言いたい放題!気まぐれ日記 その5(平成20年12月7日〜平成22年12月12日)
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2010年12月12日(
 「回帰」本の紹介
九州在住のペンネーム「朱鳥 雪」さんが、「回帰」というタイトルの本を出されましたので、紹介します。 

内容は、ご自身の不思議な体験を書かれたものです。 
私も読ませて頂きましたが、まさしく、この世に誕生するには、必ず意味があり、使命があることを改めて感じました。 
その使命を果たすためには、あらゆる困難が待ち受けていますが、それさえも信仰の力で乗り越えれることを体験するということです。 

一部ご自身のプロフィールから紹介します。 

〜私は仏教寺院で在家修行中の既婚女性です。 
修行中に、『あなたは二千年前、イエス=キリストの弟子・イスカリオデ=ユダであったのだ』と天より啓示を頂戴した者です。 
その稀少な体験を、様々な方面の方々から、「世界に発信すべきだ」とアドバイスされ、実体験を執筆していっています。〜 

ご自身の身の上に起きた現実の出来事が語られています。 

尚、この本を読むためには、下記の方法で読めます。 
特に、12月中は、無料で読むことができますので、ぜひ、どうぞ。 
ご自身が書かれた文面を、そのまま引用します。 

【ブクログのパブー】 
http://p.booklog.jp/ 
こちらのサイトで、自伝を電子書籍として発表しました(H22.11.13.)。 
パソコンから簡単に閲覧できるシステムのサイトです。 
トップ画面からログインして、作家検索画面から「朱鳥 雪」で検索してください。 

2010年末まで、本の無料配信を試みています。 


是非、関心のある方は、お読み頂きご感想をお寄せ頂ければと思います。

2010年12月5日(
 今年最後のビーズワーク 
午前中は、感謝の祈りをささげる、盛運祈願会が営まれました。

午後からは、今年最後のビーズワークが開かれました。21回目を迎え、かなり皆さんも上達したようです。
季節柄、それらしき作品ができたようです。

  




2010年10月22日(金)
 美輪明宏さん講演会
今月の8日より、コンピュターが壊れてしまい、ホームページの更新ができませんでした。

さて、写真のように、美輪明宏さんの特別講演会が、池上本門寺の本殿で開かれます。
日蓮宗主催で開催されますので、入場料は無料ですが、入場券は抽選です。
ご希望の方は、〒146-8544 東京都大田区池上1-32-15 日蓮宗宗務院伝道部 特別講演会係 へ、
住所、氏名、電話番号を記入してハガキにて申込して下さい。

美輪明宏さんは、大変熱心な日蓮宗信者さんです。



2010年10月2日(土)
 「父に墓石を」9歳に寄付殺到、“ガレージセールで資金調達”に大反響。〈ニュースから〉
ニュース記事から『「父に墓石を」9歳に寄付殺到、“ガレージセールで資金調達”に大反響。』(ナリナリドットコム 10月01日)を紹介します。


〜原文のまま掲載します。〜
カナダに、亡き父のお墓を建てたいと行動を起こした9歳の男の子がいる。それは自分のおもちゃを集めてガレージセールを開き、墓石の代金を集めようという計画。ただ、子どもの所有物を売ったところで、墓石を購入するに足る金額を集めるのは難しい話だ。ところが、この計画が地元メディアで伝えられると、先日開かれたガレージセールには多くの市民が詰めかけるほどの大盛況に。さらには墓石を寄付する企業も現れたという。

オンタリオ州キングストンに住むブレイク・マクギネスくんは、どうしても「何とかしたい」問題を抱えていた。2009年3月、大好きだった父リック・リースさんが胃動脈瘤により他界したのだが、現在は墓石が無いまま埋葬されている状態。母リンダさんが語ったところによると、リックさんの死後はお金に余裕がなく、墓石の購入までは至らなかったという。そのため、リンダさんと定期的に墓参りをするブレイクくんには、墓石がない父のお墓は寂しく映っていたようだ。

「お婆ちゃんにも、お爺ちゃんにも墓石があるんだよ。だから、お父さんにも墓石を持っていて欲しいんだ」と語るブレイクくん。そこで彼は、自分のiPodを買うために開こうと計画していたガレージセールの目的を、父の“墓石購入資金の調達”に変更した。ガレージセールの開催日は9月25日朝。彼は父のために、大事にしていたおもちゃやゲームも惜しみなく売りに出すことにしたという。そんな息子の行動にリンダさんは、正直なところ「墓石購入までは届かないかも」と思いながらも、「彼をとても誇りに思う」と、自らも洋服などを出してガレージセールに協力した。

すると、この話はリンダさんが働くヘアサロンの同僚や客を通じて広がり、さらにはトロント・サン紙などのメディアを経由してカナダ全土へと伝わる。そうして迎えた9月25日の当日、キングストンのモントリオール通りに開いたブレイクくんの店には多くの客が訪れた。しかも、やってきた客は物を買わずに「20カナダドル札(約1,600円)や50カナダドル札(約4,000円)を男の子に手渡す」人がほとんどだったという。

話はこれだけに留まらない。プロアイスホッケーリーグNHLのモントリオール・カナディアンズは、選手全員のサインが書かれたスティックをブレイクくんにプレゼント。カナダの歌手からはサイン入りDVDやハーモニカが贈られ、そのほかにもホッケー用具や、彼が欲しがってたiPodも送られてきたそうだ。

さらに目的の墓石に至っては、米テキサス州の企業や個人など、10もの寄付申し出があったという。母リンダさんはその中から「トロントの墓石会社と連絡を取った」そうで、デザインも含めてすべて無料で、リックさんの墓が建つことになった。

となると、墓石購入のために市民から寄せられたお金の行き先が気になるところ。その金額はガレージセールで直接寄付された分と、「世界中から届いた」という分を合わせて、総額は数千カナダドル(※1カナダドル=81円 10月1日現在)に達するため、一部はトロントの病院で病気と闘う子どもたちのために寄付され、残りはブレイクくんが18歳になったときに引き出せるよう、銀行に預けたそうだ。

父からもらった猫のぬいぐるみをそばに置きながら、頑張ってガレージセールを開いたブレイクくん。きっと天国のリックさんも、父を思って行動を起こした息子の気持ちと、たくましく成長した姿を喜んだに違いない。
〜以上〜

日本では、墓はいらないという風潮が高まっています。なにが何でも墓地ということも言われなくなってきました。
環境や風土、宗教も影響しますが、それ以上に、人として、又、この少年と同じような境遇に出会った時、果たして私たちは、どのように考え行動するかです。
この少年の場合は、純粋ゆえに、多くの人々の共感を得たのでしょう。
自分ならどうするか。であります。

2010年8月23日(月)
 七面山団参と身延山参詣
21日〜22日、毎年恒例の法筵寺行事であります「七面山登詣団参」を行いました。

今年は、同時に身延山参詣グループも開催し、東京からの参加者を含め、47名(内、七面山登詣者39名)で、他の寺院の檀家さんも、3名特別参加され、初めての方、数十年ぶりという方、8才から74才まで、老若男女が集いました。
尚、身延山参詣グループは、家内が中心となり七面山に登詣ができない方を対象にしました。

毎年、この時期は暑いのですが、今年は、特に猛暑の影響で山頂でも、まったく涼しさがなく、小さい頃(40年以上前)七面山と言えば、夏でも火鉢があり、早朝のご来光を拝する場所には、丹前を着て行った覚えがあり、写真にも残っています。
それが、近年では、半そでで充分です。

七面山の登山は、延々と急こう配の坂道が続き、かなり厳しい道のりで、大人でも平均4〜5時間はかかります。特に、暑いときは、汗が吹き出して、疲れやダメージもかなりあり、平素、運動不足や、冷房の中で仕事の方には、最初の30分間は「もうダメ]」とほとんどの人が訴えます。
しかし、途中まで来ると引き返すわけにもいかず、結局なんとか登りきるということになりますが、元々、信仰の山として登りますので、辛い分、多くのことも考えます。そして、何を得るのでしょう。でも、年を重ねる度に、老化は実感します。

この時期は、新興宗教(新興教団)も、数百名単位で登山します。途中で交叉したり、山頂で遭遇しますが、一般の方からは、え〜という行動も見たりし、中には、そのことを質問されたりします。
そういう時には、決して批判するのではなく、彼らの方法であると説明し、しかし、そういう人が自分の信仰に疑問を持って相談に来られた時、どのように納得できるようにお話出来るかであり、その為にも、普段から学び、その時の為に力をつけておくことが重要だと言います。

信仰で集う場所は、他を見ることにおいて、自分自身の立場を確認することができます。
それも大切なことです。

もちろん、下山したあとは、下部ホテルで温泉[m:64]で身体を休め、懇親会で親交を深めることも、同じ団体で参加した汗を流したという共感で、かなり盛り上がります。

                  スライドにてUPしました。
2010年8月16日(月)
  こういう、お別れ会がありました。
先日、お盆の13日夕方、本堂で、あるお別れ会を営みました。
それは、檀家さんの紹介で開催されたものです。

12日に、檀家さんから電話がありました。
「先月の26日の連絡を最後に、友人と連絡を取れなくなり、みんなで探していました。
その結果、自宅にいたのですが、すでに亡くなっていました。どうやら自殺のようです。
家族は、子どもが4人いるようですが、生前中から、交流がなかったようで、亡くなっても、葬儀はしないとのことです。
そこで、明日(13日)に火葬だけするとのことで、その後、遺骨をお借りして、友人たちで、偲ぶ会をしたいのですが、その前にお経をあげてもらえますか」
という内容でした。

「もちろん、それは構わないけど、子どもさんが遺骨を貸してくれますか」と尋ねたら、
「大丈夫とのことです。但し、戒名とか余計なことはしないでください」とのことで、もちろん、勝手にそのようなことはしませんと言い、写真と遺 骨、お供え物を持参で、友人15名ほど、来寺されました。(後日談ですが、遺骨を運びための往復のタクシー代を、子どもから請求されたそうです)

丁度、弟子もいましたので、二人で丁重に、又、引導を含めたご回向を営むことができ、皆さんにも焼香をした頂きました。

せっかくなので、お話をさせて頂きました。

今、こうして、○○さんは、6○才の人生を自ら閉じられました。
いかなる人生であったか、家族としての人生はどのようなものであったか詳しいことは分かりません。
しかし、お経一巻も上げて頂けない葬儀さえ出して頂けないご家族であったことは否めません。

でも、こうして、多くの友人の方が、わざわざお寺に足を運び、○○さんを偲び、お別れの会を開いています。皆さんも、写真やご遺骨を前に、さまざまな思いをもって焼香されたことと思います。

さて、あえて私は言いますが、今、こうして友人の皆さんが集っておられることに、亡くなり方はどうあれ、○○さんは大変恐縮し、喜んでおられます。

友人の皆さんとは、まさしく成仏している状況です。
でも、勘違いをしないでください。亡くなったからといって、お経を読んだからと言って、すぐ成仏する訳ではありません。
そうではなく、今、こうしてここにいる皆さんとの関係において、成仏しているのです。
実は、お互いがどのような関係であるかによって成仏しているかしていないかなのです。

ゆえに、○○さんの家族との関係においては、簡単に成仏していますという表現は難しいでしょう。
今日、こうして偲んで頂いている皆さんの心に対して、充分に感謝されているのです。

この法要が終わると、今から、皆さんは、写真とご遺骨を囲んで、いつも集まっていた居酒屋で杯を酌み交わすとのことですが、大いに○○さんのことを語ってあげて下さい。

必ず、そこに同座し、皆さんの会話を聞き、勘違いしていたことや、謝らばければならないこと、多くのことを再認識されるでしょう。
誤解も解消していき、皆さんの心に直接、そのことが交わされていきます。
お互いスムーズな関係こそ、成仏しているといえるのです。
それは、親に対しても、誰に対してもまったく同じことです。

このようなお話をしました。

葬式も満足に出さない子どもたち。それぞれの理由があるでしょう。
いいか悪いか、否定も肯定もしません。それが今日までの人生だったのですから。

今回、友人の皆さんが、素直に偲んであげようということは、その人の人柄だったのでしょう。
形式だけの葬儀とは異なり、心が伴ったいたと思います。

もちろん、葬儀を否定している訳ではありません。むしろ必要ですので、それぞれのやり方はあるでしょうけど、人生最後の締めくくりは、ちゃんとすべきです。

同夜、NHKで、「葬式」についての番組がありましたが、あれはかなり無責任な内容でした。こんな内容で本当にいいのかと疑いました。
ここでは取り上げませんが、相当の抗議があってもしかるべきです。

そんな訳で、いつもと違ったお別れの会を体験しました。
その後、お通夜があったのですが、このお話をしたことで、兄弟間の問題が、その場で解決したことも付け加えておきます。
2010年8月1日(
 〜てらこや〜夏休み「親子の集い」


日蓮聖人のビデオ観賞後、早押しクイズが待っています
毎年、8月第1日曜日は、恒例となった、夏休み「親子の集い〜てらこや〜」を開催しました。

例年、この時期は一番暑い頃で、今年もとても暑い日になりました。昨年は、雨でしかも肌寒い日でしたので、特に、今年は小さな子どもたちにとっては、プールは最高だったと思います。

午前中は、毎月の盛運祈願会。
午後1時から、本堂にて「親子の集い」が始まり、1時〜3時までは、日蓮宗名古屋青年会の皆さんによる時間帯で、今年は、日蓮聖人の紙芝居風ビデ オを観賞、それが次の早押しクイズになっていました。点数が良い子には、景品がもらえるとあり、みんな早押しクイズに夢中でした。

その後、唱題行を行い、信行の時間が終わると、駐車場を利用しての、プール、鉄板焼き、ながしそうめん、スイカ割りなど、又、花火、福引など5時まで開催しました。
※プールには、お坊さんも入っていました

〜募集案内に、次のように掲げています。〜

《開催にあたり》
子供向けの集いを毎年、夏に開催しています。この企画は、幼い頃から、お寺や手を合わせることへの大切を教えますが、第一歩は、楽しい思い出作りからです。大人になって思い出して頂ければいいのです。
大切な事は親が、そのような環境に積極的に参加させるかどうかです。「仏の子」といいますが、それを育てていくことが、大人の役目ではないでしょうか。
皆さんのご理解とご協力をお願いします。                住職


毎年、親子で60名以上の方に参加頂いています。
やはり、子どもが対象となるのですが、高学年になってくると、学校の行事も重なり、又、恥ずかしさも加わり、お寺へくることが減ってきます。
いかにして、小さいころから、手を合わせることの違和感をなくしておくことが重要であるかです。
でも、その一番、鍵を握るのは、祖父母であり、両親です。
近年の子ども虐待や悲惨な事件を聞くたびに、笑顔で楽しんでくれる子どもたちを見ると、とてもそうでない環境の子どもは不憫でなりません。


スナップ写真UPしました。


恒例の流しそうめん、今年は中華めんとひやむぎ
好評です。
2010年7月5日(月)
 ふろしきを持って集まろう

講師の水野和子さん:子育て支援の会も主宰されています。
昨日は、午前中、毎月の盛運祈願会が行われ、午後からは、盂蘭盆会法要でした。

毎年、7月の第1日曜日は、午前午後と行事が続きます。
午前中から参詣された方は、盂蘭盆会法要が始まるまで、時間を持て余しています。
そこで、何か楽しい事でもということで、今年は、「ふろしきを持って集まろう!」と 計画しました。

タイトル通り、家庭にある大小のふろしきを使って、さまざまな使い方、特に包み方を教えてもらおうというものです。
実際に、ふろしき研究会(http://homepage3.nifty.com/furoshiki/index.html) という会もあり、その会員でもある女性に講師になって頂きました。
と言っても、研究会にお願いしたわけではなく、時々、市内寺院の集まりでお会いする方で、いつも、一工夫された手カバンや、スタイルをされていた こともあり、家内といろいろ話をしている内に開催が決まったようです。

今回は、基本的な結び方からはじまり、一升瓶やワインなどの包み方などがありました。
終わった後からも、皆さん、個人的に質問が殺到していました。

また、この続きは、何かの行事の折にということになり、あっと言う間に時間は過ぎました。

その後は、盂蘭盆会施餓鬼法要が、厳粛に営まれました。

皆さん、真剣に取り組んでいました。
2010年6月6日(
 守護神報恩大祭とお話


ご守護神様の前にて、ご報恩修法
本日、当山の守護神報恩祭を営みました。

数日前からは、準備や掃除でしたが、その前より、意識をして本日を迎えました。
参詣されました皆さんは、いつもの読経やご祈祷とは違うな!と思われたと思います。
その一つには、本日、出仕頂いた僧侶の方は、不思議なタイミングで決まった方ばかりでした。というのも、どうやって今年の報恩祭を営むかを考えて いた時に、出会った方でした。
帰りがけに、総代さんをはじめ、何人の方から、今日のお坊さんは、いつもと違う!と言われました。

ちなみに、私のお寺は、特定の決まった寺院の方をお願いするのではなく、その都度、又、檀信徒の方から「あのお坊さん、いいよね」というリクエストで決まる場合もあります。
ゆえに、お手伝いに来られる方は、義理でも義務でも惰性でもなく、思いを持ってお手伝いをして頂ける方となるのです。まさしくお坊さんが選ばれる ということで、人気がないと声がかからない。でも、その方がはるかにお坊さんが鍛えられます。
最近の坊主は・・・・・・と聞きますが、皆さんで鍛えてあげて下さい。私も同じですが。
そんな訳で法要は無事終了しました。

〜今日の法話から(要約します)〜
私たちは、日ごろから、ご加護を頂いている神仏、守護神様に対し、祈りを捧げていますが、ご守護神様と呼ばれる神々様も、言い換えれれば菩薩様な のです。
その菩薩様は、実は、ご本仏様との約束があるのです。

その約束とは、この地上世界に生きる衆生(私たちのこと)を、常に守るという約束なのです。
その約束は、私たちが、いい加減に結ぶような約束とは違い、絶対的至上命令と同じく、僅かでも約束を破ることはできないものです。

それほどまでにして、私たちを守ると約束されおおられ、そうされているのにも関わらず、そして現実に守ってくださっているにも関わらず、当の私た ちが、そのことにまったく気づいていないという重大なミスを犯しているのです。

何故、そのことが信じられないのかというのは、小さい頃、親に叱られ、そして罰を与えられらり、親の都合で約束を反故にされてきました。多くの大 人からもそのような仕打ちをされてきました。

そのことが、自分と神様との関係も同じだと思いこんでしまっているのです。
ゆえに、どんなことがあろうとも守っていると言われても、いつだまされるか、いつ裏切られのか、いつ罰を与えられるのと、その方が先になり、悲し いかな根底から信じられないのです。

親との信頼関係が、神仏(守護神)との関係と同じであるという大いなる過ちであります。

しかし、そのことを修正すれば、ただちにご加護は頂けるのです。
でも、その為には、何かをしなけらばならない。となりますが、どこの親がわが子に母乳代を請求しますか?
無条件の愛・無償の愛です。
素直になった時、心から救いを求めた時、どんな親でも手を差し伸べます。ましてや、大いなる神仏(守護神様)です。さらなる深い愛で包みこんでく れています。

どの宗教や信仰でなければならない。となると平等ではありません。
それよりも、そういう事実であるということならば、まず、そのことを信じ、素直になることで、神仏は反応するのではないでしょうか。

では、それはどこにか書かれているのかは、それからでもいいのです。
ああ、有難かったと思った時、大いに感謝してください。
その方法は、さまざまあるでしょう。
そして、その原理が分かったら、先に感謝すればいいのです。『祈りとは感謝です。』

今日は、その思いで、守護神報恩祭を営ませて頂きました。

ご参詣されました皆さんご苦労様でした。


檀家さんが、この日のためにと丹精込めて花を育てられました
2010年6月5日(土)
 彼の為に・・・忍辱(にんにく)の行
ここ4〜5回、毎週、火曜日もしくは水曜日になると、お寺の前に借りてある駐車場に、決まってコンビニの袋に入ったゴミが、ど真ん中に置いてありました。

何回目かの時、家内が、どうも他県ナンバーの車がしばらく停まっていて、その後、ゴミがあると突き止めました。

ならばということで、そのゴミを2週分、駐車場のフェンスにかけておき、その日を待ちました。

案の定、火曜日、昼頃、例の他県ナンバーの車が、駐車場のど真ん中に停まったので、よし、今しかないと思い、その車のところまで行きました。

彼は、昼食をとるために、たまたま空いている駐車場を見つけたのでしょう。
僅かな時間なので、昼食をとる位なら、大目にみようと思っていましたが、その都度、ゴミをわざわざ置いていくことが許せなかったのです。

いつも、「人を許しましょう」とお説教しています。自分でもそう思っているので、内心、いずれ来なくなるだろうからと思っていました。しかし、目 の前で起きているのでは、もはや、そのことを言うしかありません。

しかし、一体どんな人物が乗っているのかわかりません。
注意をすることで返って、ややこしくなるのも嫌です。本心は避けたいのです。が、足は、どんどん進み、車の運転席に行ってしましました。
相手は、何事かという顔つきでしたが、私は、仕事の途中だったの衣姿でした。

その旨を話し、目の前のフェンスにぶら下がっているゴミのこともいいました。
もちろん、彼は否定しましたが、それ以上の反論される前に、極力過激な言葉は使わず、すぐにその場を離れました。

やがて、彼の車は駐車場を出て行きましたが、ゴミはさすがに置いていきませんでした。

世の中には、別に言わなくてもいいこともたくさんあります。しかし、黙っていることや、我慢することで、いやな思いをする人の、マイナスエネル ギーは、別名・生霊ともいいますが、確実に相手に届きます。

このまま彼が同じことを続ければ、決していいことは起こりません。
ゆえに早く、そのことを止めることも、相手を救うことになるのです。
いやなことも言わなければなりません。これを仏教用語でいうと「忍辱・にんにく」といいます。
耐え忍ぶことです。時には、相手の嫌なことも言わなければならないという行です。
でも、そのことで、相手のマイナス行為が止まればいいのです。
いいことばかり言うのは楽ですが、そうでない時もあります。

これも、この地上での出来事の一つでもあるのです。


明日は、お寺の守護神報恩大祭です。
数日前から、掃除や準備をしていますが、今日は、名古屋市主催の地域清掃の日でした。
午前中、学区中の清掃が、各町内会長をはじめ、組長(今年から担当しています)も、総出で、掃除が行われました。
例の駐車場や隣の公園もきれいになりました。
仕事から帰ってきたら、この日記のために写真と思ったのですが、例のゴミもフェンスからなくなっていました。
ゆえに、写真は、庭に咲いていた花です。
2010年5月12日(水)
 二人の「死」
今日、長年、ガンで闘病生活をされていた78歳のご婦人のお葬式を行ってきました。

実は、この方の長男さんが、先月、やはりガンで亡くなったばかりでした。
まだ、1ヶ月も過ぎていません。

このご婦人は、50代からガンを患い、近年は数ヶ所に転移している状況で、息子さんの葬儀の時も、痛みで歩けない状況でしたが、なんとか式だけに は参列されました。
しかし、その後、寝込む状態になられたそうです。心身ともに大きなショックもあったと思います。
長男の方の二七日(2週間目)の時、ご主人の要望で、このご婦人が休んでおられた枕元に伺い、ご祈祷も行いました。

今般、続けて亡くなられたので、残された家族の方の心中を察すれば、いかばかりかと思いますが、現実であります。

私は、お通夜では、お話はしません。
その代わり、火葬後のお勤め(初七日忌)にて、親族や特に親しかった方(残っておられるので)に対して、お話をします。そしてこんな話をしまし た。

お葬式にあたり、亡くなられた方の、法名(戒名)や引導文を考えながら、親よりも先に亡くなるなんて、親不孝だと世間では言われているのに、と思 いました。

しかし、ふと心に浮かんだのは、実は、お母さんは、息子さんの死を知っていた(感じて)いたのです。

もし、間もなく亡くなろうとしている、わが子がそこにいたならば、それでも、その子をほかっておいて、その場を離れるでしょうか。
せめて、最後位は、見届けてあげよう。自分がどんなに辛くても悲しくても、苦しくても。
それが親であり、母親であると思うのです。
ゆえに、この時期であったのです。

そして、とても肉体的にも痛いくて、苦しい状態を、家族に見せながら過ごしていました。

でも、これも、実は、家族に対する愛です。

なぜ、愛なのか、それは、「こんなに苦しんでいるのだから、もう楽にしてあげよう」と未練を断つためです。
あれだけ苦しんでいるのだから、もうこれ以上、頑張らなくてもいいよ。という思いが家族に芽生えます。
何が何でも、生きなければならないという考えは変わります。
諦めがつくのです。

先回の日記にも「死ぬ時・・・・・」という話題でしたが、それを事実として受け止めることで何かが変わるのです。

私たちには、必ず死が訪れます。どのような死を迎えるかは、今、どのように生きているかであります。

一家族の死を通じて、また、ひとつ、気づくことができました。

2010年4月29日(木・昭和の日
 死ぬときに後悔する25:老人ホーム

最近、売れている本です。
致知出版社
過激なタイトルですが、今日、時々お寺に参詣されておられるAさんの勤める老人ホームへ、お話に行く機会がありました。

以前から、頼まれていたのですが、なにせ、ご高齢の方ばかりですの、何を話してよいのか悩みました。皆さん両親の世代です。(私には、すでに親はいませんが)
そんな我が子のような者が話す法話では、到底持ちません。まさに「釈迦に説教となります」。
丁度、数日前に、手にした本が「死ぬときに後悔すること25」でした。 緩和医療医が書いたものですが、これでいくかと決めました。
もちろん、坊さんアレンジで行います。

ご高齢で、しかも、ホームにおられる方に、「死」に関するテーマ、本当にいいだろうかと思いましたが、坊さんが「死」を説かなくて誰かするの か・・・・・・と勝手に思い込んでの話しです。

内容については、ここで触れませんが、30名近い方が聞いておられました。 (5月2日の盛運祈願会でお話します)
寝る方はいなかったようですが、初対面ということもあり、全体の雰囲気を取り込むには、難しかったです

しかし、あるご高齢のご婦人から、手作りの、くす玉のようなものを頂きました。
多分、いつも作っておられるのだろうと思いますが、作りはしっかりしています。

また、帰る時、うっすらと涙目となったご婦人に、お寺の名前を聞かれ、何を訴えようとされていましたが、お互いに初対面でしたので、そのままにな りました。

受けると思って話した内容に
「いきなり、ホームへお坊さんがお邪魔するの、まだ早いのでは。普通は病院から寺でしょうね」
一同反応なし。受けたのは、若い看護士さんだけでした。

ともあれ、まだまだ、できることはたくさんありますから、後悔しないようにと。
そして、 最後は、愛する人に「ありがとう」を言えるように、これからも人生を楽しんで下さいと結んできました。

これで良かったのか・・・・・帰りの車中は反省しきりでした。

手作りの、くす玉?かなり小さいものです。本堂の階段に飾りました。
2010年4月4日(
 花まつり:お釈迦様のご誕生


花御堂の誕生仏に、甘茶をお掛けし、感謝の思いを届けました。
4月8日は、お釈迦様の誕生日です。

今から、2600年も前のお話ですから、本当の誕生日は定かではありません。 しかし、誕生されたことは事実で、現在でも、ネパールのルンビニという場所で発掘作業が行われています。

お釈迦様の話は、殆どは、時代や、地域風習ととも、人間の叡智も加わり、現在のような教えになりました。
お経も、お釈迦様が亡くなられて、200〜300年たってから、出来上がったものがほとんどで、さらに、インドから中国へ伝わり、漢字に訳さ れたのですから、お釈迦様が直接、語ったものではないのです。ほとんど、後世の人達の産物です。

しかし、お経が何故、尊いのか、有り難いのかというのは、次元を超えた(全宇宙をも含めた)真理が説かれているからです。お釈迦様が誕生されたのも、大変重要
な事を伝えるためであったのです。

古来より、分からないままにでも、神様や仏様(死んだ人のことではありません)、尊い存在に関しては、多くが語られ信じられてきました。信じてみようという人も大勢います。
自然界のあらゆるものにも神霊が宿るとされ受け入れられてきました。

そして、近年になり、亡くなった人たちとのコンタクトや、魂の存在。又、霊界はあるということについても、多くが語られ、かなり理解されてきまし た。

いよいよ、最近では、宇宙に関すること、例えばUFOや異星人のことも取り上げられるようになりました。多くの宇宙人(異星人)が、古くから地上 にて活動しているとも言われています。
そんなことは、信じられないという人も大勢いるかもしれません。

しかし、実は、そういう存在の中には、高次元意識を持つ存在もあります。
地球人より、高度に成長?している異星人もいるとされています。
そうなると、高次元の意識を持つ存在の正体がなんであるかです。

神と呼ばれる存在も言い換えれば、高次元意識です。
霊界も次元を超えた意識と言えましょう。
異星人も高次元意識を持つ存在がいる。
そして、私たちも、とても崇高な意識があることも体験しています。普段は感じませんが。

果たして、お釈迦様とは、どんな存在であったのか・・・???
私たちとの関係は?
異星人との関係は?
霊界との関係は?
そして、魂との関連は?あなたは何者。私は誰?
それらの答えも、お経に書いてあるの?

そんなことを、最近特に意識するようになりました。
今日は、ここまでは、お話しませんでしたが、そんなことを伝えたかったです。
(でも、いきなり、こんな話をしたら、絶対怪しい坊さんと言われそうですね)

しかし、多くの人々の中には、もうすでに、さまざなメッセージを受け取っている人もいるはずです。
価値観がどんどんと変革されていく時期になったと思います。


今日は、お寺の行事は、お釈迦様の誕生を祝う「花まつり」を行いました。
花御堂の誕生仏に、甘茶をお掛けし、感謝の思いを届けました。

昼食は、花まつりということで、青年部の皆さんが率先して、おにぎり、たこ焼き、フランクフルトなど作り、皆さんに振舞ってくれました。これも彼 らの感謝の気持ちです。カップは甘茶です


おにぎり、たこ焼き、フランクフルト


お寺のしだれ桜も満開となりました。
2010年3月21日(日・春分の日
 写経の会とビーズワーク


本堂にて写経
今日は、春のお彼岸の中日です。

当山のお彼岸の行事は、
 14日に、春季彼岸永代供養法要。
 20日は、法筵寺墓苑の、お墓参り。
 本日は、写経の会を開催しました。

毎年、春と秋のお彼岸の中日には”写経の会”を行っており、今日も、午前10時から行いました。
写経に来られる方は、意外と、檀家の方ではなく、この時だけという方も数名おられます。

写経を終えられると、昼食を召し上がって頂き、その後は解散ですが、今日は、午後1時から、毎月のビーズ教室が開催されます。写経に来られた方、皆さん興味をもたれ、そのまま残って、ビーズを作っていかれました。

このビーズワークは、毎月開催しているのですが、必ず参加される方や、時々という方もおられます。今日は、いつもですと子どもさんが多くいるので すが、連休ということもあり、少なく、その変わり、初めてという年配の方が多くおられたので、結果的には、参加人数も多くなりましたが、それなりにスムー ズに進んだようです。

何事も、その時のタイミング(ご縁)があるんだなと思いました。


ビーズワーク:今日は、16名の参加がありました。
2010年3月16日(火)
 生きるということ


3冊の自分史
今年の1月中旬、85歳でお亡くなりになられた檀家のA氏のお話をさせて頂きます。
A家は、12〜3年前に檀家となれて間もなく当山の墓苑にも墓地を建立されておられます。

 ご家族は、大変信仰心が厚く、行事には欠かすことなく参詣されておらます。しかし、A氏は、お寺には1度も来られることはなく、私も1度しかお会いしたことがありませんでした。
 実は、今から、10年程前に、溶血連鎖菌によって、両足の膝下、右腕の先が切断され、ご自分では動くことが出来なかったのです。まして、家族の方が抱えてということも容易ではありませんでした。

 現役の時は、名古屋大学大学院の工学科博士でもあり、鋳造や粉体に関しては、多くの著書や講演もなされておられました。お体も大変丈夫な方でした。
 しかし、75歳を過ぎてから、突然の病魔によって、しかも数日の間に両足の切断、右手も失うということは、普通では想像も出来ないようなことであり、術後の姿を見た時のショックは如何ばかりであったかと思います。もし、自分だったら平常心ではいられないと思います。当然、入院生活を余儀なくされました。
 このまま一生を入院生活で終わるかと思われたのですが、ある日、突然、奥様に自分に届いた手紙を病室に持って来て欲しいと頼まれたそうです。それまでとは違った目になったそうです。

約1年半の入院生活を終えられ、自宅でのリハビリが始まったのですが、左手しか使えません。初めは食事も誰かが口に運ぶしかありませんでしたが、やがて自分で食べれるようになったそうです。

 その後、左手でパソコンを打ちながら、毎年、1冊づつ、3年間で3冊の「自分史」を作られたました。内容は、「経歴」「海外旅行記」「雑記帳」と多くの写真を入れながら、しかも、正確なる日時と内容であります。
私も、その都度頂きましたが、改めて今回読ませて頂きました。
 一人の人が生きるということ、この世に生きたということの証。意外と残せるようで残していません。人々の記憶にある間は語り継がれるでしょうけど、それも急速に消えていきます。

 A氏の生きるということ、生きたということ。日々充実しておられたと思います。もちろん、その為には家族の献身的なサポートがあったことは言うまでもありません。
2010年2月21日(
 ビーズワーク(ふれあいの日)

 今日の作品
今日は、ふれあいの日・ビーズワークが開催されました。

毎月、開催されて、今回で12回目となりました。
今回は、このホームページを見たという親子の方が初参加され、今までは、顔見知りの檀信徒の方だけでしたので、こうして形でもご縁が出来ることに感謝です。

又、今日、誕生日を迎えた子供さんもいたので、サプライズとしてケーキを用意し、最後に皆さんでお祝いしました。

このビーズワークは、ふれあいの日の1コーナーとして開催しています。
昼食を召し上がって頂くようにと午前中から始めます。

ここでのルールは、一つだけで、それは、参加者は、必ず、お寺へ着いた時と、帰る時は、本堂で御本尊様にご挨拶するということです。

2010年2月1日(月)
 開運節分祭(1月31日)
昨日、恒例となった開運節分祭が開催されました。
お天気も全日程が終了するまでは、雨も降ることなく無事終了しました。今年も230名を超える方々に参詣して頂き、多くの方に”福”と、「豆」をお渡しくすことが出来ました。
 初めて参加される方もありましたが、日蓮宗修法師(荒行を終えた僧侶)による迫力のある読経や、普段では体験することの出来ない特別なご祈祷には、皆さん驚きと良き体感を味わつて頂きました。
 ご祈祷後の豆まきでは、大人も子供も大いに楽しんで頂けたと思います。又、福引も、今年は、景品として「お米」をたくさん提供して頂いたので、多数の方にもお持ち帰り頂きました。
 
参加された方が、ご自分の日記をmixi(ミクシィ)に掲載されましたので、ご了解を得ましたので、ご紹介します。

節分恒例の『開運節分祭』 に、今年も行って参りました。
かれこれもう、9年連続で参加させていただいています。
節分大法要
修法師水行
個別祈祷
で、福を招き厄災を除きます。
 今年の祈願内容は、やりたい事、始めたい事がたくさんあるので、『心願成就』 にしました。
いつもながら、個別祈祷は凄い迫力でした!!!!
数人の修法師に囲まれ、一人一人の名前と願いを読み上げ、厄を払い、福を入れていただきます。
・・・実は、修法師さんは全員長年の知り合いなのですが、祈祷中のオーラは迫力が違って凄い!!!!
頭から「何か」が抜けていきました。
『厄』落としですね。
個別祈祷後は、豆まきをし、おぜんざいをいただき、福引きをしました。
 いつも一緒に行く友人はくじ運がよく、前にもヒーターが当たりましたが、今年は『米2キロ』が当たりました。
開運パワーおそるべし。
今年もよい年になりそうです。


ありがとうございました。 


スナップもUPしました。
2010年1月1日(金・元旦
 初詣・新年盛運祈願会

うっすらと雪化粧の境内
皆さん、明けましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願い申し上げます。

元旦正午より、新年盛運祈願会を開催しました。
私の記憶では、ここに住んでから(50年余)元旦が雪景色というのは初めてで、昨晩から、名古屋地方は雪が積り、北部の方は、雪で来寺出来なかった方も何組かあったようです。(雪国の方には、笑われそうな話ですが)

それでも、今年の新年盛運祈願会は、ホームページやパソコンのミクシィで知り合ったご家族も初めて参詣されるなど、用意した「みのぶまんじゅう」が足りなくなるという、嬉しい悲鳴でした。

又、恒例の高校生以下、お年玉・現金つかみ取り(写真)も、用意した袋が足りないなど、でも、子供さんに喜んでもらうことが最大のねらいですから、それはそれでまずまずです。

さらに、昨年暮れに、境内の樹木を全部取り除きましたので、景観がカラリと変わりました。
その代わりでもありませんが、門松を手作りで作り、新年を迎えました。(写真下)

次は、今月末に開催される「平成22年開運節分祭」に向け、さらにパワーUP です。
この行事は、大人も子どもも楽しめる行事です。
ぜひ、お気軽にご参加下さい。
詳しいことは、遠慮なくお尋ね下さい。


お楽しみ・現金つかみ取り
2009年11月24日(火)
 ハートフル ホスピタル

法音寺の本堂にてコンサート
「ハートフル ホスピタル」というのは、医療系バンドの名前です。

先日(21日)、日蓮宗名古屋宗務所主催の管区大会を開催しました。
その折、コンサートを行いましたが、今回は、このグループにお願いをしたということです。

リーダ―の赤澤医師は、現役の名城大病院の内科医です。
患者さんとの交流の中から生まれた作品が多くあり、今回は、「ありがとう」をメインに演奏して頂きました。
「ありがとう」http://ameblo.jp/heartfullhospital/

もともと、今回の管区大会は、「立正安国論奏進750年記念」ということですが、とても難しい表題なので、「環境・平和・いのちを守ろう」をサブテーマに、メインは「手を合わせてありがとう」としました。

管区大会の会場は、昭和区の法音寺さんをお借りしました。市内の日蓮宗寺院の中では、比較にならないほど大きな寺院ですが、全面的にご協力を頂きました。
その他には、講演会(岡田真美子さん)・日蓮劇(法音寺僧侶と檀信徒)・唱題法要・コンサートを行いました。
今回は、立場上、総合責任者でありましたが、無事終了でき感謝です。
2009年11月5日(木)
 美輪明宏さん音楽会
今日、急きょ、美輪明宏さんの音楽会(コンサート)を、愛知県芸術劇場・大ホール(2500名)で鑑賞することができました。題名は「美輪明宏 音楽会〈愛〉2009」でした。
しかも、席は2列目で、まじかに見ることができました。

もともとは、家内が檀家さんの娘さんと行く予定だったのですが、もう一人行く予定の方がキャンセルになり、ならば、私がということになりました。

内容は、2部構成で、1部は明治大正の叙情歌、そして戦争とテーマが続き、従軍慰安婦や原爆の歌を歌われました。
「ヨイトマケの唄」を生で聞けたのは良かったです。
曲の前に歌にこめられた想いを説明されるので、よく分かりました。
二部は恋愛をテーマにしたシャンソンでした。
最初から最後まで、美輪さん一人のみの舞台で演奏者は、舞台の袖で演奏しているので、一切、見ることはありませんでしたが、まったく飽きることなく観客を魅了する、すごいパワーでした。

始まる前の数分間は、今か今かと待ちわびる観客の緊張感か、まったくの無音状態となり、2500名誰一人、咳ひとつ聞こえてきません。まるで瞑想状態のようでした。まるで教祖がお出ましになる前の状態でした。
正直、今ままで多くの法要や、偉いと云われるお坊さんが登場するよりも、数倍の静寂と空気でした。

なんと言っても、すごかったのは、あらかじめセットしてあるアンコールですが、15分間位は完全に法話でした。
しかも、いつも私がお話しているような内容で、輪廻転生の話、因果応報の話、そして、皆さんは、仏に絶対なれる人であり、ここにいる人は、全員、菩薩であると断言していました。
菩薩である行いをしなさい。それが使命だと・・・・・。
そして、最後に「花」を絶唱して、すべての人に愛のエネルギーを与えていました。

ご存知の通り、美輪さんは、大変熱心な日蓮宗の信者です。
「みなさんは菩薩です」と言われるのは、それこそいい加減な坊さんが語るより、はるかに信念がちがいますし、影響力は違うと思います。
ちなみに、以前、宗門関係者の講演会では、しっかりとした信念の篭ったお題目をあげられていました。今回はもちろん、それはありません。

そんなわけで、久々に、再びやる気とエネルギーを頂いてきました。
2009年11月1日(
 お会式法要(おえしきほうよう) 

お会式には、桜の花(造花)で、内陣をお飾りします。
今日は、毎年、11月の第1日曜日に開催している、日蓮大聖人のご命日法要・日蓮宗ではお会式(おえしき)と言いますが、御報恩お会式法要を営みました。
今年で、日蓮大聖人が入滅されてから728遠忌を迎えます。正式には10月13日がご命日となりますが、各寺院では、10月〜11月にかけて、お会式が営まれます。
本年は、特別法話に、西区 円頓寺住職の塩田宝裕師にお願いし、子供たちの生活を通じて、法華経、お題目の尊さをお話されました。

又、午後からは、七五三祈願も行われ、発育増進と日々の感謝を祈念しました。

塩田宝裕師の法話
2009年10月24日(土)
 京都団参
昨日(23日)日蓮宗名古屋宗務所主催の団参が開催され、法筵寺からも住職を含め15名の方に参加して頂きました。尚、総勢は260名弱でした。
 今年の団参は、現在、京都国立博物館で開催されている「日蓮と法華の名宝」という展覧会を見学することが中心となりました。
この展覧会は、立正安国論奏進750年を記念しての催事ですが、京都の寺院を中心に多くの寺宝が出品されています。詳細はこちらhttp://www.nichirenshoninten.jp/

又、午前中には、大本山妙顕寺にも参詣することができました。

尚、この展覧会は、11月23日まで開催されていますので、是非、ご覧下さい。

2009年10月2日(金)
 懐かしの武井坊”えっ!まだあったの”


武井坊の東側(この建物も無くなります)
先月、身延山団参の折に、檀信徒の皆さんと武井坊へ参籠(さんろう・泊まること)しました。
9月30日、再び行ってまいりました。

今回は、学生時代お世話になっていた、武井坊(現在の日蓮宗宗務総長・小松浄慎師の自坊)が、本堂と一部を残し、全面建て替えをすることになったのです。 建物は昭和の初め頃だそうですから、80年前の建物です。

昭和45年3月より、身延山高校、身延山短期大学(3年制)と6年間生活をした場所であり、その以前からも、毎年、団参等で泊まっていた所でしたから、懐かしさと、お世話になったお礼に最後の家祈祷(やぎとう・家のお祓い)に出仕したということです。
もちろん、導師は、武井坊住職である小松浄慎師ですが、あとは、お弟子の方が出仕されました。
9月30日に最後の家祈祷を行い、翌日10月1日には取り壊しが始ました。

30日昼頃、到着したのですが、すでに、生活用品は運び出されていました。
いつも行っていたところなのに、すべての物が運び出された後は、まるで、魂が抜けたようなガランとした空気になっていて、広間には、もともと何もなかったのに、さらに静かに役目を終えるような不思議な感覚でした。

あちこち、見ていたら、懐かしいものを発見しました。
それは、写真〔下〕にある案内です。
それは、私が、高校生の時に書いたもので、参籠者の方への、電話の案内版でした。
一部、「ピンク」から「キイロ」に誰かが書き直したのでしょうけど、あとは、そのままで40年近くも掲げていたことに、びっくりでした。
 しかも、「掛ける」という字が間違っていることも、見た瞬間分かりましたが、それさえも変更されていなかった・・・・はずして持って帰りました。

そんなわけで、来年4月頃には、新たに生まれ変わるようですので、また、楽しみに行きたいと思います。


40年も前の案内。
見つけた時は、思わず懐かしいと思いましたが、字が間違っていると、一体どれだけの人が見たのでしょうか・・・・(恥)
2009年9月5日(土)
 信行道場・その3 


最後の御廟所参拝・中央で太鼓を叩いています。
以前からUPしてきた長男の僧侶となるべき修行。
信行道場が、本日、終了しました。

先週、檀信徒の方々37名程で、身延山へ長男の修行中の姿を見る為に団参を行いました。
しかし、一切見ることができなかったのです。 始まる前から、檀信徒の方も期待して参加されたのですが、まったく見ることはできませんでした。

実は、例のインフルエンザが、前の日記(8月19日付)後に道場内に蔓延してしまったのです。
保健所の指導のもと、後半の2週間は、まったく外で出ることは許されず、ひたすら、道場内に籠り読経をするしかなかったようです。

長男は、最後まで倒れることなく、元気ゆえに隔離されている人の分まで、仕事を続けなければならなかったようで、時には、6人中2名のみの時もあったそうです。隔離されている修行生に食事を運んだり、堂内の雑務も3人分こなさなければならず、まさしく、真の修行になったようです。

そんなわけで、私は期間中、一度も会えることはできませんでしたが、終わる3日前に、ようやく沈静化したとのことで、本日の終了式を迎えることができました。

本日、最終の総本山の朝勤では、先回に続き木番となっていて、法主猊下導師のもと、本山の僧侶の方や、学生、道場生70名以上の法要を、木鉦(もくしょう)引っ張っていかなくてはなりません。見ている私の方が、ドキドキもので、近年にない緊張感でした。

以前から、最終日は、「頼むぞ」と言われていたうようで、それで、始まる前は、さすがに緊張していたようで、顔が引きつっていました。

本日から、日蓮宗の僧侶としての第一歩ですが、これからが本当の修行です。
明日は、行事なので、まずは、檀信徒の皆さんにご挨拶からです。


終了式を終え、やっと親子共々、笑顔
2009年8月24日(月)
 七面山登詣団参

雲がさまざまに変化していきます。

毎年、恒例となった七面山団参が、22日〜23日に開催されました。今年は、来週に身延山団参もあるので、参加者は例年より減少して、名古屋から19名・東京から5名の24名でした。

 お天気には恵まれ、写真のように、きれいなご来光も拝めました。
参道は、いつもと様子が異なり、昨年来から、一丁ごとの石灯篭を新規に建立したようで、その運搬用にと、土のうが積まれていて、どうやら、それが登り降りに支障をきたしている感がありました。
以前までの、灯篭は山頂の門付近に移転建立されていますので、そこで見ることができますが、工事は大変だったと思います。

 来年も開催しますが、次回は是非、参加したいという声も多くありますので、日程の調整が整えば、来年と言わず開催してみようかと思います。

しかし、毎年、登詣者が減少する一方のようで、道中の坊(お寺)では嘆いていました。多くの、皆さんにも是非、登って頂きたいと思います。

参加者と記念撮影
2009年8月19日(水)
 信行道場・その2


法要を終え、後片づけ中の海頌仏殿納牌堂
昨日、総本山身延山久遠寺にて、毎年8月18日に営まれる「英霊戦没者追善法要」に、信行道場に入場中の弟子・海頌が出仕(出る)するとのことで、案内がありました。

以前より、参列する予定でいたのですが、名古屋市の宗務所長(私は副長です)さんのお母様が亡くなられ、18日本葬儀が営まれることとなりました。立場上、副導師をお願いされましたので、急遽、家内と娘たちと祖母のみでの参列となりました。

夜中に、車で身延山へ行き、朝勤から参列、午後1時からの法要に参列したとのことです。
道場から総本山までの道中は、うちわ太鼓をたたき、お題目を唱えながら歩くので、一切、会話はできません。もちろん、修行中は一切の交流はできませんから、ただ、遠巻きに眺めるしかありません。

弟子と言えば、朝勤の時や、お堂から出てくる時も、出来るだけ家族と目を合わせないようにしていたようで、しかも顔色も良くないようで、とても心配したそうです。

やがて、午後になり、法要が始まりました。
すると、木鉦(もくしょう・日蓮宗では木魚ではなく、木鉦といい、テンポのいいリズムがきざめます)の位置に座ったそうです。
まさかと思いつつも、やがて、法要が始まると、打鳴はじめたそうです。

法要では、金座(きんざ)といい、全体の流れをコントロールする人がいます。 次いで、木番(もくばん・木鉦を打つ人)が重要なポジションです。
大勢の人のお経を、木鉦のリズムで整えまとめていく訳ですから、法要全体の流れが決まります。

そんな役をもらえた(選ばれた)と、後で娘からのメールで知りました。
本人にも、とても意義ある法要で叩くことができたことは、今日までの努力が実り、将来の励みにもなります。親ながら、良かったと思いました。

たしかに、そんな役をもらっているのですから、朝勤時や、途中で目を合わせても無視。顔色が悪いのも、緊張感でそれどころではなかったのでしょうね。

すべての法要が終わり、後片づけ(写真・中)の時は、ホットしたようだったみたいです。

今回、もう一人の副導師を務めた、Y上人の長男も同じく修行中です。
二人とも、この法要を見ることができませんでしたが、それはそれで意味があったんではと思います。
多分、見ていたら、アレコレ言うでしょうし、まあ、今回は、家内や娘たち祖母が大いに感動したことで良かったと思います。
今月29日〜30日には、団参で身延山へ参ります。檀信徒の方には、総本山まで一緒に歩いて頂きますので、又、それぞれ参加される方にも、良き思い出になると思います。


修行僧を見送る祖母大本堂前
2009年8月4日(火)
 信行道場へ入場しました。


入場・信行道場前にて
信行道場(しんぎょうどうじょう)というのは、日蓮宗の僧侶となるべき、最初の本格的な修行のことです。日蓮宗総本山身延山久遠寺の山内にある、「信行道場」という施設(お堂)に、35日間籠り、毎朝、久遠寺の朝勤に出仕(お勤めに参加すること)しながら、僧侶としての基本を学び習得していきます。

日蓮宗の僧侶としての最初の関門・最低限の修行ですが、ここに入場するまでには、数々の通過儀式や知識の習得(身延山や立正大学での専門知識を学ぶなど)を経て入場する資格が与えられます。

宗派によって資格習得は、まったく異なりますので、どこがいいとか辛いとかではなく、今世、どの宗派を選び学ぶかを、まさしく自ら選んできたとしか思えません。 まさしく仏縁というべきでしょう。
最初に出会った宗教がその人の人生に大きく関与しますので、それは、僧侶とならないまでも、皆さんも不思議だと思いませんか。

さて、そんな訳で、一昨日(8月2日)より、長男が日蓮宗の僧侶となべき信行道場に許可されて入場しました。1年半前に、僧侶となると決意し、立正大学の3年に再入学し(すでに地元の大学は卒業)、日蓮宗宗立の学寮に入寮、日々、僧侶としての特訓を受けてきました。 その成果の一部でも助けになればと思います。

本来ならば、師匠であり父である私が送るべきでしたが、2日は、前の日記の如く、行事と重なり家内が送りに行くことなりました。留守の間の準備、 当日の行事を、私と、娘2人で行うことになりましたが、皆さんの協力もあり無事終えることができました。

 身延山での入場式は、どしゃぶりの大雨の中だったようで、大変なスタートのようでした。
今回は38名の入場で、近年では極少のようです。少子化か、それとも、原因があるのか分かりませんが、いずれにしても、決意したことですの、しっかりと学んでくれるのを祈るだけです。

尚、9月5日まで、毎朝、久遠寺の朝勤に出仕していますので、この期間に身延山へ参拝されます方は、朝4時30分位に、信行道場から太鼓を叩き唱題(お題目)を唱えながら、登って行きますので、その姿や朝勤を見ることができます。

又、ここでも見ることができますから、是非どうぞ。
【身延山ライブカメラ】
http://58.1.249.244:60001/CgiStart?page=Single&Language=1
毎朝、午前5時前後に、カメラの前あたりを通過します。
ただし、早いので、よくご覧下さい。

早々に、大雨の中、太鼓係
2009年8月2日(
 夏休み「親子の集い〜寺子屋〜」 


合掌する姿も、どんどんと上手になってきました。
毎年8月盛運祈願会l゚後からは恒例行事の、『夏休み「親子の集い〜寺子屋〜」』が、親子60名の参加にて開催されました。
今年は、梅雨明けもせず連日の雨天で、前日からの準備でも、突然の豪雨がありました。幸い後半の行事は、駐車場が会場なので雨の心配はありませんが、しかし、あまりの雨でさすがにテンションは上がりませんでした。
当日も、午前中は多少降ったものの、やっと午後からは晴れてきました。

例年のように、本堂での行事は、日蓮宗名古屋青年会より8名の青年僧侶に協力して頂き、唱題行や日蓮聖人伝をクイズ形式で行ったりと、小さい子供から大人まで、真剣に取り組んいました。

写真のように、年々、合掌の姿も上手になっています。とても嬉しいことであり、将来、このような事がどのような形や想いで表れるのか楽しみです。
純粋な合掌の姿は、美しいですね。

本堂での信行タイムが終わると、1階に会場を移し、流しそうめんや、鉄板焼き、スイカ割り、風船釣り、花火、福引と、大人の方が発揮されていました。今年、新調したプールでしたが、さすがに寒いから、誰も入らないと思いきや、やはり、子供達です。服のまま、わざと濡れにいき、最後は全身ずぶ濡れとなり、結局は入るという・・・用意した甲斐がありました。

あと片付けも、皆さん手慣れたもので、あっという間に片付けられました。
毎年、参加者も増えています。本来の目的である、幼い頃から手を合わせる尊さを伝えることの一方法ですが、何時かは実を結んでくれたらと思う行事です。


さてさて、そんな中で、実は、長男が、本日、僧侶となるべき信行道場に入場したのです。
これについては、又、後日・・・・UPします。


日蓮宗青年会の皆さんも一緒に楽しんでくれています。
2009年7月26日(
 提婆達多(だいばだった)


インドで撮ったスナップです。 ブッタガヤにて
先週の「法華経の世界」学習会からのお話です。

毎月、法華経のお話を順次、進めていますが、「妙法蓮華経提婆達多品第十二」のお話でした。

お経の内容は、簡略に言いますと、2つの内容があり、前半は、お釈迦様のいとこにあたる、提婆達多(デーバダッタ)という人物のお話です。

お釈迦様は、悟りを開かれて仏様になる前は、シッタルダ王子と呼ばれていました。
いとこにあたる、提婆達多(だいばだった・日本的な呼び方)は、それなりのさまざなな能力を持っており、また、何かに付け、幼い頃からシッタルダ王子とは、互いに優劣を競っていたようです。
しかし、シッタルダ王子が仏様となり、教団も組織されて、だんだんと高名になってくると、嫉妬や妬みがおきてきて、なんとかして、いつかは釈迦教団を乗っ取り、自分が最高位に就こうと、さまざまな企みをしてました。

ある時は、象に踏みつぶすよう仕組んだり、谷から大石を落として、とにかくお釈迦様を亡きものとしとうとしていました。
しかし、実際には、計画はすべて失敗します。

あまりにも、悪徳卑劣な行動に対し、お釈迦様の弟子たちが、ある時どうして、いとこでありながらこんな事をするのかと尋ねます。
すると、お釈迦様のは、次のように言われました。

「あの極悪非道と呼ばれている提婆達多は、実は、過去において、私の師匠であったのだ。尊き教えを授かる為に、千年にわたり、あらゆる方法で仕えてきたのだ。
今日、私があるのも、あの師匠のお陰である」
そして、「やがては、天王如来(仏)になるであろう」と言われました。

私たちの周りにも、ライバルや、特に親族の中にも、とても自分を困らしたり、悩ませる人がいますよね。
ある意味では、実は、この人たちのお陰て成長していることもあるはずです。
それが、理に叶っていないと思えることでも、現実には、その影響を受けています。

よくよく考えてみると、親子、兄弟、夫婦となるには、それだけの意味があります。
その身内という中だからこそ、逃げきれない現実も多々あるはずです。
なんで、いつもそうなのか・・・・。なぜなのか・・・・
しかし、これとて、身内だからこそ真剣になざるを得ないのです。

でも、それによって、自らを鍛えられているとなれば、その出来事はとても重要な意味があります。
この地上世界も同じで、すべての出来事に意味があるとなれば、一方的に相手を責めるばかりではなく、正反対な考え方もできます。

今、一度、身の回りを考えた時、果して、この人は私に何を気づけと言っているのだろう。
何を教えてくれているのでだろうと、考えてみてはどうでしょうか。

もちろん、今、この文章を素直に読める方も、そうでない方もおられるでしょう。
なにかを感じて頂ければ、それで充分ですが、いつも、自分に意地悪をしたり、悲しませたりする人は、あなたにとっての提婆達多と言えます。

本当は、あなたが、わざわざ頼んで、提婆達多の役を演じてもらえるように頼んだのかもしれません。
それに気づいてたら、あなたも、提婆達多役の方も、救われるのです。
この際、抵抗をやめて、認めてみましょう。

来月は、後半のお話です。


インドで撮ったスナップです。 ブッタガヤにて
2009年7月6日(月)
 お盆の法要を営みました。


盂蘭盆会施餓鬼法要(うらぼんえせがきほうよう)
昨日、お盆の施餓鬼法要(せがきほうよう)を営みました。
お天気に恵まれましたが、その分、蒸し暑さもありました。もちろんお寺全体は冷房が入っていますので心配はありません。

午前中は、毎月の盛運祈願会を営み、午後から施餓鬼法要となります。午前中から参詣されておられる方は長時間になりますが、ご先祖様へのご供養のことですから少々我慢です。
午後から参詣され方も多く、いわゆる檀家の方が中心となります。もちろん、午前中もそうですが、檀家の方以外の方の参詣が多いのが盛運祈願会です。

法要には、長男も一時帰宅して出仕しました。長男は、来月より日蓮宗の僧侶として修行に行くことになっていますので、その紹介も兼ねてご挨拶をさせて頂きました。普段、なかなかお会いすることがない古くからの檀家さんもおられ、久々に見る長男に驚いておられました。

お盆は申すまでもなく、ご先祖様や亡き方へのご供養を捧げる為の行事でありますが、お盆に限らず、平素より、スムーズな関係であることが大切です。
この地球上に誕生する大きな理由のひとつに、必ず両親がいるということで、その両親にも親がいる、それが綿々と連なるのでご先祖代々と称しますが、これは、宗教でもなんでもなく自然の摂理であります。雄と雌が存在することで子孫が誕生するだけのことです。

しかし、その人間関係の中から、さまざまなことを体験できるようになっています。特に喜怒哀楽、生老病死など、身近であればあるほど強烈に感じるようになっています。
これによって、さらに大切なことに気づかされます。どうやらその為に、先祖も含め今の両親を選んだということになります。

人生を生き抜く中に、両親や先祖との関係が大きく影響していることは否めません。ならば、最も良き影響であって欲しいと誰しも思います。どうやら、そのベストの関係を保つ方法が、「感謝」であり、古来から宗教でいう供養という方法であったと思います。
ただ、なんでも供養さえすればいいということではありません。双方の関係においてスムーズ(誤解や不安、疑心暗鬼になっていない状況)であるかどうかが重要であります。
まずは、身近な両親、祖父母、兄弟間においての関係が分かりやすいことですが、亡き方も同じですので、心から信頼できているかです。
すでに、対象とする相手が亡くなっておられる場合は、今スグにでも、その関係は修復できますので、心の中で、そのことを行って下さい。キーワードは「許し、誤解の解消、愛すること、そして感謝」であり、祈りはその後のことです。

どうぞ、これからお盆を迎えられます方々は、一度、亡き方と正面から向かい合い、これらのことをお考え頂き、心の中で昇華して頂ければ、最高のご供養になるかと思います。
もちろん、そのためのお手伝いはさせて頂きます。

今回、そのようなお話をさせて頂きました。

2009年6月7日(
 法筵寺守護神報恩祭

大黒様と恵比寿様
今日は、守護神様に対しての報恩祭が営まれました。
もちろん、日々に感謝は申し上げていますが、皆さんと共に、年に1回、この時期に行います。
皆さんと一緒に法要を営み、その後、お話を致しました。

今日のお話から少し・・・・・

「神仏は言葉以外でもコミュニケートする。
  それどころか、言葉はめったに使わない。
   いちばん多いのは、感情を通じたコミュニケーションだ」
というメッセージがあります。

日々に、神仏やご守護神様は、私たちを守ってくださっているといいますが、困ったとき、苦しき時、ピンチの時、何かして欲しい時、助けて欲しい時など・・・・
何か言ってよ!と思いたくなる時あります。
でも、直接、言葉で語りかけて頂けることは、なかなかありません。 いや、ほとんどないと言ってもいいでしょう。
ゆえに、やっぱり、この世には神仏なんていない。いるわけないとなります。

でも、よくよく考えてみると、自分の要求している内容は、とても次元が低い、すなわち、時間が経てば解決するようなことであったり、もう少し落ちついて考えれば、意外と答えは出るようなことであったり、また、法外な要求であったり、そういうことは多々あります。

そういう場合は、絶対に語りかけて下さいません。それは必要ないからです。
もし、耳元で、ささやくようなことがあれば、それは、神仏に名を語る、違う存在かもしれません。そういうことは多いです。なぜなら、そういう次元に類は、私たちを利用できるからです。

ゆえに、じっと見守り、どのように決断するのかをご覧になっていると言えます。では、守ってくれないのかと、そうではなく、常に、そんな時こそ、一層守りの体制に入っているのです。ゆえに、絶対絶命の時、超緊急時には、必要ならば、最大限の奇跡を起こしてくれるはずです。

では、平素は、言葉ではなく、どんな風に語りかけてくれるのかというと、それは、感情(心・魂)を通じてですので、頭で考えても無理です。
さまざま出来事を通じて、その反応(心)によって、神仏の存在を知ることになります。

心に浮かぶ、素直な反応、正直な気持ち、それが本当の自分であり、かつ神仏と同通する思いです。決して、外部にあるのではなく、すでに、いつで も、内側に在る。と考えればいいのです。一瞬のひらめき、感動、すべてそうなのですが、浮かんだ瞬間、こんなことを言えば、恥ずかしい、人から何を言われ か分からないと、すぐ自分の頭が反応して、素直な感情を打ち消しています。
ゆえに、ありのまま、そのまま、感じればいいのです。
大人になればなるほど、世間体が気になればなるほど、どうでもいい自我が邪魔をするのでしょう。ゆえに、神仏からどんどんと離れていくのです。

シンプルになるとは、そういうことかもしれません。

又、お祀りされている大黒様と恵比寿様のお話の中で、
皆さん方の富を大きくするには、自分がどれだけ他の人々に富を与えるかによって変わります。つまり、大黒様の与える福は他の人にどれだけ福を与えたいか、他の人にどれだけの喜びや富を与えようとしているのか、その大きさが福の袋になります。
自分が、大黒様の代わりとなって、他人に福徳を与えることが、大切なことです。

今日は、一人ひとりにこの袋をお渡しましたので、どんどんと福袋を大きくして下さいと話しました。
みんな素直に受け取って頂けたでしょうか。

本堂内、守護神様
2009年5月24日(
 ふれあいの日

自慢の作品を持って記念撮影
今日は、恒例となってきた「ふれあいの日」開催日で、第2回目のビーズワーク教室と裁縫教室が行われました。

「ふれあいの日」というのは、前回(4/12)の日記にも書きましたが、住職の家内が開催する日で、月に3日間、開催されています。(来月は4回とのこと)

今日は、先月行ったビーズワークが好評で、第2回目となり、いちごをモチーフにしたビーズを作りました。参加者は16名あり、大人も子供も、特に子供は、手先が器用なこともあり、時間内に2個作る子も数名いました。

昼食は、家内が用意しますが、本日は、二色どんぶりでした。その時の状況に合わせて、昼食の内容が変わるようです。
午後からは、白衣の裁縫教室となりました。
長男が、今年の夏に信行道場(お坊さんになるための修行)に入場します。
その時に着る白衣を皆さんに裁縫して頂くよう、以前から募集とお願いをしていましたが、集中して行おうと、数名の方が裁縫をされました。
すでに自宅で裁縫されておられる方も何人かおられますので、最終的には、何枚出来るか分かりません。

このようなことは、本人もそうですが、実際に作られた皆さんも、自分の裁縫した白衣が修行に用いられることは、とても深い意味があるかと存じます。

又、夏には、身延山へ団参を行いますので、その折、わずかでも修行中の姿を見ることができたら、さらに感慨深いものがあるかと存じます。

日々のこうした中に、私たち僧侶も、檀信徒の皆さんに、物心両面にわたり育てて頂いています。
せめても、感謝の気持ちと、恩に報いるよう努力を忘れてはならないと心しています。

この左側では、ミシンにて縫製しています。
2009年5月3日(
 5月盛運祈願会

参詣の子供たち。
今日は、5月の盛運祈願会が営まれました。

連休中でしたので、昼食を少し控え目に用意したのですが、結局は、我々の分が足りない位でした。そういう意味では、多くの方に参詣頂き、良かったです。

今日のお話の中から

『神(仏)を知るためには、あらゆる現世的な情熱を克服しなければならないと教える人がいる。
 だか、そうではない。
現世的な情熱を理解し、受け入れるだけで充分だ。
 抵抗すれば、相手はかえって強くなる。見つめれば、相手は消える。』

あらゆる困難を乗り越えなければ幸せになれない。
難行苦行をしなければならない。
世間の人たちよりも、数倍の努力をする必要がある。
などと言われますが、ならば、これで本当に幸せになれるかということです。

それよりも、今の状況を、ありのまま受け入れた方が、早く楽になります。
どんな人間関係でも、相手に対し、抵抗することほど無駄で、逆効果ということを知りましょう。逃げずに真正面から、受け止めた時、意外な結果になるということです。

今の状況を何とか打破したいと思えば、思うほど、戦うのをやめればいいのです。
苦しみも、戦いや抵抗をやめてしまえば、いいのです。
神仏が見えない、分からない探し求めているのならば、それをやめればいいのです。
実は、すぐ前に、いや、そこに、共に存在していることに気づきます。

菖蒲(しょうぶ)湯に入ると、無病息災と言われています。
2009年4月12日(
 ふれあいの日
 

参加された皆さん。
今月の予定表をご覧になると「ふれあいの日」というのがあります。月の3日間を「ふれあいの日」として、お寺を解放しています。

これは、先月から始まったばかりですが、私ではなく、家内が担当する日で、「誰でも自由に遊びに来て下さい!」ということで、好きな時間に、好きなだけ、お茶を飲んで語ろうという主旨です。又、自分の趣味とか特技を伝えようという日(教室)もあります。

今日は、ビースが得意という檀家さんの呼びかけで、日曜日ということもあり、大人や子供が参加しました。

昼食をはさんで、午前11時から午後3時頃まで、ワイワイと楽しく過ごしたようです。
と,言うのも、私は、昼食のカレーの味を調整した後、他のお寺の行事に出かけてしまいました。その間のことは分かりませんが、でも、私が居なくても人々が集まれるというのが、この集いの狙いですから、まずは成功ということでしょう。

お寺と言えば、修行とか、法事・葬儀などしか浮かびませんし、それ以外では足を運びません。しかし、そうではなく、いつでも気軽に来れる所です。

先月は、自分の悩みや、住職に話しをするまでもないけど、話したい方など、庫裡(くり・住職の妻)としての立場で応対できればということです。

その他の教室は、他のお寺の檀家さんに「風呂敷で作るパッケージ(仮称)」が開催されます。

尚、このビーズ作りは、好評に付き、毎月開催すると決まったようです。
開催日は、予定表にて確認して下さい。

参加された皆さん、お疲れ様でした。

皆さんの作った作品
2009年4月5日(
 花まつり(釈尊降誕会)

花見堂の誕生仏。甘茶をおかけします。
本日の盛運祈願会は、お釈迦さまの誕生をお祝いする、釈尊降誕会(しゃくそうんこうたんえ)通称・花まつりと合わせて営みました。
 
 お釈迦様は、今から2600年ほど前の四月八日、カピラ国(ネパール)の浄飯王(じょうぼんのう)と摩耶夫人(まやふじん)との間に、ゴータマ・シッダル タ王子としてお生まれになりました。のちに「釈迦族」という族姓から、「釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)」と呼ばれるようになります。

 ルンビニーの園で、誕生されたお釈迦様は、七歩東へ歩まれると、右手を上に、左手を下に向けて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃいました。「天の上にも天の下にも、私ひとりこそが尊い」という意味であると同時に、人間は生まれや育ちにかかわらず、みな平等に尊い存在だということ も意味します。その尊き存在であることを知るために、日々の様々な醜い出来事を体験せねばなりません。しかし、人の幸せや不幸は決して環境などから与えられるものではなく、すべて個々の心が作り出すものだということも思い出す必要があります。

 またお釈迦さまがお生まれになった時、天からは甘露(かんろ)の雨とたくさんの花が降りそそいだと伝えられています。この時のお姿を形どった像の上から甘茶(あまちゃ)をそそぐのも、この行事が「花まつり」と呼ばれるようになったのも、そうした由来です。

本日、参詣された皆さんには、誕生仏に甘茶をかけて頂きご報恩を祈りました。又、法要後の法話では知恩報恩についてお話をし、誕生を祝うとともに、新たなる出発を誓って頂きました。


境内のしだれ桜も満開となりました。
2009年3月20日(金・春分の日
 写経の会

写経に取り組む皆さん
春のお彼岸の行事Vとして、「写経の会」を開催しました。
ちなみにパートTは、15日開催(前の日記)された「春季彼岸永代供養法要」、そしてUは、法筵寺墓苑の彼岸回向、そして、本日の「写経の会」です。

今日は、中学生の女子から65歳の男性まで、7名の参加がありました。ほとんど、写経は初めてという方ばかりでしたが、それぞれ、お手本となる、妙法蓮華経の4種類の中から選び、写経されました。
自宅で写経をと思っても、なかなか出来ません。このような機会に写経に親しんで頂けたら思います。

又、今回は、2日前から住職自ら香辛料をブレンドして作ったチキンカレーを召し上がって頂きました。ナンは家内が作りましたが、皆さんにお出しするためにはと、何回もそれぞれチャレンジしました。おかわりもして頂けたので、喜んで頂けたかと思います。


    
     モクレンは満開になりました

自己満足採点で80点(甘い。でもカレーは甘くありません)
2009年3月16日(月)
 春季彼岸法要

法要前の本堂
昨日、春季彼岸・永代供養法要が営まれました。
毎年、春のお彼岸には、檀信徒の皆様のご先祖様や亡き方への追善供養法要を営みます。
 多少の肌寒さは残るものの春らしいお天気に恵まれ、多くの檀信徒の方々にご参詣頂きました。
特に、昨日は、長男が春休みの帰省中なので、もちろん、まだ見習い中ですが、法要に出仕するよう以前に伝えてありました。どうやら、総代さんに、そのことを本人が話したようで、ならば、何が何でも出席するという方もおられようでした。
中には、法要中、一つ一つの行動にハラハラしていたという方もおられたり、又、体格が私よりも良いせいか、「頼りになる」と言われたりと、まだまだこれからが本格な修行となるのですが、それでも檀信徒の皆さんに可愛がって頂けることは嬉しいことと感謝しています。

 今年の夏には、僧侶へ修行(信行道場)に入道する予定で、今は、皆さんにも白衣を作って頂けるようお願いをしています。

私たちは、本当に皆さんに育てて頂いていると思います。

尚、20日のお中日は、恒例の「写経の会」を開催します。
今回は、昼食に住職手作りのインドカレーとナン、そして、チャイを召し上がって頂くよう準備しています。
ただし、カレーの方は、同じ味のものは作れていませんので、あしからず。

もちろん、誰でも参加できますが、予約して下さい。詳細は、行事日程をご覧下さい。

お寺の前の街路樹(モクレン)も間もなく開花します
2009年3月2日(月)
 廣中邦充師

本の収益は、すべて子供たちの教育基金になるそうです。わずかながらの応援です。
日蓮宗名古屋社会教化事業会が主催する「心の教育講座」という講演会が開催され、今回は、愛知県岡崎市の浄土宗西居院住職の廣中邦充師が講演されました。
対象は、檀信徒で120名程集まりました。ほとんどが高齢者の方でしたが、皆さんには、とてもイキイキするような講演会だったと思います。

 廣中邦充師は、問題や悩みを抱える少年少女をお寺に引き取り、一緒に暮らしながら厚生させておられます。今までに、693人の子供たちと関わり、現在も2歳の子からはじまり15人がいるそうで、しかも、今尚、自宅待機している子は2032人もいるとのことです。
すでにその活躍ぶりは、テレビや新聞、雑誌にも多く取り上げられています。

 今回は、その体験談を踏まえながら、家族の大切さや、特に、寺院と檀信徒の在り方をユーモアを交えながらの内容でした。浄土宗のお坊さんながら、お題目や法華経を語っていましたが、しかし、自分の信仰に自信がないと、ここまで言えないとも思いました。

こういう話がありました。
 今、世間では教師(学校の先生・お坊さんも教師といいます)について、いろいろと取り上げられていますが、一番は、教師像について、まず教師自身が、その自覚や意識があるかということです。教諭ではなく、教師であることが重要です。師とは、尊ばれる人を言うのですが、そういう人になっているかです。
 又、父親象にオーバーラップして教師像をみるので、家庭でも父親像、もしくは母親像に威厳があるかです。家庭になければ、教師には求めないということです。
しかも、家庭において、自分の子供の担任教師をバカにしたり、蔑んでは、子供は同じようにするのです。
 檀信徒にも同じことが言えるのです。尊敬される教師(僧侶)でなけらば、家庭においても、お坊さんを尊敬せず、やがて、宗教離れになり、宗教は継続されていません。(それは、私の反省する面でもあります)
 まずは、家庭におけるそれぞれの役割、使命を全うすることから始めるべきと反省しました。
 2時間の講演でしたが、始終とても元気に語られ、多くのことを学びました。やはり、実践とつねに現場を活きて(あえて、この字を使います)おられます。もちろん、それぞれの使命があるので、私は私の道を行きますが、今日の講演は、家内もとても良かったと、いろいろと話しながら、また、これからのことを語りながら帰ってきました。
2009年3月1日(
 盛運祈願会

雛人形の前で、接待スタッフの一部の皆さん
今日は、盛運祈願会でした。
毎月、第1日曜日の午前10時から始まり、法要、法話後、昼食を召し上がって頂き終了します。
3月は毎年、何故か参詣者が少ない日です。

ちなみに今日の法話は、日蓮大聖人の「法蓮鈔」からの一節と、次のようなお話をしました。
 地上の経験や出来事に感じる苦痛を
 −自分の苦痛も他者の苦痛もー
 減らすには、受け止め方を変えればいい。
 あなたがたには、外部の出来事を変えることはできない。
 だから、内的な経験を変えるしかない。

日常には、さまざまな出来事が、自分にも他人にも起きていますが、その出来事に対し、苦痛と感じるかどうかは、考え方の違いです。
「法蓮鈔」の中にも、私たちの肉眼では、とても尊き教えの法華経といえども、単に見るだけでは印刷された文字が並んでいるに過ぎません。たとへば、餓鬼界のものが見れば、ガンジス河の水は、火に見えるだろう。人はそのまま水である。しかし天人は甘露(極上の飲み物)として見る。同じ、水であっても、その人の価値によって異なるとあります。
 まして法華経の文字は、皆生身の仏様であると説かれているので、そのことをよく考えなさいとあります。

自分以外の出来事や、他人を変えることはできません。でも、なんとかして変えてやろうと思っていませんか。それが苦痛につながっていることに気づけば、即刻、そのことをやめればいいのです。それが考え方を変えるということです。
まずは、自分の苦しみの原因を、第3者になって考えてみましょう。ということです。
その智慧を授かるのが、行事に参加する大きな意義であるのです。
2009年2月9日(月)
 希少な結婚式

三三九度盃礼の儀
昨日、近年では希少となった自宅での結婚式を行いました。

昔は、結婚式と言えば、自宅で行っていたようですが、今では、結婚式場かホテル、また、レストランなどが主流で、しかも、その時だけ、にわかキリスト教徒になったり、神道になったりと、ほとんどは挙式から披露宴までというパックです。 

今回の結婚式は、法筵寺の檀家さんではなく、宗派は曹洞宗というお宅で、立派なご仏壇もあります。しかし、以前から熱心な日蓮宗の信者の方で、結婚する長男の両親の願いで、自宅で、しかも亡きおじいさんの前(仏前)で行いとのことでした。 
 長男は、現在、東京在住で、新婦も東京の方ですが、ご両親が出席されました。新郎側は親戚など、30名前後の出席があり、近所の方も多数(見学を兼ね)出席されていました。 
もちろん、曹洞宗のご本尊の前で行う訳にはいきませんので、前日より、祭壇を組み中央にご本尊を安置しました。その後方に仏壇と神棚があります。 

ご両親は、能や長唄にも精通されておられるので、玄関先にて「高砂」を謡い新婦を迎え入れましたが、見学に来ていた50名以上の近所の皆さんも神妙にご覧になっておられました。 

挙式は日蓮宗の正儀に則りて行い。三三九度の儀式には、新郎の姪に手伝ってもらい、進行の補助には、私の次女が行いました。
結びには、いつも結婚式で読み上げる「結婚する二人に送る言葉」をスピーチし、お祝いの言葉をおくりました。 
引き続き、新郎新婦による鏡開き、親族固めの盃と、その間には、父親が祝の舞、母が祝の唄を披露し、その姿にも近所の方は、びっくりされていました。(わたしもそうですが) 

そういうことで、今回は私にとっても、とても貴重な体験でありました。
ちなみに、本堂での結婚式は、1年に1組位は行われています。ほとんどは、スーツ程度の服装で行いますので、入籍時とか、正式に結婚宣言をしたい方は、いつでもお待ちしています。

仏間に特設の式場を設営しました。
2009年2月6日(金)
 ある友人の日記から
今日は、ミイクシィのお友達がUPされた日記を読んで考えさせられたの転載させて頂きました。
又、一人でも多くの人にもとのことで掲載を勧めていました。

〜本文〜
先日、私の古くからの友人からお電話があった。

彼女は私より年上の苦労人で優しく純粋でキレイな女性だ。
今から20年前42歳で高齢だが待望の妊娠、出産をし、たいちゃんが誕生した。

たいちゃんは生まれつき股関節と脳に障害があった。
何度も股関節は手術を重ねて今では、歩いているが…彼の精神年齢は、小学三〜四年生程らしい。

ここ数年は聴覚にも何等かの問題が出てきていて補聴器は手放せない。
そして、手先にも障害があるため、うまく手作業が出来ない。
色々、支障はあっても、彼女は諦めずに愛情と一生懸命な指導の下、そこそこ、読み書きが出来るようになった。

たいちゃんは、とても温厚で一生懸命に何事にもチャレンジし、いつも笑顔が優しい青年になった。そして小さな頃から人懐っこい性格は今でも変わらない。

たいちゃんのお父さんは彼が生まれて三年後に癌が見つかり、三ヶ月で他界した。

ご主人は、会社を経営されていてバブルが弾けた影響もあり、亡くなられた時莫大な借金を残し、彼女は天涯孤独の身、誰にも頼らず17年間借金を返済しながら、たいちゃんを女身一人で育ててきた。
彼女の素晴らしい所はどんな大変な時笑顔で大丈夫〜!何とかなるわぁ!といつも愚痴一つ言わない。

彼女は都内の一等地にお店を持っていたが、この不景気と病にかかりお店を閉め、今では持っていたマンションも競売にかけられ、親一人、子一人生活保護をうけながら隠し持っていた貯金を崩しながら細々と生活をしている。

たいちゃんは、二年前に養護学校を卒業した。
私にとっても可愛い甥っ子のよう…私も是非とのお誘いから卒業式に出席校長先生から卒業証書を戴いた彼の姿、彼がステージ上で、「大学にも行きたいけど…(早稲田大学に入学してハンカチ王子と野球をしたかったから)これから一生懸命働いて、お母さんに色々と買ってあげたいです!」 
彼の優しさ、純粋な心、野球をしたくても、大学には、もちろん入学出来ないし…でも彼は一生懸命頑張れば何でも出来ると頑な位信じている…その気持ちを想う時。私は、涙が止まらなかった。

そして、この二年間は就職活動をしていたが思うようにはいかず、彼女は、苦しい中、障害者向けの民間のスクールに通わせながら彼に色々な事を経験させ少しでも、彼が就職出来る事を祈っていた。

そんな彼女から先日、電話があった。明らかに、いつもの彼女の声とはトーンが違う。

彼女は第一声、「たいせいは、人間じゃないの?私達生きていてはいけないの?」 
私は、ただならぬ何を感じた。

聞くところ、たいちゃんに三件就職の話しがあって、この二年前、綺麗好きで勤勉だと言う事でスクールが就職先に紹介文を書いて下さった事もあり申し出があったそうだ。
しかし、私はその内容に驚愕し…暫く声を失った。

採用の内容について、土日祝日は休み、9時〜5時勤務、時給は「7円」
私は耳を疑った。思わず…
えっ、な、な、7円?
お弁当は持参はNG会社で200円。社会勉強として毎日、会社に500円を支払うと言う内容。
一日働いて時給、7円で9時〜5時7×8=56円 
お弁当が200円+500円 

一体どんな計算なんだ!(`□´)┘

一ヶ月働いたらマイナスどころかプラス… 。言葉は悪いが、囚人以下

そして、彼が働けば彼女は扶養家族となり、今住んでいる公団も、生活保護もカットとなる。
私は…何にも言えなかった。
彼女は、「働かない方がまし?って事でしょう?…でも、それも私に健康と不老不死の薬があるか、あり余るお金があってこそでしょう?…」

巷では、かんぽの宿を一万円で…。儲けはうん千万円!   狂ってる! 

他の二件の採用先は、6円 。  そして、6円5銭。  5銭って…何?…って聞かれて…  私は無言だった。

会社側に、彼女は条件が余りにも…と詰め寄ったが…。「あなたの御子息に、働く場を提供しているんですよ〜他にも是非…と言う方はいっぱぃいますので…もし条件が合わないなら、申し訳ありませんが、ご縁がなかったと…」と言われたらしい。

7円って…今時 何が買える?…
丸々7円×8=56円。だって一ヶ月いくらになると言うのだ。

母親を扶養する事さえ出来ない。
もちろん、彼女は、彼に扶養される事など考えてもいなかったはずだし…彼女は、せめて、自分が生きて行ける位はと考えていたに違いない。
こんな、冷たい残酷な現実がある。

Rも障害はある…考えたら本当に自分に言われたような気持ちになった。
(※Rは、日記をUPされた方の子供さん)

彼女は…、迷惑をかけまいと、ご主人が残した借金を返済し、そんな中で、たいちゃんを一人身で育て頑張ってきたのに…。
もちろん、感情論だけで話しをしてはいけないと思う。

でも…どうして?
彼女が電話を切る際、「以前、私が逝った後身元保証人にと、あなたに頼んだけど…。私が逝く時はたいせいも一緒になりそうだわ」

涙も出ない程、この現実に私は震えた。
そして、何も出来ないがこんな現実を皆さんに、知って欲しいと思った。
何も出来ないかも知れないけど…皆さんに、話す事で少しずつ、何かが変わるように…、変わってくれたら…と。

そして、障害は、誰にだって起こり得る事…ある日、突然、子供が、孫が、伴侶が…親が…。特別な事ではない。

重たい内容になりましたが…知って欲しかった。知る事こそ、流れを変える第一歩だと思ったから…。

知らない事が良い事もあるのかも知れない。でも…皆、繋がっている。正直、私も今は何も出来ない…でも知った事で

「あらぁ〜大変、そんな事があるんだ〜。まぁ〜私には無関係だわ〜」とは少なくとも思えなかった。
その事実をせめて、皆さんに実際にある事、なんだと話さなくてはならないと思った。

いつもの、ほんわか日記ではなくてごめんなさい。
長々、お付き合い下さってありがとうございます。
余りにヘビーな内容だけに…スルーして下さっても構いません。
読んで戴けた事に、感謝
ありがとうございます。

  以上です。
2009年1月27日(火)
 開運節分祭 終了

法要後、僧侶による豆まき
袋に入った豆と飴、50円玉もあります。
25日()恒例となった「開運節分祭」が開催されました。
当日は、水行の桶に薄氷がはった寒い日でしたが、お天気には恵まれ、250名余の方々にご参詣頂きました。

午前9時30分か節分祭大法要、10時30分から境内にて水行。その後、個別祈祷、豆まきと続きました。
本年は、昨年よりも多めに、豆、飴などを用意しましたので、お持ち帰り頂けたと思います。

今回で7年目の参加となる女性の方が、日記を書かれていましたので掲載させて頂きました。

さて、節分会ですが、朝の9時半から、節分大法要、10時半から修法師水行、11時から個別祈祷があります
私達はいつも、修法師水行から見に行きますが、この寒空の下、お経を唱えながらの水行は、何度見ても、かなり寒そうです((((・д・;))))
ご祈祷の為の気合い入れですが、みなさん、本当に凄いです(>_<)

その後、自分達の個人祈祷の時間まで、先に終わった方達の豆まきを楽しみながら順番待ちです♪♪

さてさて、やっと私達の祈祷の番が来ました♪♪

毎度毎度の事なのですが、御本尊の前で、数名のお坊様にご祈祷をしていただくのは、やっぱり迫力がありますねぇ〜

しかも、最近の私は感受性が強くなってしまったのか、お経が体の中に響き渡り、何か大きなエネルギーが沸き上がってくるのです!!
毎年受けていますが、今年の節分会の祈祷は、感覚が全然違いました・・・・
しかも、祈祷中に、お経を唱えながら一人一人の体の中にエネルギーを入れていくのですが、私の時には偶然(必然??)にも、「○○如来」の名前を唱えた時だったのですΣ(ー◇ー。)
心の中で、 「私の時だけ仏様の名前だよ〜」
と、びっくりしながらも、有り難い事だと、感謝です!! ってか、最近の自分を思っていると、「必然」ってマジで怖い!!と思ってしまいます(笑)

何から何まで、繋がってるし、計算されてるし、準備されてるし・・・・
やっぱり今は、「○○○改造計画中」 なのだと、つくづく思いました<(__)>

ふと読んだ本や、何気なく買った本に、これでもか!!と、言うくらい、同じような事が書いてあったり、今思っていた事や、悩んでいた事が、これまたタイムリーに書いてあるんですよねぇ(´・ω・`)
素晴らしい必然です・・・・

まさに、見張られている、常にチェックされている感覚(笑)
悪い事はできないなぁと思いましたよ、ほんと( ̄^ ̄)y-~~
私達って、本当に、「生かされて」いるんですねぇ〜

肉体とは、ただの器 が、器に入っているが故に、感じ、考え、行動する事ができる・・・・
そして、全ては繋がり、交わってゆく・・・・
私達は生かされている
私達は育てられている
そして、私達は守られている
なんとなくですが、、今日はそれが解った日でもありました!!
 

尚、文中、○とした部分がありますので、ご了承ください。

今年の福引は、総代さんのKさんからの提供で、ニンテンドウDSiという最新のゲーム機でしたが、なかなか当選者が出ずに、「本当に当たりって入っているの?」と子供たちに言われたそうですが、最後にNさんが見事に当選され、福引担当者の方は、「当たってくれて良かった」と一言。

今年も大勢の人たちに、特に子供たちに仏縁が結べたことや、開催できたことに感謝です。
皆さんありがとうございました。


当日のスナップをUPしました。

ご祈祷後は、皆さんに豆まきをして頂きます。
1回行うと、楽しさが忘れられません。

ご祈祷は、少人数で受けて頂きます。
木剣(ぼっけん)という、日蓮宗修法の
独特な祈祷法で行います。
2009年1月12日(月・成人の日
 成人式

一緒に記念撮影をしました。
今日は、成人式でした。
全国で、133万人の新成人が大人の仲間入りをしました。この人数は、1968年以降では最も少ないとのことです。

午後から、成人式を終えた檀家の娘さんが、本堂(ご本尊様)に成人を迎えられたことに感謝の報告に参詣されました。

TVのニュースでは、毎年成人式で暴れている様子が流されていますが、あるPTAの方との会話で、本当に祝ってあげたという気持ちで行っているのか、いささか疑問であるということです。
義理や義務、形式だけであれば、当然、素直にはなれない、反感を持つこともあるかもしれないと言うことです。
一方的に、若者が悪いと言う前に、本当の大人が考えることが多々あるのかもしれません。

ともあれ、新成人の皆さん、おめでとうございます。
これからは、責任ある行動と、大人としての意識を持って下さい。
2009年1月2日(金)
 新年盛運祈願会(元旦開催)

無病息災を願いお屠蘇を召し上がって頂きます。
晴天に恵まれた元旦は、初日の出も綺麗に拝むことができ、朝勤時には本堂内に日の光が差し込み、すがすかしい年明けとなりました。

元旦正午から、恒例の新年盛運祈願会が開催されました。普段は、なかなかお寺に来られない方々も、この日はご家族で参詣されますので、毎月の盛運祈願会とは異なり、大勢の方や懐かしい方もお越しになられます。特に、今年は、例年になく多くの方が参詣されました。
 皆さんとご一緒に読経唱題し、この1年間の安泰と世界平和を祈りました。もろろん祈るだけではなく実際にどのような思いや行動が大切かを、引き続いての法話でお話をしました。

その後は、住職から一人ひとりにお屠蘇を召しあがって頂き、新年のご挨拶と無病息災をご祈念しました。
高校生以下の子供たちには、つかみ取りのお年玉をプレゼントしました。

このような混迷した時代ゆえに、ますます祈りの大切さと、しっかりとした価値観を持つこと、また、この時代に生きることの意味を再確認して頂き、この1年間のそれぞれの願いを誓い新年盛運祈願会を終えました。
1月25日には、平成21年開運節分祭も開催されますので、是非、ご参詣頂きますようご案内します。

つかみ取りお年玉は、子供たちにとっての楽しみです。
2008年12月25日(木)
 唱題行脚(しょうだいあんぎゃ)

身延山総門を通過中。
23日〜24日と、長男がお世話になっている日蓮宗宗立の学寮生たちによる、恒例の年末「霊跡地唱題行脚」が、今年は総本山身延山を中心に開催されました。

毎年、この時期に開催されているようで、1年〜4年までの総勢50名以上の学僧たちが参加していました。お題目の旗を先頭に一列に並び、お題目を唱え団扇太鼓を叩きながら歩く姿は迫力あります。
日蓮宗の行脚姿は独特なものがあり、昔からの定番です。私も、若い頃は、特に冬の寒修行にはよく歩きました。

学生たちの行脚ですから、スケジュールもハードで日程をみると、身延駅から身延山まで歩き、山内を参拝。翌日は、奥の院へ登詣し、下山は裏参道(追分経由)を通り、さらに身延駅までというコースでした。

行脚中に、配布する教箋から引用すると
『私達は・・・・・
 日蓮宗宗立学寮(立正大学1・2年は東京都堀之内。3・4年は東京都谷中)の学僧で御座います。昼は立正大学でお釈迦様の説かれました衆生救済の教え・法華経とその法華経弘通に命をかけられた日蓮聖人の御心を学び、僧風学寮に於いて仏道修行をさせて頂いています。
その修行の一環と致しまして、日蓮聖人の歩まれました静岡県伊豆、千葉県安房小湊、新潟県佐渡、そしてご当地、山梨県身延山の御霊跡を4年間で参詣させて頂いています。
 若輩浅学でまだまだ未熟な私達で御座いますが、唱題行脚の実践により少こしでも自己を向上させ、一人でも多くの方々に法華経・御題目を弘め、皆様のお役に立ちたいと念願致しております。 合掌」とありました。

若いからできる修行の一つです。2日間、大きな声でお題目を唱え、太鼓を叩きながら歩く・・・町の中では、なかなか出来ないことです。
それぞれ参加した学僧さんたちには、良き経験になったことと思います。

このままの姿勢で歩き続けたそうです。
本人にとっては、初の長時間でしたが、
けっこう楽しかったようです。
2008年12月7日(
 年末大掃除と破魔矢
今日は、午前中、毎月定例の盛運祈願会が開催されました。

午後から、例年ですと第3日曜日に行っていた”年末大掃除”を行うことにしました。あらかじめ皆さんにご奉仕を呼び方たのですが、前日までは10名程度しか申し込みがありませんでした。しかし、始まった時には30名弱の方がお手伝いされました。
 例年とは日時が変わったので、都合がつかなかった方もおられましたが、新たに加わった方もおられ、昨年より多い人数となりました。

お掃除は同じ人が、同じ場所を行うより、時には違った方が行うことで、意外な場所がきれいになるということもあります。

又、迎春準備のひとつである「破魔矢」作りを行いました。普段は、完成されたものを頂くだけのものが、実際に自分で作ることで、まったく違った価値観となります。それもいい経験かもしれません。

本来ならば、終わった後で、お疲れ様会を兼ねて、懇親忘年会でもと案内し準備をしたのですが、なにしろ予定より、早く掃除が終わり、さらに全員の方にもということで、食事会ということになりまた。
これはこれで、次回の為の良い参考になりました。

まだまだ、新年に向けての準備はたくさん残っていますが、大掃除が終わったことは、気分
的にも楽になりました。
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