思うまま・独り言(3)
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68.〔平成20年11月版・平成20年11月1日更新〕
 11月に入り、北国では初雪の便りも届く季節となりました。アメリカ大統領の選出も行われますが、選挙を2年近くにわたり行うのですから、候補者はもちろん関係者の人々の体力も気力も、そして経済的なことも、想像以上に大変なことであると思います。一方、日本の代表を決めるにはあまりにも原始的な方法にしか思えないのですが、これで満足できるでしょうか。今はさておき、評判通りの人が当選なるかです。

 去る10月12日、30年ぶりに東京池上本門寺のお会式にお参りすることができました。お会式(おえしき)とは、日蓮大聖人のご命日(10月13日)に営む法要のことを言います。特に池上のお会式は昔から、江戸の三大祭りのひとつとして伝えられてきました。普通、ご命日と言えば慎んだイメージですが、お会式はその反対で、大聖人がご入滅された折、時ならぬ桜の花が咲いたと言われる故事に習い、桜を模した万灯を従えて、独特な太鼓、笛のリズムに合わせ、江戸の火消しが使った纏(まとい)を操りながら練り歩きます。ほとんどは関東近在の寺院や講中で作られた万灯講の人たちが奉納するのですが、地方でも万灯講を作っている寺院もあります。お逮夜を華やかな万灯と、軽快なリズムで過ごし、大聖人のご遺徳に報恩感謝を捧げます

 今年で、お会式は727年を迎えるのですが、綿々と続けられたのは、若い人たちを引きつける魅力と、その根底には、引率する側も参加する側にも、日蓮大聖人をお慕い申し上げるという信仰心があるゆえでしょう。同じ東京の三社祭は、聖なる神輿の上に登らないでという通達にも関わらず、今年も無視した人がいて、迷惑条例で逮捕されたとありました。同時に、来年は神社側の要請で開催すら危惧されています。
 お祭りは、神仏に対する感謝の思いを表すもので、大漁豊作を天地の神々に感謝したことから始まったのではないでしょうか、尊き教えを授かったことに対する感謝を表すものです。このことを忘れ傍若無人な振る舞いをすれば、やがては長続きしなくなるのはしかたないことでしょう。又、感謝すべきことを怠っても同じことが言えます。
〔本門寺の万灯行列にて〕

 

67.〔平成20年10月版・平成20年10月1日更新〕
秋のお彼岸が過ぎたら、一気に涼しくなり、さらに福田さんから麻生さんに総理大臣も変わっていました。中国では牛乳の偽装があり、日本でもお米の偽装が発覚。いつになったら安心して食生活が送れるのかと思います。世界の人口の増加、食生活の変化が食物の遺伝子組み換えにまで至っています。いずれこの問題もでてくるでしょう。
先月、紹介した北京パラリンピックで活躍した田中照代さんが、9月中旬帰国報告に来寺されました。詳細は「気まぐれ日記」をご覧下さい。

 こんなランキングがありましたので、お互い反省と心して読みましょう。それは「大人が子どもにみせてはいけないと思う態度・行動ランキング」です。 1位『ゴミのポイ捨て』町や道路至るところにゴミがあります。どこでも平気で捨てる大人(親)がいます。 2位『お礼や感謝の言葉を述べない』良いとか悪いとか文句は言っても、ありがとうと言わない大人(親)がいます。 3位『公共のものを大切にしない』自分のものは必要以上に大切にするのに、他人のものは乱暴に扱う大人(親)がいます。 4位『約束を守らない』約束をしたにも関わらず、親子だからと安易に後回しにしている親がいます。 5位『失敗したとき、人のせいにする』こちらが悪いのに、何でも相手のせいにして、自分の非を認めない大人(親)がいます。 6位『注意されると逆ギレ』自分の正当性ばかり主張して、不利になるとキレだす大人(親)がいます。 7位『店員・他人に横柄な態度で接する』ちょっした相手のミスを見つけるなり、大衆の面前で文句を言っている大人(親)がいます。 8位『知っている人に会っても挨拶をしない』分かっていても、自分のプラスにはならない人には、どこで会っても知らない顔をする大人(親)がいます。 9位『陰で他人の悪口をいう』その場にいない人の悪口やあることない事をいう大人(親)がいます。 10位『嫌いな人を無視したり、意地悪をしたりする』普段から嫌いと思う人に対しては、まったくの無視をしたり、不利になるようなことをする大人(親)がいます。
 これらは、子どもにみせたくない大人の態度ですが、言いかえれば親とも言えます。自分の親が、こうした態度を取っている場合、果して子どもはどのように感じ思うか。それがそのまま生きた教育・しつけとして蓄積されていくことは間違いありません。いくら親が口で格好のいいことを言っても、日常の姿をみていれば、それは嘘だと子どもは思うでしょう。そして、そのまま成人し、また親になります。では、その子どもはどうなるのでしょうか。それが今の日本であり、これからの日本です。
〔河口湖より望む・秋の富士山〕



66.〔平成20年9月版・平成20年9月1日更新〕

 さまざなな課題を抱えた北京オリンピックも、無事終了したようです。水泳の北島選手は2連覇を達成、女子のソフトボールも投手の力投で金メダルを取ることができました。一方、野球などは意外な結果になりましたが、結果が全てのスポーツでは言い訳は出来ません。それぞれのスポーツにおいて反省と今後の対策が始まっていることと思います。
 尚、9月5日からパラリンピックが北京で開催されます。法筵寺の信徒である田中照代さんが、8年前のシドニー大会に引き続き、車イス陸上で2種目出場します。檀信徒の皆さんには応援賛助も賜りました。是非、TVで応援お願いします。

 大変な猛暑が続きましたが、8月後半になり、各地でゲリラ豪雨と呼ばれる、局地的な集中豪雨が被害を及ぼしています。このような現象は近年頻繁に起こるようになりましたが、原因には温暖化や都市の作り方にもあると言われています。突然、積乱雲が発生、その数キロ範囲で滝のような豪雨が降るのですから、気象庁でも予報が難しいといわれています。又、岡崎市を中心とした豪雨も記録的で、氾濫したことがない川が人命を奪いました。
 地震に対する防災は言われていますが、こうした豪雨に対する防災も含めて考えてほしいとTVでは訴えていました。この地域も50年を迎える伊勢湾台風(昭和34年)の被害に遭いました。私は4歳でしたが、その日のことは今でも鮮明に覚えています。当時は、防災意識はほとんどなかったのでしょう。多くの方が犠牲になられました。その後、堤防補強やポンプ場の整備など充実して、最近の豪雨には比較的対応しています。しかし、先日の大雨の時、夜中に避難警告のサイレンが鳴っていたそうです。家族全員知らずに眠っていたのですが、近所の方が避難場所へ行きたいと公的機関へ連絡したら、指定された場所(小学校)は、受け入れ態勢になっていないので自宅待機して下さいとのことでした。翌日、この話を聞き、私たちも危機感がなかったのですが、もし、大事になっていて避難できなかった人は、一体どうなっていたのだろうと思いました。
 台風のように、あらかじめ進路が分かっていての避難は容易ですが、今回のような突然の豪雨や地震などは対処出来ないと思いました。やはり、ある程度は、自分のことは自分で守る。又、そこにいる人々と助け合う必要があると思います。
 天災は忘れた頃にやってくる。そして、災害は決して他人事ではない。ということです。
〔夏の名残り・蝉ぬけがら〕






65.〔平成20年8月版・平成20年8月1日更新〕
連日、名古屋周辺の市町名が最高気温ということで取り上げられています。特に、名古屋の暑さの特長は湿度が高いことで、じっとしていても、寝ていても汗が出てきます。ゆえに室内でも熱中症になる方もおられます。まだ1ヶ月は続きますので、しばらくは、体調管理が大切です。

先月末、市内寺院の研修会があり、「経済学からみたお寺の将来像」というテーマで、慶應義塾大学の中島隆信先生が講義されました。経済と言っても、お坊さんの所得のことや、葬儀の費用というような内容ではありません。あくまで、消費者と事業者、それをつなぐ市場という経済原理に基づいて、これからのお寺のあり方について一考するものです。
 ここでは、消費者を檀家や信徒とし、お寺や住職を事業者とみます。市場には、教えや信仰があります。又、観光寺、信者寺、檀家寺の違いなどを比較し、現状と将来像を探ります。結論から言えば、消費者にとって必要とされる事業者になっているかであります。お寺という綿々と続いてきた歴史と格式にあぐらをかいて、本来の目的を忘れていないか、事業者としての努力をしているかです。
 今、コンビニエンストアは4万店ありますが、仏教寺院は約7万5千ヶ寺あります。名前だけというところもありますが、それにしても、これだけの寺院がありながら、人々は救いを求める場所とはしていません。日常、困った時に駆け込むのはコンビニで、悩みや心の問題でもお寺へ行こうと思う人は人はほとんどいません。また、寺院側もそのような対応をしている所は稀です。死者が出た時も、まずは葬儀屋へ連絡します。お寺は一番最後に連絡が来ます。しかし、葬儀でさえ寺院不在で済ませる場合も最近は多いと聞きます。さらに墓地の問題など、これらは現状の一部ですが、果して、このままでは寺院の未来はどうなるのかです。
一事業者として、一寺院として他人事ではありません。消費者にとって必要なことは何であるかを問われています。研修会の一部を紹介しましたが、現実の問題であります。
関連の日記124もあります
〔境内で咲いた佐渡百合〕



64.〔平成20年7月版・平成20年7月1日更新〕
6月8日、歩行者天国で楽しい休日を過していた人々の中へ、トラックで突っ込み、さらに誰構わずナイフで刺した「秋葉原無差別殺傷事件」は、さまざな議論が世間を騒がせ、容疑者の自分勝手な考えと行動が批難されました。事件に巻き込まれた方の当時の様子を日記(120)にも紹介しましたが、自分の回りで起きとは想像したくありませんが、もし、悲惨な状況に遭遇した時、自分ならどのような行動が取れるのか、取るべきなのかを考えさせられました。

 7,8月とお盆を迎えます。お盆についての説明は、他の項をご覧頂くとして、お盆に限らず、私たちはご先祖様に対しての感謝、ご供養を行いますが、そのことについて、少し角度を変えてお話します。
私たちは、この地上世界に誕生してくるためには、両親を必要とします。その両親も同じで、綿々と途切れることなく続いてきました。ゆえに、いかなる人にも先祖は存在するということです。そして、その先祖と呼ばれる人々は、さまざな時代に、多くの人間関係の中で生きてきました。そうしたあらゆる思い、行動は、すべて経験となってDNAに蓄えられて、それらは次の子孫へと伝わり、今の私がここに存在しているということになります。そうなると生まれた時点で、すべての先祖代々から受け継がれた、さまざまな要素を持ってスタートすることになります。その第1歩として、それぞれ外見が異なっており、まさしく遺伝子の為せることでしょう。さらに環境、教育、両親の考えに影響されながら成長します。そして、DNAに含まれた先祖代々の経験・運動能力や思考、方向性、嗜好なども潜在意識に影響し、日常生活にも表れてきます。
 良き影響ならば感謝すべきです。しかし、人生にマイナス要素として影響していると感じるなら、そのグロックを浄化しなくてはなりません。マイナス要素を解放することが、先祖に対する供養になります。供養を通じて浄化されるゆえ、好転します。古来から、先祖に対し感謝し供養するという仏教独特の思想がありますが、実は、運命好転の秘訣の意味もあったのです。このことについては、さらに詳しく別の機会にお話をしますが、お盆を迎えるにあたり、なぜ先祖供養は大切なのか、ご先祖様に対して、特に意識する期間でもありますので触れてみました。
(境内の朝顔)




63.〔平成20年6月版・平成20年6月1日更新〕
5月3日、ミャンマーを襲ったサイクロンでは140万人が被災し、5月12日に発生した中国四川省の大地震では7万人の死者、36万人の負傷者、避難民は1514万人と(5月29日現在)報じられています。被災された方には早期の復興を願いますが、、どちらの国も報道の制限がありオープンではありません。又、他国からの援助活動に対しても、ミャンマーでは、つい最近まで受け入れさえも拒んでいました。中国も、やっと救助隊を日本から受け入れたものの一人の生存者も救うことはできませんでした。援助物資も、対応が異なっているので、本当に困っている人たちへは届いているのかさえ分かりません。
 今回の出来事によって、それぞれの国家は何を最優先するのかを見せられました。中国の地震で崩壊した建物の一例を見ても、社会の仕組みや状況が顕わになり、今後、修正を余儀なくされるでしょう。いずれも国民が後回しになっているような感じがします。

 これらの出来事は決して他人事ではありません。日本でも地震の危険性を繰り返し伝えています。災害時のシュミレーションもさまざまな角度から行われています。ある程度の危機感は感じていても、実際は何をしていいのか分からないのが現状です。最低8日間の水や食料が必要だとされています。以前は3日分でした。緊急時の対処の仕方も変わってきてます。耐震工事も進められていますが、果してどうなのか誰も分かりません。
 しかし、現実は身近な問題の方が山積しています。年金や後期高齢者医療制度の問題、ガソリンを筆頭に食糧品の値上げなどは毎日のように話題になっています。いずれ入院さえもスムーズに出来なくなる事態も起きます。日々の暮らしや身近な事件などの方が大変であり、防災意識を盛り上げるどころではないと思っています。
でも、本当は、そうした不満や不安が高まり、不信、恐怖、絶望感が高まることが最も危険なのです。何故なら、そういう思い波動が、実は、災害を引き起こす原因となるからです。
地震や、台風などは自然災害と言われていますが、実は、私たち人間のさまざまな思い・想念が、これらの自然現象に大きく関わっているとしたら、果してどうなのでしょうか。そんなことは信じられないという人も大勢いると思います。又、それを証明せよと言われても難しいことです。言えることは、災害が起きた時、どのように対処するかは、それぞれの判断です。事前に対応できるような考え・思いがあれば、その時の状況は変わります。しかし、いつも不安や不満、恐怖の思いばかりであれば、そのような現実を引き寄せるという法則が働きます。逆な思いであれば、そのような結果に導かれます。まずは、必要以上に恐れたりすることは危険なことです。ゆえに、祈りの必要性があります。いつも冷静に考えることができるには、その支えとなるべき道こそが信仰です。再度、信仰の重要性を考えてみてください。災害を最小限にする秘訣は、日々の感謝と祈りを忘れないことです。
(境内に咲く、額アジサイ)




62.〔平成20年5月版・平成20年5月1日更新〕
11連休という企業もあれば、全く休みがない所もあります。学校も4日間だけの休日で、一番迷惑しているのは台所を預かる主婦なのかもしれません。しかも、連休の合間にガソリンの価格が値下げ前よりも値上げされ、ゴールデンウィークと言っても複雑な思いではないでしょうか。皆さんはどのように過ごされるのでしょう。

 さまざまな憶測の中で、北京オリンピックに向けての聖火が世界中を駆け巡りました。本来は、平和の象徴としてスポーツマン精神に則り、聖火をリレーしていくはずですが、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、日本など聖火が通る場所では、妨害やデモ行為が繰り広げられました。そこに掲げられていたのは、「チベットの自由」「中国はひとつ」という、中国の真っ赤な国旗と、チベットの旗が入り乱れている光景ばかりです。中には、互いに傷つけあったりもしていました。一体、何が起きているのかということです。
 チベットと中国の問題は難解で、それぞれの立場や理解度によっても意見が異なります。チベットは仏典の中に西藏と呼ばれるように、独自の民族と宗教があり長い歴史と文化があります。中国も同様です。多くの変遷を経て今日に至るのですが、近年、問題となったのは、1950年代から行われた中国の「民主改革」「社会主義改造」によって、チベット社会の独自性が無視され一挙に強要され、寺院・僧侶にまで及んだことに対し民衆が一斉蜂起し、1959年「チベット動乱」が勃発しました。やがて精神的指導者であるダライ・ラマ14世はインドへ亡命。その後、中国が西藏自治区として管轄下に置いたという歴史です。今尚、混乱が続く故、あのような行動を取るしか世界へアピール出来なかったのでしょう。
 今回、チベット仏教ということが取り上げら、日本の仏教界の動向も注目されました。日蓮宗でも早々に宣言文を中国大使へと渡しましたが、それ以上の動きはありませんでした。長野市の善光寺が聖火リレー会場を、直前になり辞退しましたが、最大限の抗議の表し方であったと思います。 
 内政干渉だとする一方、人権問題とする意見。本来、「全人類はひとつ」です。そして、いかなる人も平等で自由に創造できる為に誕生してきたのです。真理が理解されれば難しい問題は起きないはずですが、尽きることのない人間の欲望が人々を苦しめ迷わすのでしょう。それらもこの地上の一部です。気高い意識を持つ人々によって平安なる世界が訪れることを祈りましょう。
  (インド・ブッタガヤのチベット寺院)




61.〔平成20年4月版・平成20年4月1日更新〕
この辺りでは、桜の開花が例年より早いようで、桜吹雪の中での入学式ということになりそうです。寒い地方ではこれからが開花の楽しみとなるでしょう。もうしばらくお待ちください。
4月1日より、ガソリンの価格が下がるということで報道されていますが、原因は政治の混乱によるものです。しかし、一時的な値下げのようですから、値上する時にも、いろいろと問題が起きるのでしょう。安定した政治とは何かを学んでいるようです。

 知人の書かれた「幸せのさくら咲く」(藤井ひな著)の中に、『今とは違う人生を望むことをやめたときに、あなたの望む「今までとは違う人生」が始まるのです』とあります。私の所には多くの方が相談に来られます。中には、今までと違う人生を歩みたい。今の状況を変えたいと訴えられます。又、口には出さなくても心で思っている人もいるはずです。そんな方は参考にして下さい。
 まず、今日までの人生すべては「あなた自身が創造してきた」ということです。たとえば、「私は幸せになれない」「私は金持ちになれない」「私は結婚できない」「私は出世できない」そのように心の中(無意識)で信じ、思い込み、創造してきたのです。そして、あなたが信じ、思い込んでいる「あなたらしい人生」を作ってきたのです。要するに信じたことが「創造」されるのが宇宙の仕組みなのです。では、反対に自分がなりたい姿をイメージしたり、その姿を信じて創造すれば叶うのかということですが、答えは「ハイ」であり「いいえ」です。それを望むことは良い人である枠を作ることになり、さらなる苦しみが生まれます。なぜなら、今の人生が苦しいと感じていて、だから違う人生なら幸せになれる、そう思っている限り、そして、あなたがあなたらしくあることに気づかないうちは、どのような人生になろうともあるのは、実は苦しみだけなのです。違う人生を歩みたい、ではなく、今の自分をしっかり認識したとき、なぜかあなたは違う人生を歩きはじめるのです。すべては無意識の中で「思い込み」で創造されたものであると認めることです。そして、理想の自分の人生を思い出し、たった今、その人生を生きていると信じることです。難しいことかもしれませんが、信じた瞬間に「創造」されることを思い出して下さい。そして大切なことは祈りです。信じることと祈りの方向を同じにして下さい。自分が信じていないことを祈っても叶えられません。
 今あなたが苦しみの中にいるのなら、その苦しみから逃げられないと信じているから現実になっていることに気づけばいいのです。ただ、それだけのことなのです。  さらに詳しくはいつでもお尋ね下さい。
(写真は、境内のしだれ桜・毎年、成長しています)




60.〔平成20年3月版・平成20年3月1日更新〕

北国の方からみれば、それがどうしたのということでしょうが、名古屋地方は今年の冬、特に2月は例年よりも寒い日が多く、降雪の観測も13日あったそうです。温暖化と云われながらも季節は巡っています。しかし、世界全体を見渡せば悠長なことは言っておられません。常に自然界と共に生きていることを忘れないことです。寒さに弱い方、春はもうすぐです。

 孫と買い物をするおじいさんやおばあさんの微笑ましい光景を見かけます。お互いに良き立場で適度な距離かもしれません。
近年、6ポケットという言葉があります。これは、子供から見た時、6つの財布があるという表現で、物品を買って貰う場合に、父、母、それぞれの祖父母合わせて6人からの提供が受けられるというものです。最近では、条件により叔父と叔母も加わるので、それ以上の財布(財源)があるということになります。もちろん、すべての子供たちが同じではありませんが、このような状況は考えられます。
 このような表現が用いられるのは、裕福になったこと、特に少子化で、子供の数が減り、可愛い我が子のため、孫のため、甥や姪のためにと、惜しみなく物品を買い与えている現状があるということです。善し悪しは問いませんが、世の中の仕組みがそうさせてきたのかもしれません。一方では、いづれ将来、面倒をみてもらわなくてはならない、世話になるだろと思えばこそ先行投資のようなものと考えているのかもしれません。さまざまな思惑の中でのことです。
 人々は、声を大にして言います。物を大切にしなさい。お金で買えないものがある。世の中には丘により大切なものがある。と、そんなことは百も承知です。しかし、そういう状況で育てられた子供の価値観や、将来はどうなんだろうということです。無論、そんなことは他人に言われる筋合いではないと言われてしまいそうですが、末恐ろしいと思うのは考えすぎでしょうか。
 子供や孫が少ない分だけ、より尊き大切なことを伝えていくべきではないでしょうか。又、子孫の数が少ないだけ、自分の将来を見てくれる保証も少ないということであります。自分の未来を思う時、可愛いわが子、孫をおもうからこそ、今の置かれた状況を顧みることが必要であります。
どうぞ、ポケットから出てくる宝物を、智慧として子や孫に与えて下さい。
私は、そのお手伝いをしていきます。
〔写真・法筵寺内階段ステンドガラス〕



59.〔平成20年2月版・平成20年2月1日更新〕
1月27日、恒例となった当山の「開運節分祭」が開催されました。
お天気にも恵まれ、今年も大勢の参詣者がありました。元々、法筵寺そのものが新寺建立なので、檀信徒の方は0に近いところから、スタートしました。急激に檀信徒の方が増える訳ではありませんから、増減を繰り返しながら、教えを広めていくしかありませんが、それでも節分祭のような檀信徒の枠を超えた行事に前年を超える方が参詣されることは、正直うれしい事です。又、総代さん方も率先してお手伝い頂けることで共にお寺を支えていると感謝しています。

最近、注目されているニュースに、中国から輸入されている冷凍食品による食中毒被害が広がっているということです。まだ、この時点では詳細は分かりませんので、明言は避けますが、一部の報道では、野菜を栽培する時に、日本や中国でも使用禁止となっている農薬が影響しているとも言われています。現に中国では、農薬を洗い流すための洗剤が多く売られ、しっかりと洗ってから野菜を調理するという記事もありました。その農薬が付着した農作物を食材として使用し、すべての冷凍食品にとはいかないまでも、一部が混入し、それを食べた人が被害にあったということです。たとえ一部かもしれませんが、どこに混ざっているのかが分かりません。最善の対処としては関連する食品は撤去せざるを得ないのでしょう。全国のスーパーや売店から、相当数の商品が取り除かれました。新聞でも商品と会社が掲載されています。その被害額も影響も想像できない位です。
 日本でも以前、農薬の問題はありましたが、最近は、ほとんど聞かなくなりました。と言っても、現実を知らないのは私だけかもしれませんが、中国の現状は、一昔前の日本の状態なのかもしれません。安く大量に生産するには、自然と競争業者との戦いです。手間がかからない方法を考えるのは当然のことです。
 今、日本は、国内での食料の自給率は、想像以上に少ないです。減反政策によって、米や農作物もほとんど、輸入に頼っています。輸送手段が発達したことで、たしかに新鮮なものが手に入りますが、世界的な異変や国家間の問題が起きた時、そして食糧が途絶えるような事になったら、その時点で日本は壊滅状態になると心配するのは私だけかも知れませんが、今回のような出来事は、もっと、私たちに何か大切なことを考えようということではないかと思います。




58.〔平成20年1月版・平成20年1月1日更新〕
あけましておめでとうございます。
本年の年明けは如何だったでしょうか。
昨年の世相を表す漢字は「偽」。日本漢字能力検定協会(本部・京都市下京区)が全国から公募した「今年の漢字」が12月12日、清水寺(同市東山区)で発表され、住職さんが巨大な和紙に「偽」の字を書いていました。「偽」については、ここでも昨年の11月版で書きましたが、やはり皆さんも同じ思いだったのでしょう。
 今年は暦で、戊子(ぼし/つちのえ・ね)といいます。「戊」は「茂」と同意語で、樹木が繁茂し過ぎて剪定せねばならい状態、「子」は新たなる生命の芽生えを意味します。新たなる芽生えが成長できるよう、繁茂し過ぎたものが整理整頓されていくということです。政治も社会をみても、偽りで作られたものは自然淘汰され浄化されていきます。そのような時代になったのでしょう。
     
 今年初めの掲示板に「つぎの機会には、考える前に行動しなさい」と掲げました。
もちろん、思いつきで行動しなさいということではありません。物事を行うとき時には計画を立てます。それが上手くいくかどうか、自分も他人にも、そのことを行って迷惑や余計な負担はかからないかと、慎重に考えることは当然のことです。一方、考え過ぎてせっかくのチャンスやタイミングを逃すこともあります。事例を上げれば、
 ある時、道を歩いていたら、少し先に、困っている人を見つけます。しかし、次の瞬間脳裏には、さまざまなことがよぎります。『その人に声を掛けるべきか。もし、掛けた時、相手は何と言うのだろうか。そして周りの人は何と思うのだろうか。家族は何と言うのだろか。余計なことをするなと言われるのではないか。もし、思っていたことと違って恥をかいたらどうしょう。』次から次へと思考が飛び交っています。しかし、現実は、その間に、その人の前を通り過ぎてしまい、結局は声を掛けることさえできず、その人を救うことも、自分自身も後悔の念だけ残ったということです。
 私がある時、車で走行中、一人の女性が道でうずくまっていました。横を走り去りながら、頭では、さまざまな思考が巡っています。結局、その前を2周廻って、ついに車を止め、その女性に勇気をもって声をかけました。その女性は「大丈夫です」と返事をしたので、その場を去りましたが、もし、声を掛けなかったら、どうなったろうと心配し続けたでしょう。
又、道に落ちているゴミを見た時も同じで、捨てた人の行為を思うのではなく、拾ってゴミ箱に捨てた方が、そこにはゴミは残らず、やがて捨てた人のことも忘れます。どこまで実践できるかですが、今年は、進んで実践していきたいと思います。「考える前に行動を」です。
(ガンジス川からの日の出




57.〔平成19年12月版・平成19年12月1日更新〕
北国から雪の便りが届きます。すでに記録的な大雪という所もあったようです。
世間を騒がした相撲の朝青龍、ボクシングの亀田一家、それぞれ謝罪ということで一件落着ということでしょうか。謝るタイミングというのも難しいですね。
一方、謝っても許されないのが防衛省に関する問題です。一般社会から遠く、国益に関わる内容ゆえに秘密裏にされていましたが、やはり隠し通せることではありません。軍備にかかる経費を各国が、わずかでも減らしたら、どれだけの人々が平和に安定した暮らしが出来るのか、飢餓が解消されるのか。その道のプロはみんな知っているはずです。でも、実行しようとしないのは、得をしている人たちがいるからでしょう。

先日、宗教対話学習会で、東京医療保健大学教授で元朝日新聞大阪本社学芸部長の菅原伸郎氏の講義を聞きました。その中で、文部科学省「中学校学習指導要綱・第3章・道徳」(1998年版)の中に『自然を愛護し、美しいものに感動する豊かな心を持ち、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深める』。又、中央教育審議会「期待される人間像」(1966年)の中に『生命の根源すなわち聖なるものに対する畏敬の念が真の宗教的情操であり、人間の尊厳と愛もそれに基づき、深い感謝の念もそこからわき、真の幸福もそれに基づく』とあり、畏敬の念に対して語られ、ある中学校の先生の教える宗教的情操教育の例をあげられました。
 その先生は、夏の野外学習(キャンプ)で、夜空の天の川を見せ、生徒に「何か感じましたか?」と問いかけることで、問いかけただけで終わりだということです。しかし、公立学校ではこの程度の宗教的教育が現状です。第一に誰が何を教えていいの分からないというのも事実です。当然ながら、宗教系の私学では、この面ではまだ充実しています。

国語辞典で「畏敬・いけい」を調べると、おそれうやまうこと。とあります。講師先生は各種文章を引用して、一般的な立場から、「おそれる」とは何かについて話されました。私は思うのですが、「神をおそれる」ということは、最もらしく聞こえますが、本来は、恐れられるような神仏はあり得ないということです。どうやら幼い頃、親に叱られ、挙句の果て物置などに入れられたり、時には食事を与えられなかったりと罰を与えられた。そのような親子の関係が、あたかも神と自分との関係として当てはめられています。ゆえに、「言うことを聞かないと罰を与えるぞ」そして「神を恐れろ」ということになったのです。しかも、ほとんどの宗教は、そのことを利用しています。宗教に名を借りて人殺し(戦争をも)までするのです。
 本当に神仏は、そうなのでしょうか。そうではありません。常に私たちに慈愛を持って見守っているのです。恐れる必要はありません。必要なのは敬虔なる態度と真実な祈りであります。
(写真・熱田神宮内 上知我麻神社)




56.〔平成19年11月版・平成19年11月1日更新〕
今年は、紅葉が遅くなるという予想でしたが、この季節になると各地からの紅葉中継を見ることができます。
11月に入った途端、食料品や生活用品、ガソリン代まで値上げされました。今まではいかに他店よりも安く売るかが競争でしたが、それも段々と消えていくのかもしれません。原油の値上げが最も影響しているとのことですが、一方では、地球温暖化を止めるため、穀物から燃料を調達するとのことで、とうろもこしやサトウキビなどが食料以外に転用され、その影響が多方面に出てきています。値上げは日常の生活に影響を与えます。何を一番に優先すべきなのか英知を必要とします。

ここ1ヶ月の間に、食品の偽装問題があらゆる業者から明るみになっています。大きな話題となったのは伊勢の老舗○福です。今年創業三百年を迎えるそうです。創業当初は、その日に出来た分を、そして売り切れたら終わりであったと聞きます。時代と共に、社長が変わるごとに経営方針も変わっていったのでしょう。やはり名物というものは、その土地で頂くから美味しく、又、そこで買うからお土産になります。何でも簡単に手に入るという時代、当然、どこかに無理をしなくてはなりません。そういう意味では、まだまだ他にもたくさんの「偽装」があると思います。又、食品ばかりでなく、はじめから偽物、コピー商品として、堂々と売られている品物もあります。本物と偽物、偽装ということ、どこに問題があり、どうしたら解決していくことができるのでしょう。

 偽装や偽物の、「偽」とは、「人」にんべんに「為」と書き、いつわると読みます。人のしわざ、あざむくこと、ごまかすこと、うそ、にせ、ほんものではないこと。など漢和辞典にあります。私たちは、人として大切なことは、人の為に生きなさいとも言われます。その通りですが、もっと大切なことは、人のことを思う以上に、自分自身は、どうであるかということです。
この世は人の為に生きているのではなく、自分自身が生きているのです。誰かの犠牲になって生きていると思っていたら、そんな考えは無駄です。なぜなら、真実の自分を生きていないからです。自分の不都合は、すべて、他人のせいにするからです。まずは、自分に正直に生きること、自分に偽りなくいきること。それが出来てはじめて、他人の為にとなります。自分を偽れば、その思いは、当然偽りとなって現われます。自分に正直に生きるとは、自分勝手に生きることとは違います。
本当の自分はなんであるか。何のために、親子として縁を結び誕生してきたのか。夫婦、兄弟、親族になったのか。まずは、そのことを、しっかりと確かめながら、自分に正直に生きるということです。この世で誤魔化すことができても、あの世では、すべて判明することが分かれば、今は理解されなくても、馬鹿にされても悲観することはありません。この世は理不尽なことばかりですが、しかし、それでも偽装や偽物は明るみに出るのですから。
(東区徳川園にて)




55.〔平成19年10月版・平成19年10月1日更新〕
先月号で、『9月に入ったら一気に涼しくなりました』と書きましたが、それどころか、その後も連日猛暑が続き結局、お彼岸も終わった、つい先日まで暑さが続きました。もちろん、私の住む名古屋の話ですから、全国、全世界?で読んでおられる方には実感がないと思いますが、そんな日々でありました。
 政界では、安倍総理の突然の辞任で1ヶ月前では、予想もしていなかった展開となりましたが、福田康夫総理が誕生し国会も再開されました。振り返れば、さまざまな出来事が起きているということです。何もなく変化もないと言われる方もおられますが、変化には長短があるだけで、常にすべてのものは変化し続け、同じ状態はあり得ないのです。いかに変化を上手に捉えるかということです。

 先日、ある講演会での話です。講師は、NPO法人日本子守唄協会代表の西館好子さんでした。この日本子守唄協会というのは、「
〜前略〜親として果たすべき務めをきちんと認識し、愛情という慈悲を与えていれば、子供たちは素晴らしい個性を開花させる事ができるでしょう。命の讃歌、親子の絆のはじまりとなる故郷の母の唄、そこに込められた祈りが子守唄の持つ永遠の力です。〜中略〜母子関係の原体験としての情緒教育はここに始まり、その後の人格形成にも大きく影響を及ぼすのです。〜後略〜」と設立理念が書いてあります。経済が豊かになり、何もかも便利になったはずの日本で、少年犯罪が急増し、しかも低年齢化、凶暴化しているのは何故かという疑問から、ご本人の体験を通じて、昔から歌い継がれてきた子守唄に注目されたと話されました。
 お話の中で、「本当の絆(きずな)とは、母親と無意識の中で育まれるもので、成長したあとから、一緒に何か物を作ったり、表面的に交流しても出来上がるものではない。それでは遅すぎる。」と言われました。赤ちゃんがお母さんの懐(ふところ)に抱かれて、安心しきって眠ることができるのは、信頼そのものに他なりません。お乳を飲むのも絶対大丈夫という信頼があるからです。本能(無意識)として知っているから全身全霊を託せるのです。そこで、さらに安らかに眠れるよう子守唄が唄われたとあります。その子守唄には、母親独自のリズムがあり、揺らし方があり、そのリズムは、生きるリズムになっていくのです。
 子守唄も、寒い地方では、内容やリズムにも恐れや戒めが多く、豊かな地域では明るい内容が多いそうです。又、昔は幼い頃から丁稚奉公として大きな屋敷に出されました。その仕事の中には子守りもあります。その子守りをする時に、自分の心情を唄い自らを慰めた唄が、武田の子守唄とか、五木の子守唄であったのです。
 今、子守唄を唄って子供を寝かしつけるでしょうか。絵本やお話をして寝かせるでしょうか。私は小さい頃、あまり体が強くありませんでした。いつも熱を出したりしていました。そんな時、母親はタイミングを見計らって一緒に寝てくれました。ただ一緒に寝るだけでいいのです。子供は、安心して絆を確認できるのです。「どうして、うちの子は、いつも熱を出したり、わがままなの」と思うお母さん。今日から、そんな時間を作ってください。中学生・高校生を持つお母さん、その子をどのように育てましたか。接した通りに成長しているのです。でも、遅くはありません。あなたの子供です。あなたの本当の愛で接して下さい。『愛はもらったように、愛を与える』。会場では歌手の稲村なおこさんが数曲の子守唄を唄ってくれました。懐かしさと共に、とても心に響きました。
(写真は本堂にお祀りされている、子供を抱いた子安鬼子母神様)



54.〔平成19年9月版・平成19年9月3日更新〕
今年は冷夏とさえ当初は言われていましたが、8月中は記録を更新する猛暑でした。
25年程前、超猛暑の中、インド彷徨の一人旅をしている時、安いホテルしか泊れず、当然冷房はありません。昼夜にわたり、部屋中の机、ベッド存在するものすべて熱くなっていました。この夏、同じような経験をし、記憶がよみがえり懐かしく思いました。しかし、8月盛運祈願会後の「夏休み・親子の集い」では、暑さゆえ子供たちは水遊びに大喜びでした。そして、9月に入ったら一気に秋風となり、過ごしやすくなりました。

 8月後半、恒例となった七面山の登詣団参(皆さんと一緒に七面山へ登山し参詣)を45名の参加で行い、お天気にも恵まれ、ご来光(写真)も拝むことができました。今年は30回記念として2泊3日で行い、身延山にも参詣することが出来ました。七面山に関することなどは、この日記にも以前(30、43)書きましたので合わせてご覧下さい。
 世界中には聖地と呼ばれるところが存在しています。遠い昔から、さまざまな語りで伝承されてきました。一つ一つの話を聞くと、なるほどと思います。実際には建造物や仏像、又、大石や大木であったり、自然の山や海さえも聖地として継承されてきました。後世に生きる人々が綿々と守り、心の拠り所にもなっています。見渡せば、私たちの周りは、多くの神様の中で暮らしています。でも、時々、あそこの神様はどうのこうのと聞きますが、それは転倒本末な話です。しかし、意外と話題にしていなでしょうか。
 ある時、こんなお話を聞きました。「あなたは○○の神を信じているか?」「はい○○の神ですね。信じています。」「いや、あなたは○○の神を信じてはおらぬ。では、○○の神の声を聞いているか。ほんのわずかでも疑っていたら信じていることにはならぬのだ。その証拠にいつも話しかけているのにも関わらず、あなたは聞いていない。聞こうとしていないのだ」。この会話は誰と行っているかは、ご想像にお任せしますが、信仰の原点である「絶対信」を問われています。姿形では、本堂や仏壇、お墓の前では、手を合わせお経や祈りの言葉など口にしますが、肝心なことは、心から神様仏様を信じきっているか、全託しているかということです。目に見えているポーズではなく、見えない世界をどのように捉えているかということです。
 今、時代は変換期に入っています。「心の時代」とも言われていますが、それは、ある意味心をストレートに見抜かれる時代であり、本物が本物として認められる時代とも言えます。すでに見抜く力をもった人たちも大勢、この世に誕生しています。そうしないと時代が変わらないのです。果たして自分はどうなのか、自問自答するしかありませんが、身近な例として、見ず知らずで1〜3才位の小児と、目と目があった時、もし、にっこりと笑ってくれたら、あなたの心はOKかもしれません。疑われない程度にスーパーなどで試してみませんか。
(平成19年8月25日七面山よりご来光)



53.〔平成19年8月版・平成19年8月1日更新〕
 参議院議員選挙が7月29日に実施されました。
結果は、ご存知の通り与党(自民党と公明党)の大敗で、参議院で過半数を大きく割り込みました。先回の衆議院選挙の時には、自民党は大躍進し意外な人まで当選してしまったという経緯がありますが、今回は、その反対となりました。安倍総理になってから、まだ1年経っていません。その間に生じた年金の問題(これはもっと前からの問題です)、「政治とカネ」、さらには総理自身が一番信頼せねばならない閣僚たちの次から次へと出てくる問題など、一気に国民は、反与党となったのでしょう。予想を覆し投票率は上がらないと思いきや前回よりも上がっていますので、それだけ政治に関心が高まってきたということです。
無関心でいることは国民の義務として避けなければなりません。まずは、投票に行くことが大切であると以前にも書きましたが、住民票もなく3年以上も投票すら行ったことがないという方が当選したようですが、立候補した人、公認した人々にも驚きです。

「識羞・しきじ」という言葉を先日、ある学習講座で初めて聞きました。花園大学前学長、現在、花園大学名誉教授で、(財)禅文化研究所所長である西村惠信師が講義中に言われた言葉です。「恥を知る」羞じを意識するという意味ですが、最近、このことの深い意味が分かったと、しみじみ言われました。西村師は、禅の世界では大家であり、又、若い頃から、キリスト教研究にも取り組んでおられ、アメリカのペンデルヒル宗教研究所に渡り学んでこられたそうです。なによりも、他宗教を学ぶことによって、自らの信じる禅の世界が理解できたとも言われました。その言葉は、まだまだ私など足元にも及びませんが、分かるような気がします。又、今まで禅の世界を通じ、住職として寺の運営、座禅会や多くの教えを広めてきたが、それは、「宗教と思っていたが文化かもしれなかった」という意味深い言葉でした。
 今、仏教に限定しても各宗派がたくさんありますが、いずれも自らの宗派をいかにして維持していくかということに主眼が於かれています。お釈迦様の願いである、人々(衆生・しゅじょう)が救われ、幸せな境地に至るにはということには程遠い状態ではないかと思います。要するに、人々が望むような救済方法を用いていない。現在を生きる人々のニーズに応えていないということです。
 あるTVコマーシャルで、「現状は理解しています」と、すかさず「分かっているだけは解決になりません」と答えています。全くその通りで、みんな現状ではある程度、理解しようとしています。しかし、実際に行動に移すとなると、それは他人事になるのです。まだ余裕があると思っているのか、それとも現状そのものが理解出来ていないのかもしれません。
(写真は熊野白浜・三段壁)


52.〔平成19年7月版・平成19年7月1日更新〕   
 社会保険庁の年金問題が世間を騒がしています。                        
長年にわたる怠惰な管理と無責任な運営によって、5000万件、それ以上の件数の管理不備があると言われています。あまりの数の多さに驚くと同時に、信頼して年金を支払ってきた人たちは裏切られたとともに呆れかえるのみです。しかし、このままで終わるわけにはいきませんので、これからの対処を待つしかありません。
それにしても、あまりにもずさんな管理の根底には、「どうせ他人の金」という感覚なんでしょう。もちろん真面目に働いていた方も大勢おられたはずです。その時々や現場での判断は正しかったことも事実でしょう。そういう方々にとってはこのような事態はある面、被害者かもしれません。しかし、一方で何かが狂っていたのも事実です。誤りの積み重ねの結果が表面化してきたということです。
ある報道では、徴収したお金を届けることなく自分で使っていたという事。しかも少数ではないようです。誰しも良心はあるはずですが、一度、個人的に流用(使ってしまったら)したら、あとは堤防が切れたか如く、止め処も無く使い込んでしまうのでしょう。どこかに悪い事をしていると良心の呵責はあったのでしょうが、誘惑の方が勝ると、又、あの人もやっているからと思うと良心は消え去っていくのが人の心です。問い詰めれば、初めからそんな気持ちは毛頭なかったと誰しも言うでしょう。


 
「心を主とするな。心の主になれ」と言う言葉があります。つねに自分の心を見張っておく必要があるということです。実は、心・思いというものはどんどんと暴走していきます。勝手にさまざまな考えや思いが沸いて出てきます。(正確には飛び込んでくるのですが、この事は別の機会にお話をしたいと思います。)
ともあれ、どんどんと考えや思いが勝手に浮かんできます。良い事も悪い事もです。ただ、それを実行に移すかどうかは別問題です。ですから、つねに己の考え方、思いを見張っていることが大切だということです。しかし、見張る方も実はいい加減です。いつもベストな状態でいる訳でもありません。心が葛藤するという状況を思い出して頂くと分かりますが、体調によっても左右されます。薬やアルコールの影響も大きいです。余程、心が安定していて、冷静な判断を下せるような状況にあっても、個人的な損得が関わると、即座に判断は左右されます。立場が一瞬に変わります。それ位、私たちの心と言うものは常に変化し続けています。心コロコロという標語を見たことがありますが、それだけ変わり続けています。

 古来より、心・思考については、あらゆる分野で取り上げ、永遠の課題です。一番捉えにくく、厄介なものです。でも、誰しも固有のものとして持っています。この文章を読みながらも、次から次へとジャッジしていませんか。もう少し楽に生きることができたらとお思いでしたら、まずは心の主になって下さい。どうすればなれるかは、お会いした時にでもということで。まずは、必要な方は年金をお調べ下さい。
(境内の睡蓮、今年は咲きました)
 
 

51.〔平成19年6月版・平成19年6月1日更新〕
 連日のように悲惨な出来事が起きています 。
高校生が母親の頭部を切断、かばんに詰めて自首。若い夫婦が1歳の子供をバイクのシートボックスに入れて死なす。生まれたばかりの乳児をごみ置き場に捨てる。学校、職場でのいじめ、虐待、そして自殺など終わることはなく続いています。どんな心境でどんな思いで実行したのか、本人以外には分かりませんが、たしかなことは、そういう思いを自ら想像(思った)したということです。事件は突発的かもしれませんが、そこに至るまでには、何かをしようと思い、その思いがどんどんと力を増していったということです。

この世は、どんなことでも思うことが実現される現実化するという法則の中にあります。そんなことはない、自分の考えたようにはなっていないと思いますが、よくよく考え検証してみると、やはり、自分の想像したようになっているのです。ただ、その創造する力、思いの強さが違うということです。「一心岩をも透す」です。
 こんなことをよく耳にしますが、神仏はイザという時や、危険なことは未然に止めて下さるから大丈夫といいます。しかし、都合のいい時だけでは果たしてどうでしょうか。
神仏は、私たちが考えることに対し、その結果を訂正したりはしません。何故なら、この世における最も重要な創造するという自由を奪ってしまうからです。人生を振り返ってみれば、すべては自分自身で考え答えを出し、思った通りの人生になっているのです。良くも悪くも、そのようになっているということです。だからと言って神仏が存在しないとか信じないというは誤りです。それどころか常に守っておられます。私たちの思いを見届け、そのように現実化していくプロセスをサポートして下さっているのです。では、人殺しも手伝うのかといいたくなりますが、それはありまん。むしろそれさえも、その人の思った通りになったということです。しかし、それで人々が喜び幸せになったでしょうか。申すまでもなく神仏は愛の存在ですから、愛に反することに手助けすることはあり得ません。
 善因善果、悪因悪果というのは真理です。北から吹いた風は南へ、東から昇った太陽は西へ沈むということだけのことで、良き思いは良き結果が、悪しき思いは悪しき結果になるという、それだけのことであります。ただ、どんな考えでも結果でも立場が変われば逆転するは大いにあるのです。
 結論を言えばすべては、自分の思い考えで自分の未来は創られていくということです。どのような世界でも、その法則は変わらない同じです。戦争やテロ、内戦、殺戮さえも同じ人間同士の仕業です。飢餓さえもそうでしょう。自然破壊だってそうです。身近な学校や職場の不幸な出来事も、みんな人間が引き起こしているのです。それが分かればたった今、考えを変えればいいのです。そして自分自身のことも・・・。忘れてはいけないことは、常に神仏は応え続けているということです。

50.〔平成19年5月版・平成19年5月1日更新〕

ゴールデンウィークに入り、海外で休暇を楽しむ人が、今年は昨年よりも多いそうです。しかし、学校はカレンダー通りですから、子供たちは学校へ行き、親だけが家にいるというご家庭も多々あるようで、それはそれで普段出来ない有意義な休日をエンジョイしましょう。お隣の中国でも同じように連休のようで、ニュースによると1億人余りの人が旅行等で移動するとか、さすがスケールが違います。
私と言えば、子供は学校にアルバイトにと、普段とあまり変わりまりせん。
ただ、季候がいいので屋外の掃除に励んでいます。

 こうして、ホームページなど展開していますが、実は、あまりコンピューターのことは詳しくはありません。見よう見まねでとにかく触っている内になんとかなるだろうと、誠にいい加減な状態であります。そんな中で、ディスククリーンアップという機能があります。いわゆる、コンピューターが、さまざまな記憶したり、計算したり、文章を作成したりと膨大な量の仕事をしていますが、何度も書き換えたり消したりと、たとえコンマ一つにしても打てば記憶し、消してもその経歴を記憶していきます。ゆえに、段々と不要なものが溜まってきます。すると仕事の効率が落ちてきます。不要なものが邪魔になってきます。そんな時に、このディスククリーンアップという機能を使うと、最適な環境、状態に整えてくれるというもので、再び効率アップします。
 丁度、これと同じようなことが、私たちの肉体の中でも行われています。常に、目や耳、舌、五感を通じて全身から、絶え間なくさまざまな情報を取り込んでいます。時には、本人が意識していなくても入ってきます。無意識の時は気づかないかもしれませんが、人体は優れたコンピューターと言われるように、やはり、肉体や心という面でインプットされ続けています。ゆえに、段々とそれらの不要なものが溜まってくると不快感や、体調を崩すことになります。ですから、時には、心のディスククリーンアップをしてあげないと効率が悪くなってきます。
 どうやって行うのかというと、まずは、常に日頃から、心を落ちつ着けることが出来る瞑想など効果的です。しかし、なかなか自宅では環境的にも難しいという時こそ、お寺にお越し下さい。お寺では、毎月何度か行事や催事を開催しています。わざわざお寺に出向くというのは、お寺に行くということ、お寺の本堂に座るということ、祈るということ、あらゆる行動の中に「心のディスククリーンアップ」が自動的に行われているからです。以前から、私は皆さんに「お寺にお参りされることは、魂のシャワー」といってきました。心の中に知らず知らずの内に付いた傷や、心の垢をクリーンにすることが大切ということです。ゆえにお寺に足を運びましょうと申し上げているのです。
(写真は、千葉県誕生寺の幼少の頃の日蓮聖人「善日麿」といいました)