然の雷雨でしたが、場所を移動する頃には天気になりました。
20.2005年8月28日(日)
七面山登山。

下山後の、達成感がたまりません!これで又、来年もとなります。

昨日(27日)と本日、第28回目となる(お寺となってからで、その前からだと倍以上)七面山の登山団参が行われました。
今年は26名の参加があり、心配していた台風も無事去り、お天気には恵まれました。でも、今朝のご来光は残念ながら拝む事はできませんでしたが、やはり夏は可能性として少ないようです。
又、今回は、久々の8月の開催で、例年は9月のお彼岸過ぎが多かったのですが、1ヶ月早いと暑さもそれなりに、汗の出る量がぜんぜん違います。それは、普段のビールのせいかもしれませんが・・・。

この七面山は1900m位登るのですが、毎年、自らの体力・調子を自分自身に問いかけながらの登山となります。しかしこれもまた、平素の運動不足を嘆くばかりです。
足にテーピングを施しての挑戦ですが、何度登っても厳しさには変わりありません。

道中、4ヶ所の休憩所(坊といってお寺です)がありますが、年々、登る人が減少し、8月といっても、土日しか参拝者がいないと嘆いていましたが、それによって、皆が楽しみにしていた36丁の「おでん」が今年はなく、あまりにも人が少ないので作って置けないそうです。
そんな状況でがっかりしていた人もいました。それぞれ、道中の休憩に何を食べるかが一つの目標になっていたようです。

そんな訳で、今年の団参も無事、終わりました。毎年、こんな辛い山は、もう来ないという人がいます。でも団参募集を始めると、何故か一番に申し込みをされるのです。そんな意味でも不思議な七面山登山であります。もちろん信仰の山ですが、それも一切関わらずです。
さて、後はしばし、筋肉痛との戦いとなります。

写真やスライドも御覧下さい。


子供はいつでも元気です。
19.2005年8月23日(火)
ついに愛知万博へ!

昨日、ついに?「2005年日本国際博覧会・愛 地球博」EXPO 2005 AICHI JAPAN (正式名称はよく分かりません)要するに、愛知万博のことですが、ついに行ってまいりました。
地元、愛知県で開催されていますので、本来ならば、もっと早めに行けたのでしょうが、昨日になって初の訪れとなりました。こういうイベントは、行くタイミングが難しいのと、中には意地でも行かないという人もいたりしたて・・・。結構、地元の人でも、まだ行っていないという人もいるようです。もちろん、自分の顔写真を貼った期間中は何度でも行けてしまうという入場券で、それこそ、毎日のように通っている人もいます。終わってみると「私は○○回行った!」と、さまざまな自慢話が出てくると思います。

 ともあれ、35年前に行った大阪の万博(ほとんど覚えていませんが)と、この愛知万博とでは、比較する必要はないのでしょうが、やはり国を挙げての1つのお祭りなのでしょうね。当初の予想入場者数1500万人は、先日突破したようで、どうやら何度でも行けてしまう入場者が底上げしているのかもしれません。わざわざ遠くから、たった1日のみに来場し、パビリオンに入るため5〜7時間並び、しかも目的の場所には行けなかったという人もいたようで、反対に、毎日のように通い、今日はこのパビリオンのみにかける。という人もいるでしょう。今更どうこうは言いませんが、もう少し方法があるかもしれません。

 あと高齢者や障害者、バギーを引いた人たちには、やさしさを重んじてということで、様々な優遇や配慮がなされているそうですが、実際はどうなのかという話も聞きます。決して、すべて該当する方々がそうではないと思うのですが、例えば、バギーは明らかに不要でしょうという子が使っていたりして・・・。(これでも優遇されるとのこと・不都合があれば降りればいい)これはとても難しい問題にもなりますので多くは語りませんが、「愛・地球博」なんですから、本当の「愛」とは何かを知る(愛知ですもの)、そういうことを実体験できる万博もあっていいのではないかと思いました。
こんなのはどうでしょうか。それは、人種を超え、宗教宗派・主義主張を超え、どんな人でさえ、そのブースやパビリオンに入ると「悟ってしまう」ような・・・・。これは、別に万博でなくてもいいのでしょうね。

 すべからく「愛とは与えるもの」ですから、皆が、そういう心になれば大成功なんでしょう。
6時間程で、すべてのコモンを廻りましたので、今日は筋肉痛です。今週の七面山登山の準備だったかも知れません。


モリゾーゴンドラから・左がリニモ。
中央は整備された道路

ブータンにある釈迦像。
アジアの仏教国は、ほとんど仏陀像がお祀りされていました。

18.2005年8月18日(木)
蝉から虫たちへ

ここは、イタリヤと言っても、今年の春にオープンした名古屋港にあるイタリヤ村です。
お寺から車で10分弱で行けるのですが、お寺へ来る人たちは、こんなに近かったの!と、まずそのことに驚いています。ですから、水族館も近いのです。

お盆も終わり、一般社会では夏休みもほとんど終わったようですね。しかし、これから夏休みという方もいるでしょう。私たちも、これからですと言いたいのですが、子供たちは、テストや学校、アルバイトがあるとかで、なかなか家族での休みが定まりません。しかし、親の特権で作りますが・・・。
 夏の甲子園・高校野球は、先程、ベスト4が決まったようです。地元、愛工大名電は1回戦で敗退してしまったので、それ以降はあまり関心がなくなり、TVも時々見るだけとなりましたが、地元が勝ち進んでいくということは、それなりに意識しているということでしょうね。

あれだけ毎日、うるさく鳴いていた蝉も徐々におとなしくなり、秋の虫たちの鳴き声が聞こえ始めています。まだまだ猛暑なのですが、季節は秋に確実に進んでいると感じます。

昨日は、今年の5月から始めたディクシャセッションの9回目が開催されました。参加された方も延べ90名余になりましたが、始めた当初は手探り状態で、しかも皆さんにご理解して頂けるだろうかと心配していました。ディクシャは、自分の力で行おうとすると失敗します。あくまで高次元エネルギーが私の身体を通じていくだけで、しかもそれを受け取る方が、それ相当に受け取って頂けるものですから、自分の力だと錯覚さえしなければ良いのです。求める人々に与えていくだけのことであります。
セッションの回数が増すごとに、又、参加される方も回数が増すごとに、ディクシャによる効果をお聞きすればする程、それは私の力ではないと、益々謙虚にならざるを得ません。ディクシャについての詳しい事はここでは触れませんが、宗教宗派に拘らず、人生を好転させたいという求めるエネルギーが、より効果的に現実化しているのでしょう。詳しい事や体験感想文などはこちらをご覧頂ければ幸甚です。

17.2005年8月14日(日)
ご命日

今日は、私の師匠であり父の第26回忌にあたる命日です。
この日は、毎年「開山報恩会・かいざんほうおんえ」として法要が営まれ、本日も午後から暑い中、有縁の方々に参詣ご焼香頂きました。
25年前の今日、亡くなったということですが、それは、このお寺が誕生した年でもあります。ゆえに、法筵寺としても25年経ったということにもなります。

常々、お話をしている中に、お寺というものは人生で例えると10年で1歳位と思うのです。ですから25年は、わずか2歳半で、まだよちよち歩きというところでしょうか。歴史が400年、500年にもなれば40歳、50歳ということで重みも出てまいりますし、順調であれば、それなりの檀家さんの数もあるでしょう。お寺というものの歴史を考えた時、そんな風に思います。ですから、お寺の歴史とか格式云々と言われてしまうと、なんとも反論できないということにもなります。
しかし、あえて、お寺を新たに作ることができたことは、そのような運命であったにしろ先代上人(師父)や母、篤信者であった高崎氏、さらには皆さんのお蔭であります。今日の法要は、そのような感謝を込めてのことでもあります。

これから、「お寺」というものは、様々に変革を求められていく時代だと言われています。葬儀一つをとっても、その変化は急速です。ほとんど葬儀屋さんのリードではないでしょうか。果たしてお坊さんはどこまで関っているでしょうか。葬儀屋さんに文句を言う前に、せめて自分のお寺の檀信徒には、これが私の寺の「ザ・葬儀!」だとあらかじめ説明しておくとか、そういう案内を作るとか努力は必要でしょうね。
「葬儀」や「死」という話は縁起が悪いとか・・・。でも、お坊さんがその話をしなかったら誰がするのでしょう。まずは、人間はいつか”絶対に死ぬ”ということから始めていけば、生きていることがなんと素晴らしいことか。に繋がるのです。
まだ、お盆中です。せっかく皆さん家族で集まっているのですから、まずは、最年長者の方が、「わしが死んだら、○○さん(お坊さんでも牧師さんでも、引導を渡してもらう・葬儀の中心なる人)に葬式を頼む!」と宣言しておいて下さい。そうすれば親族一同も皆んな、納得してイザという時困らないのです。但し、あくまで年長者の人が口火を切って下さい。でも、そういう人、この日記見ないかも・・・・!残念。


   真夏の空に、カモメ 
 
16.2005年8月8日(月)
親子の集い

夏はプールに限る・・・!
いつまでも遊んでいました。

ある時、こんな会話がありました。
「私は小さい頃、親に連れられてお寺に来ていたのですが、嫌な思いばかりしか残っていません。何故なら、お寺から帰ると、いつも怒られていたのです。行儀が悪かったとか・・・。だから、どうやったらお寺へいかなくても済むのかと、そればかり考えていました。」この言葉は、私にとってとても衝撃的でした。

 昨日、夏休み「親子の集い」が盛運祈願会に引き続き開催されました。

この「親子の集い」は、まず子供たちに、手を合わせる(祈り)ことの大切を小さい頃から教えようということから始まりました。しかし、なんと言っても、子供だけでお寺へお参りに来る事は問題がたくさんあります。よって親が連れてくることになります。又、単に難しい宗教の話では飽きてしまいます。それでは返ってお寺が嫌いになります。様々な試行錯誤の結果、親も子も楽しめればいいのですから、初めの2時間は祈りに関することで、あとは、皆で大いに楽しもうと計画しました。
なんと言っても、冒頭の会話が残ってしましたので・・・

特に、今回は日蓮宗名古屋青年会の若きお坊さんが7名も応援に来てくれる事になり、お話や信行面(祈り)は、すべてお任せしました。このような各寺院への応援体制は今年から始められ、私のところが初めてということもありお願いしました。
子供たちも、太鼓をたたきながらお題目を唱えたりと、いつもと違って楽しく真剣にできたようです。親の中にも始めて太鼓をたたく人もいて、親子と一緒に良き経験であったと思います。
 引き続き、食事会となり、念願であった、流しそうめんを行いました。この計画は何年も前からあり、ついに”循環式流しそうめん”を完成させて楽しんでもらいました。もちろん何度も実験しましたので、まずまずであったと満足しています。鉄板焼きも人気がありましたが、なんと言っても子供用プールでの水遊びは、思ったより喜んでもらえたようで、連日の暑さが功を奏してます。
スイカ割り、花火、くじ引きと盛りたくさんの内容で、これでお寺は楽しいところとまずは思ってくれれば成功です。もちろん親の方にも楽しんで頂けたと思いますが、さて、次はどなたを楽しませて参りましょうか?
 尚、この行事の写真は、こちらをご覧下さい。

15.2005年8月2日(火)
頭寒足熱。

夏だから暑いのは仕方ありません。そんな中で仕事をする人も、暑さとの闘いであります。
最近、話題になっている郵政の問題とは関係ないのですが、毎日、郵便物を配達して下さる局員の人も、この暑さは大変だと思います。
 ある日のこと、いつものように郵便配達の人がバイクでやってきました。丁度、お寺の郵便受けの前が日陰になっていて、しばし休憩も取れる場所になっています。その時、その郵便局員さんは、いきなりヘルメットを取りました。そうしたら、その額には「冷えピタ」が貼ってあり、ヘルメットの中には、冷凍庫で凍らせば何度でも使えるクール剤が、しっかりと敷き詰められていました。
 そういえば、海外のプロ野球選手のピッチャーの話ですが、バッターに投球した時、帽子からキャベツが落ちたと言うニュースがありました。これも頭を冷やすためにと言う事だったようですが、これは野球協約では違反のようでした。(投げた時、バッターを惑わすから・・・)
もちろん、郵便局員さんは問題ありませんが、暑さ対策は大変なようです。

ちなみに、家内は昔から、子供たちに”頭寒足熱”と言う言葉を使って、いろんな譬えをしていましたが、なんと、この話題になった時、意外にも全く理解していなかったことが判明したのです。言葉では、常に言っていても漢字と結びついていなかったのです。四文字熟語というイメージはあったようですが、字がまったく分からなかったということで・・・・。まあ、勉強をサボっていたことは否めませんが、しかし、これは他人事ではないなと思います。結構、そのようなことで誤解をしていたり、間違って覚えていたりということはかなりあると思います。
なんでも知ったかぶりも損をしますが、もちろん全然知らないのも損です。
それこそ頭を冷やして・・・・。ところで、この熟語は、こんな時には使わないのかも?

 ちなみに「頭寒足熱・ずかんそくねつ」とは、小辞林で調べると、頭を冷やし、足を温かする。漢方で健康に良い事とあります。


こんなに成長しました。
14.2005年7月28日(木)
12,686,9397人

毎日、代わる代わり、きれいな花を咲かせてくれます。

1億2686万9397人。この数字は、今朝の朝刊に掲載されていた、平成17年3月31日現在の日本の総人口です。
前年から4万5231人増加したのですが、過去の調査開始以来の最低増加率だそうです。男女では、男性が1万680人減となり、女性の方が多いです。
年齢別に見ても、15歳未満は総人口の13.91%で、65歳以上は19.72%と少子高齢化を裏付けています。出生者数は114万1062人ですが、前年より2万5177人減で、当然ながら過去最低を更新したとあります。
ちなみに、世界の総人口は、64億5674万3948人で、世界中で、1分に150人、1日で20万人、1年で8千万人増えています。又、反対に1年間に6千万人亡くなっています。

平均寿命も、少し前に発表され、女性は、20年連続1位で、85.59才。男性は、2位で78.64才だそうです。
元気で楽しく、周囲の皆さんに生きる希望を与えていくような、そんなお年寄りになれれば、この位まで生きていてもいいなと思います。
でも、現実はどうなんでしょうか。皆さ〜ん!死んだら終わりではありません。次の世もありますから、そのつもりで様々なことを準備しておいて下さい。
尚、世界の総人口は、あまり信頼できる数ではないと思います。国によっては、一人っ子政策とか、人口調整とかがあり、そんな中でも生まれてくる子供はいます。しかも正式には登録されない子供も大勢いるでしょう。反対に、数に数えられずに亡くなっていく子供たちも大勢います。

この世に誕生してくることの、大いなる意義と使命、すべてに意味があり無駄や不必要はありません。

13.2005年7月22日(金)
ラジオ体操。

連日、気温の高さが更新され、特に名古屋の暑さは湿度も加わります。日中も夜も、ぐっすりと睡眠とはなかなかなりません。

 いよいよ夏休みに入りました。夏休みになると毎年、恒例のラジオ体操が開催されます。

今年も、6時30分前には三々五々子供たちが集まってきます。今は、子供たちが集まって体操をするような場所がありません。4〜5年前に町内の役員を引き受けた時から、お寺の駐車場を開放して行うようになりました。役員を辞めてからは、お寺の前で行うようになりました。元々、広い場所ではありませんが、それでも、集まれる場所が、ここしかないというのは、子供たちにとって可愛そうな気がします。今朝も30人以上の子供たちが集まっていました。(この町内は、子供がたくさんいるそうです。)
 ついでに、子供たちが集まる横の花壇に、蝉の抜け殻が3匹連なっていました。ものすごく低い位置で、しかもこんな場所でと思うと、僅かな地上での命を、しっかりと生き抜いて欲しいと思います。
でも、ものすごく鳴くので、ちょっとうるさいかも・・・・・。


ラジオ体操で集まる子供たち、手前にもまだまだ大勢います。

3連の蝉の抜け殻、写真にはありませんが、このすぐ上にも抜け殻がありました。
12.2005年7月18日(月)
梅雨が明けました!

こんな感じで見えます。

本日、梅雨明け宣言が出されました。
「海の日」ということで休日でもありますが、夏休みを目前にしての連休というのも、子供たちにとってはどうなんでしょうか。どうせなら連休前に夏休みに入ったらと思うのですが、それはそれで学校側の都合と言うものがあるのでしょうから、簡単にはいかないようです。
しかし、ほとんどの大学生は、これからテストシーズンに入るようで、勝手なことばかり言っているのは私だけかもしれません。

心配されていた渇水も、大雨のお陰でダムの貯水量も増したようで、なんとかこの夏を乗り切れると記事にありました。雨が降らずに梅雨が明けてしまったらと思うと・・・。以前、雨がぜんぜん降らず、かなりの節水をした夏がありました。学校給食やプールまでも影響が出て、食器も洗わずに済む使い捨てを使うなど大変だった時期がありました。
その頃、お寺では、お盆の精霊送り(7月15日夕方)を行っていました。〈現在では、精霊送りは行っていません。理由は7月12日の日記を参照下さい〉皆さんが精霊送りに参詣されるので、せっかくだからということで、「流しそうめん」を計画しました。ところがあまりの節水制限が出ていたために水が思うように流せません。(心情的にそんなことできません)結局、中途半端な状況の中で行ったことを思い出しました。そして、この夏、8月7日に開催予定の、夏休み「親子の集い」では、久々に「流しそうめん」を計画しました。そうしたら、またまた本年も渇水という情報やニュースで、ああ!今年もかと思いました。しかし、雨のお陰で何とかなりそうで一安心です。
もちろん計画では、そんなに水を使わず、しかも冷たい水を循環できるよう準備中です。

「海の日」は、毎年、名古屋港で花火が打ち上げられます。今年も、たくさんの花火が上がり、お寺の屋上からは写真のような情景でみることができます。屋上は昼間の太陽熱で、とても裸足では歩けませんが、いよいよ夏本番!です。

11.2005年7月12日(火)
すでに、お盆に入っています。

お盆と言えば、お墓参り、夏休み、帰省、盆踊り等いろいろな思いや情景が浮かんできますが、関東地方の一部をはじめ名古屋や各地でも、7月にお盆の行事を行う所があります。
7月にお盆?と思う方もおられますが、8月は旧盆、月遅れの盆と暦の上では、そうなっていますので、やはり、7月がそうなのかもしれません。
お盆のルーツを辿れば、お釈迦さまの時代にまで遡りますが、今日に至るまでには、あらゆる宗教、文化、習慣、時代、はたまたその時々の人間の都合によって伝えられてきましたので、これが正しいお盆の行事だ!と言えるものは難しいでしょうね。しかし、ご先祖様や亡き方々対する感謝や供養の想いは変わらないと思います。又、それが本当だと思います。形ばかりに拘っても、心がなければ意味ありませんし、なんでもOKでも、その気にならないでしょうから、何故、行うのか?という意味、意義をしっかりと子や孫にも伝え、自分自身も自覚していくことが大切ではないでしょうか。そんな意味を込めてのお盆を行っています。関心ある方はこちらをどうぞ。

そんな訳で、7月3日には、すでにお寺でのお盆の法要が営まれ、9日はお墓(法筵寺墓苑)でのご供養を営みました。それ以降は、8月のお盆が終わるまでの間、それぞれのご家庭で営まれるお盆のご回向(お経を上げること)に伺います。特に、13、14,15日と決めずに、それぞれのご家庭で、家族が集まれる日を、「お盆追善報恩の日」として営んで頂いています(ご希望の方ですが)。その日に伺うという方法で行っています。
 亡き方々とは、いつでも会うことができますし、又、亡き方々も、それぞれの道を歩んで(魂の修行)おられる訳ですから、決してお盆の日だから特別というものではないのでしょうが、特別なのは生きている我々の方のことであり、せめてお盆位は、亡き両親や亡き兄弟、祖父母やご先祖様に対して感謝する心を思い出せ!ということでしょうね。
今年のお盆は、そんな気持ちで迎えられてみたらどうでしょうか?


屋上に、出来上がりつつある「にがうり」。今年が初めての挑戦。
10.2005年7月8日(金)
復興支援に向けての七夕

昨晩の七夕は、昨年起きた新潟地震の復興支援チャリティーに参加してきました。正確に言うと「新潟中越地震復興支援チャリティー・城戸和子作品集発刊会」というものです。
 画家の城戸和子(きどわこ)さんは、名古屋在住で世界で活躍されています。今回、長年にわたる作品を本に纏められ、その発刊を記念して、特に新潟中越地震復興支援を兼ねてのパーティーとなりました。何故、復興支援?と思いましたら、現新潟県知事さんと以前から懇意にしておられ、知事として当選して数日後に地震に見舞われ、その想いが今回の運びとなったそうです。
発起人には、名古屋の経済界の人々50名以上の方が連なり、前岐阜知事も挨拶に立っておられました。名古屋城脇のホテルで開催されたのですが、300名以上の参加者があり、交友の深さ広さを感じました。
私自身は、数年前、現アトリエに入居された折、家のご祈祷に伺ったことがあるというご縁です。

彼女の作品は、まず最初に目から書いていくという手法で、今回も、宴会場の壁一面の大きさの布に、30分位の間に絵を描くということをしました。(写真のバックに写っているのが、その時描いたもの)又、その折、ピアニストの熊本マリさんとのコラボレーションということもあり、ピアノ演奏の中で、参加者全員が、どんな絵が出来上がるのかと釘付けでした。
私より、少し年上ですが、そのバイタリティや芸術家という才能は素晴らしいものがあります。
ちなみに、愛知万博のポスターの絵も彼女が描いたもので戴いてきましたのでご紹介します。
又、今度、法筵寺で使う散華に絵を描いて頂けることにもなりそうなので、いづれお楽しみにして下さい。
散華(さんげ)とは、法要中に僧侶がまく、紙の花です。インドや常に花が咲いている国では、本物の花を使うのですが、日本では擬して紙を使います。

9.2005年7月4日(月)
たなばたに願いを!

昨日は、早々とお盆の法要が営まれました。
関東や名古屋など一部地域では、お盆の行事を7月に営ますが、やはり全国的には8月の旧盆に行われることがほとんどです。でも、旧盆という位ですから、8月は月遅れのお盆とも言えます。しかし、雰囲気としては、真夏の暑い中での、8月盆が定着している分、又、学校や企業などの夏休みと重なるので、どうしてもイメージとしてはお盆は8月となるようです。
それでも最近では、スーパーでも、7月のお盆用に精霊セットなど、店頭に並んでいますので、多少なりとも社会的には受け入れられているのでしょうね。
ともあれ、7月と8月に亘りてのお盆の行事に突入しました。

お話の通り、毎年7月の第一日曜日には、午前中、盛運祈願会(毎月の祈願祭)に引き続き、午後から、お盆の法要が営まれます。
そのお昼の休憩時間に、暇を持て余す子供さんのためにと「七夕」の短冊に願いや、好きな事を書いてもらうようにしています。
これは、何年も前からですが、この担当は家内が行うので、私はタッチしていませんので分かりませんが、どうやら、子供と同じくらい大人も参加して、短冊に向かっているようで、それぞれワイワイ言いながら楽しんでいるみたいです。たしかに幼稚園の頃は、したような記憶がありますが、小学校では行うのでしょうかね?
このたなば飾りは、来月の夏休み「親子の集い」(8月7日開催)まで飾っておき、その時、願いを叶うようお祝いをします。

8.2005年6月28日(火)
天皇陛下サイパン慰霊に際し

  平成8年11月法要

昨日と今日、60年の歳月を経て天皇皇后両陛下が、太平洋戦争激戦の地、サイパンへ慰霊に訪れました。

今から、9年前の11月、私たちは小川法子女史の発願の元、サイパンの隣にあるテニアン島において、太平洋戦争で亡くなられた、すべての人々。それは国を問わず、兵士、民間人を問わず、あらゆる人々に対して、慰霊と世界の平和を祈るため『太平洋戦争戦没者慰霊平和塔』を建立、そのご供養と祈願法要を営みました。法要に際しては、日本から僧侶100名余、檀信徒300名余からなる参加を得てのことで、当時関わった人々は、その後も機会あるごとに参詣されています。

 法要が終わるまでの間には、数々の不思議な出来事がありましたが、その一つをお話します。
それは、慰霊塔を建立する場所が決まり、地鎮祭を行った時のことです。
 建立する場所は、テニアン島の南に位置する断崖絶壁のすぐ脇で、常に強風が海水を巻き上げています。今のように整備されておらず、平素は人も往来せず、道らしき道もありませんでした。いよいよ、私以外の僧侶3名を含め、当時のテニアン島責任者ら現地の人、日本から数名の参列によって法要が始まりました。
 しばらく読経の後、土地を清めるご祈祷が終わり、亡き方々へのご供養を始めた時、突然、参列をしていた男性が立ち上がり、「我は○○中尉なり、もはやこれまで。天皇陛下万歳!突撃!」と叫び、我々の横を走りぬけ、仮祭壇としていた長椅子を軽々と飛びさり、そのまま塔婆の1本を抜き、あたかも軍刀の如く、高々と掲げて、そのまま前方の草木に飛び上がり倒れたのです。それはわずかの出来事でしたが、時間はタイムスリップしていました。(○○中尉という方は、後で調べたら実在している方でした。)そして、倒れた草木は強風と潮風で鍛えられてい硬い葦のようなもの、そんな密集地へ真上から飛び込んだのですから、一瞬、怪我は大丈夫かと思いました。もちろん突然の出来事でしたが、ある部分では冷静な自分がいました。一人の僧侶に読経を続けて頂き、私ともう一人の僧侶で、その男性の元へと歩き始めました。
 その間、私の中では、「もし、この男性にかすり傷一つでもあったら、今回の計画は中止せよとのメッセージとして受け止めます。今後、建立、法要、その後に至るまでのすべてのことは意味がなく、それらの供養も必要としない。早々に撤退すべき」と浮かびました。
草むらを掻き分けながら、数十メートル先に倒れている男性に近づいた時、本人は気絶していました。このお経を読めと脳裏に浮かび、まさしく戦地で今、亡くなっていく戦士を抱きか掛けるように数珠でその人をさすり、同時に怪我の有無を確認しました。もちろんどこにもかすり傷一つありませんでした。
 それらの出来事により、その慰霊法要に至るまでは実行委員の方をはじめ関わった人々は、どのような心構えであったかは申すまでもありません。 

今では、その慰霊塔の近くに近代ホテルが建ち、観光客も訪れているようですが、当時の人々の心を思うたびに感謝と平和を祈るのみです。


  平成12年参詣
7.2005年6月22日(水)
「坊主んちが坊主になった!」

梅雨というのに、ほとんど雨が降りません。その内に、今度は被害が出る程、降らなくてもと思う位降るのでしょうね。自然界のことですが、随分と人間の都合で破壊していますから、そのツケは廻ってきます。

昨日、お寺が建って以来、庭師さんが入り木々の剪定をしました。初めてというより、庭師さんが手を入れる程の庭や草木がないのです。
しかし、20年近くそのままにしておいた「杉の木」が伸び放題となり、周りの木々もそのままになっていました。今回、思い切ってプロにお任せしたという次第です。
少し、多めに刈り込んでもらうことにしたのですが、写真の通り、普段、前を通る人さえも立ち止まって、あまりの変わりように驚いています。
丁度、いつも通る、おばあさんたち2人の会話が聞こえてきました。「坊主んちが坊主になった」と、たしかにお寺ですから、その通りでしょうが、あまりの表現に、ただ笑うしかありませんでした。
当のご本人たちは、まさか聞かれているとは夢にも思っていないでしょうね。

今回の坊主になったことで、もちろん、家の中は明るくなりました。
これで運気もUPすることを望みます。

6.2005年6月20日(月)
私が変わって行きます!

 部国際空港セントレアにて

今月の「思うまま・独り言」に書きました、ニュージーランドからのお客さんの話です。
6月8日から10日間、私がPTAの相談役をしている高校の姉妹校であるニュージランド・ダニーバーク高校から校長先生や、お世話になったミッシェル夫妻(以前、ホームスティにてお世話になりました)、生徒2名が、愛知万博に合わせて来日されました。
今回は、先生宅でホームスティをされましたので、私は名古屋市内を案内するという役目でした。
ところが、前日になって緊急の仕事が入りました。私の緊急の仕事といえば「お葬式」です。こればかりは日にちを変えることができません。しかし、誰かが私の代わりをしなくてがなりません。その電話を終わるや否や、突然、私の家内が「私が変わりに行く!」と名乗りをあげてくれたのです。丁度、ご婦人もお見えになるのでその方がいいのかもしれませんが、結局は、家内が案内に同行することになりました。
もちろん、1人だけでは到底無理ですので、前校長先生と一緒であります。
ところが、この市内観光はJ○○旅行会社が組み立てたコースですが、それは名鉄、地下鉄、徒歩での移動だったのです。そんなこととは全く学校側は知らず、てっきりバスでの移動で、しかも英語ガイド付き、ゆったりと廻るものだと思っていたようで、あとで事実を知り平謝りでした。
当然、移動は困難だったようです。しかもマッチョマン(ニックネーム)は身体が大きく足が不自由だったのです。途中何度もタクシーに乗ろうと言っても最後まで公共交通機関を使っての移動だったそうです。それゆえ、疲れも多い分、楽しさは倍増だったようで親善交流には良き1日であったようです。
一番の成果は、私1人だけの交流だけではなく家族も皆、お友達になれたことです。
でも、やっぱり英語です!

5.2005年6月14日(火)
「愛」・・・

こんなアンケートがありました。それは、結婚した夫婦に今の心境を漢字1字で表すと?というものです。
それぞれ結婚生活の年代別に聞いたもので、新婚(1年未満)の人たちは「愛」「幸」という字が1,2位を占めますが、5年〜9年になると「忍」が4位に入ってきます。しかし、10年以降、20年、30年、40年代になると断然1位が「忍」となり、「耐」とか諦」あきらめという字も出てきます。もちろん「愛」もありますが、順位は低いです。
思わず笑いたくなりますが、分かるような気もします。中には長年連れ添った訳ですから、お互い空気のような存在という人もいます。
本当なら「愛」「信」「絆」「和」など美しい言葉が並ぶのが理想なのでしょうが、理想通りにならないのが現実かもしれません。
 死に関しては立場上多いですが、夫婦で一方が亡くなると、あの世でも、又、次の世でも一緒に暮らそうと思っている人もそれなりにおられます。
元々、そのように約束して誕生してきているのですから、もっと早く気が付けばということも多々あります。苦しいこと、悲しい事など、さまざまな困難があることで、絆が確かめられることもあります。
今、目の前にいるその人こそ、今の問題を解決する最善のパートナーであり、
今、目の前にいる人こそ、その幸せを持続できる相手であります。
でも、どうしても、もっと他にもいい人がいるはずだ!と思うなら、まず、あなた自身が向上することでしょうね。


世界遺産となったタージマハールは、皇帝シャー・ジャハンの亡き妻のために作らせたお墓です。
4.2005年6月9日(木)
方言は難しい・・・。

庭に咲く 額あじさいです

日本のサッカーチームは、明年開催のドイツワールドカップ出場に一番乗りをあげました。
3回連続とのことですが、サッカー界では、まだまだ新参者でしょうね。
だんだんと夢中になる人も増えてきました。やはり、国対国の戦いゆえ熱くなるのでしょうか。政治的に利用されないように、あくまでスポーツとして楽しんでいけることを望みます。

ラジオは便利なもので耳を傾けるだけで、他のことも同時にできます。
今日も運転しながら、地元名古屋の番組を聴いていました。当然、会話には方言が多くなり、その方が親しみがあって聞いていても楽しいです。
ところが、他の地域から来たゲストが勘違いをすることがあります。
DJが「あの○○さんは、大変(忙しくて)えらそうだね」と言ったのです。そうしたら、そのゲストがすかさず「あの○○さんは、とても腰が低くて、我々にも気を使って、そんな人ではありません。」とさらに続けて、威張ってなんかいない。というコメントを連発していました。
しかし、名古屋の人は分かりますよね。この「えらい」という意味は。
これは、名古屋弁で「疲れている」とか「お疲れでしょうね」という意味です。
ですが、正しく伝わらないと正反対のような意味になってしまいます。
思わず、これは誰が訂正してあげないと互いにすれ違いになりますし、人格まで疑われてしまうことになります。
その後、番組は続いていたので、どなたか訂正したかどうかわかりませんが、そんな風に思いました。

ちなみにインドでは、州や町が変わると言葉や数の数え方まで違います。しかし、皮肉なことに、植民地化していたイギリスの影響によって、英語が統一して使われるようになりました。でも、そのことで世界に出ても言葉には不自由しませんし、IT産業にはすぐになじめます。
何が災いするのかは、時代がある程度経過してからでないと分かりません。

3.2005年6月5日(日)
守護神報恩祭

本日は、当山に勧請(お祀り)されている守護神様のご報恩の法要が営まれました。
法筵寺には、日蓮宗のお寺では有名な、七面天女様や鬼子母神様、大黒様、八大龍王神様などお祀りされていますが、その他にも、猿田彦天神様、摩利支天様、恵比寿様がお祀りされています。
それぞれの守護神様は尊きご縁にて先代から受け継がれていますが、恥ずかしながら、そのいわれは分かりません。
ただ、私が小さい頃、守護神様が並んで本堂に入っていかれる夢を今でも鮮明に覚えています。さらに、その時、母親のような温かみを感じながら、守護神様の背中におんぶされていました。
これが、私と守護神様とのご縁です。

守護神様は、たえず私たちを守護されておられるのですが、それを受け取るには、直接ではなく、いわゆるハイアーセルフとか、あなた自身の神とか、倶生霊神とか呼ばれる意識を通じてのようです。
そのためには、まずは、自分自身の「自我」と言う意識が勝っている内は受け取りにくいようです。反対に高次なる意識が目覚めているとスムーズに流れてきます。
又、自分自身が「お手上げ状態」になってもスムーズかと思います。でも、一番は自分自身を愛していることでしょう。どんな自分にでもです。
「こんな自分なんて・・・」「わたしなんか・・・」と否定的な思いでは、守護する神々も助けようがありません。
「ありのままの自分」をさらけ出した時にこそ、救いの手は差し延べられるでしょう。


    境内の八大龍王神お社  
2.2005年6月4日(土)
久々の球場

名古屋ドームの雰囲気だけでも、どうぞ

昨晩、2年ぶりでの野球観戦ができました。
今年から、セ・パ交流戦というのができ、5,6月の中旬位までは、連日、試合が組まれています。
プロ野球の改革というのでしょうが、でも、球場は空席が目立ちました。
たしかに、首位だったドラゴンズが、交流戦では、11位の成績ですから・・・。その影響も多少あるのかわかりませんが、しかし、これだけでもなさそうですね。
でも、立浪選手が、同球団の安打数タイ記録が目の前で見れたの喜ばしいことでした。

その夜中(深夜)には、サッカーのバーレーン戦があったようですが、さすが起きていることはできず寝てしまいました。今朝のニュースで勝ったとありました。いよいよ、ワールドカップへ王手!と見出しが躍っていました。
あんたはいつからサッカーファンになったの?と言われています。たしかに・・・と思いますが、世界中でサッカーはメジャーですが、野球はごく一部の国しかありません。
 外へ出てみて分かる、己の狭さ・・・です。

1.2005年6月2日(木)
三日坊主にならないように!

いきなりですが、日記を書いてみようと思います。
月に1度「思うまま・独り言」を書いていますが、その時々に感じたことや、思ったことを新鮮な内に、しかも忘れない内にと思うのです。
ただ、日記とはいえ毎日書けませんので、「言いたい放題!気まぐれ日記」と題しました。
あまり過激だとパスワードが必要となるかもしれませんが・・・その時はよろしくお願いします。まずは、三日坊主にならないように(あんた次第だよ!と言われそうですが)ご笑読頂ければと思っています。
もし、ご意見ご感想などあれば掲示板かメール頂ければ、さらに元気がでます。どうぞ、よろしくお願い致します。

写真もOKなので、時々入れます。この写真は、金鯱不在の名古屋城です。今、イベント中で下にいます。直接触れます。もちろん数日前に触ってきました。





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