言いたい放題!気まぐれ日記 その6(平成23年1月1日〜 )
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 2011年11月6日(
 お会式法要・・・お寺って?
 本日、日蓮大聖人ご入滅お会式法要(おえしきほうよう)を営みました。
分かりやすく言うと、日蓮宗の宗祖である、日蓮聖人のご命日法要(一般では、ご法事)です。今年は、第730年となります。宗祖の場合は、年回忌と表現せず、ご遠忌(おんき)と言います。
又、日蓮宗は、この法要をお会式(おえしき)と呼んでいます。

全国の寺院では、10月〜11月にかけて営むところが多いです。でも、聞くところによると、お盆やお彼岸の先祖供養法要に比べ、参詣者が極端に少ないと嘆いておられる寺院も多々あります。
これは、お寺に対する認識が、葬式や法事を営むことが優先され、宗派や宗祖のことには関心がほとんどないのが現状だと思います。

たしかに、僧侶は○○宗と名乗り、宗祖のことも学びます。宗派には教学がありますから、時代や、住職は変わっても、寺院や宗派は存続していきます。

しかし、一般の方は、かなり熱心な信仰心がない限り、ほとんどの場合は、家の宗旨宗派のことは伝わっていません。父が子へ伝えない限り、又、その父も祖父から聞いていなければ、単に仏壇があったとしても、その意義すら分からず、まして、菩提寺のことも、それ以上のことなど知るはずがありません。
これが、今日の世情ではないでしょうか。

ゆえに、寺院で営む、宗粗のご命日法要に対しても関心がないのは仕方ありません。
しかし、本来は、宗祖がおられ、今日の教えがあり、宗旨宗派があるのですから、まずは報恩感謝の誠を表わすのは、最大一でなければならないと思うのですが、現実はそうなっていないのです。
やはり、これも寺院側の責任であると思います。
もちろん、檀信徒一丸となり盛大に営んでいる寺院もあります。そういう寺院が増えれば、世も変わると言えましょう。


ある寺院の話です。
会計士が帳簿をチェックしていて、住職に、赤字の出るような行事は止めたらどうですか?と言われたそうです。
その住職は、ああそうですね。ならばと言って開催を止めた行事が、このお会式や、守護神祭だったそうです。

会計士は、的確に指摘したのでしょう。
しかし、これって金銭の問題なのでしょうか。
儲からないから止めてしまうのは、ならば信仰心はどこへいってしまったの???

そこに神仏がおられるという信仰心がお寺の根幹をなすものであり、信仰の原点となるところです。
宗粗のご命日法要や、ご守護神様の報恩法要位は、住職自身が布施をしてもいいのではないでしょうか。いや、むしろするべきです。

しかし、こんなことを言っているおまえは甘いと言われそうです[m:79]

たしかに、信仰と寺院運営の在り方は難しいです。

しかし、お坊さんや、寺院から信仰をとってしまったら・・・・・・なに?


写真は、法要と法話(服部巧顕師)
 2011年10月23日(
 「ワンネスの祈り」セッション
 約2年ぶりに、本堂でセッションを開催しました。
今回のセッションは、7年前から5年間にわたり、毎月開催していた「ディクシャセッション」を2年前に中止しました。この間、述べ900名以上の方が参加されていました。
中止の理由は、ディクシャの世界を運営する上層部が分裂してしまい、結果、私としては、もうどちらも関係ないということで、しばし、ストップしたということです。

しかし、その間にも、時代はどんどん変化し、また、再開を希望する方も増えてきたので、ならば、今までの経験を活かし、以前よりも、パワーアップして再開ということにしました。
タイトルは「ワンネスの祈り」セッション。

ワンネスという言葉は、HPでも紹介していますが、もう16〜7年前から、用いていた言葉で、グループもありました。今度は、言葉(観念)だけでなく、現実として、クロスさせていくということです。

私自身の宗教者(お坊さん)というスタンスは変わりませんが、お寺の法話では話せないような世界、又、精神世界、スピリチュアルな世界でも話せないようなことなど、それぞれの枠を超えて語っていきます。
そして、なんと言っても人生そのものが好転しなければ意味がありません。日常生活に即した、さまざまな苦しみ、不安、恐怖、葛藤、人間関係etcの改善。又、神仏への祈り感謝など、まずは、チャクラ瞑想を取り入れながら始めました。

当然、これからも多くの人々を通じ体験や経験をしていくことでしょうから、内容もそれに即してUPしていきます。

語るには、聞いてくれる人が必要です。尋ねる人がいるから、語れるのです。

そんな訳で、10名の皆さんが参加され、お話、第1チャクラ(写真)の瞑想、そして個々の瞑想を行い、茶話会では、和気あいあいに楽しんでいかれました。

来月も開催しますので、カレンダーをご覧ください。

 2011年9月27日(火)
 第1回授職潅頂妙戒授与式
(じゅしょくかんちょうみょうかいじゅよしき)
           
      
9月23日、お彼岸の中日に、法筵寺初めての授職潅頂妙戒授与式(じゅしょくかんちょうみょうかいじゅよしき)を、今回、申し込みされた24名の方々に対して行われました。儀式の題名が難しいですが、内容は、生前にいわゆる戒名(日蓮宗では法名といいます)を授ける、授かるということです。戒名と言えば、亡くなったからというイメージですが、本来は、仏教徒として、お釈迦様や宗祖の教えを信じ、日々の生活に活かし実践していくことを誓う、誓いの儀式に授かるものが、戒を保つので、戒名であり、日蓮宗では妙戒といいます。今回、長年の念願でありました当山での、この儀式を行うことができました。

 申し込みされた方、70歳以下の方には妙戒の二文字、それ以上の方には九文字法名を事前に確認して頂き、本人が納得できる法号を授与致しました。儀式は、宗義に則り潅頂式、誓言、妙戒授与之証、法筵寺特製タスキ授与等、厳粛なる中で執り行いました。当日、受持される方は、正装や行衣等で望まれ、私自身もこの日の為に、さまざまな準備と心構えをして臨みました。

この儀式は、毎年、秋のお彼岸に行います。もちろん今までにも個別には行ってきましたが、一堂に会して行うことにも、とても緊張感があり、皆さん心身ともに誓いを新たにされたことと思います。


  
 201年8月22日(月)
 第34回七面山団参
(美容と健康・・・・・という団参)
 

8月20〜21日、毎年、恒例となった、山梨県にある七面山(1980m・日蓮宗の信仰の山)へ、登山団参を、28名の参加で行いました。

2日間とも、あいにくの天候でしたが、傘を必要とするまでもなく、丁度、ミスト状態の中にいるようで、気温も16〜7度で、むしろ快適でした。

例年は、暑さの中で、大量の汗と体力の消耗が激しかったのですが、それも全くなく、いかに暑さが肉体に於けるダメージが大きいのか改めて感じました。

もちろん、そんな状況でしたから、景色はまったく見えず、一面霧状態で、真っ白です。
初めての人もいましたが、景色の説明しようがありませんでした。

4時間位かけて登山するので、適度な運動と汗、天然のマイナスイオンとミスト。仕上げは、下部温泉でしたから、10歳以上は若返ったでしょう。信仰のお山ですから、神仏に感謝や願いの成就はもちろんのことですが、今年は、「美容と健康」がおまけに付いていました。と最後にご挨拶しました。

参加者のみなさん、お疲れ様でした。

次回からは、開催時期を大幅に変更すべきと思わざるを得ない体験でした。
 2011年8月8日(月)
 〜てらこや〜(夏休み親子の集い)
 
 
 昨日は、毎年恒例となった「夏休み親子の集い〜てらこや〜」を開催しました。

今年は、従来までの方法を、縮小しての開催となったのですが、なんと言っても、参加してくれる子どもが少ないということ、小学生以下の子供は多くいても、”てらこや”に参加出来るような子が少ないのが現状です。そして、お手伝い頂ける、お父さんたちが、例の木・金休日になったことで、日曜日がお寺に来られない。などです。

毎年、本堂で行う行事は、日蓮宗名古屋青年会の皆さんが7〜8名も来られていたのですが、参加者が少なくては申し訳ありませんのでお断りしました。

屋外でのバーベキューや、流しそうめん、プールなども、活躍して頂けるお父さんたちがいないので、中止。

だからと言って、やめてしまうのは簡単ですが、僅かでも参加する人がいる以上は開催すべきと、原点に戻り、私と弟子で行いました。

本堂では、弟子が担当して、合掌の仕方、数珠の扱い方、太鼓のたたき方など、そして、お釈迦様のぬり絵を行い、おやつには、綿菓子や、チョコレートタワーで、好きな食べ物をチョコレートで包み楽しみました。
最後には、大人も子供もビンゴで、景品をゲットして頂き、今年の〜てらこや〜は終わりました。

長年同じパターンで続けることも大切ですが、それぞれが慣れてくると惰性になり、時には変えてみないと新鮮さや緊張感が失われます。

今回は、そんな意味でも、いい勉強になりました。その時々の方法とアイデアで、楽しむことです。


参加者の皆さんお疲れ様でした。
 2011年7月17日(
  家族葬・・・・・に思うこと
 
   ご葬儀について思うことを一言。
今、巷で流行っているのは、いわゆる家族だけで葬儀を行う「家族葬・かぞくそう」があります。

いいとか悪いとかという問題ではなく、それぞれの家庭事情によりニューズにあえば、いいのだと思います。
具体的には、身内だけで亡き人を送るといもので、遠い親戚や、友人、知人、町内、会社関係も呼びません。中には、坊さんや宗教者も呼ばないというものがありますが、これは別としてます。

ともあれ、亡くなった方が、ご高齢であったり、長年入院や施設などにおられ世間的なお付き合いがほとんどなかった場合、身内だけで葬儀をおこなうというものです。
大きな会場で、数名の参列者ということも珍しいことではありません。

しかし、中には、現役であったり、家族に多くのお付き合いがあったりする場合でも、家族葬で行いたいというケースがあります。
理由は、様々ですが、「こじんまり送りたい」「派手にしたくない」「家族だけで」又、葬儀料を抑えたいとか金銭的な理由もあるでしょう。

いずれにしても、そのような希望をされる場合がありますが、こんなケースは、避けた方がいいでしょう。それは、亡き方が生前中、交友関係が多かった。様々な役職にあった。町内の人気者であったなど。又、家族の方に地位がある。仕事関係の絆が深い・・・ともかく、人間関係を円滑にしておきたい方は、家族葬は、あとで面倒なことになる場合が多いということです。
要するに、亡き方は、遺言や希望で「家族だけで送ってくれ」と本心なのか謙虚なのか言います。
しかし、実際に葬儀をするのは残された家族です。
家族だけで葬儀を終えた後、そのことを知った友人、知人、会社関係等、バラバラと次から次へと「お線香を上げさせて下さい」と断る訳にもいかず、来る人に説明し、お茶を出し、香典返しを考え・・・・もう気が狂いそうということになります。

中には、それでもどうしてもというケースがありました。
ならば、通夜、葬儀、初七日忌までは家族だけで、翌日、改めて皆さんをお呼びする葬儀を行いました。ナント700名近い方が弔問に来られました。もし、その方々が全員でなくても、その対処には、想像を絶します。まして、葬儀後お会いする時、どんな挨拶をしなければと考えるだけで大変です。

そんな訳で、ご葬儀はケースバイケースですが、生まれてきた時、みんなに祝福されて誕生したのです。そして寿命が尽きるまで多くの人と接し、互いに感動と愛と学びを共有したのです。ならば、最後も皆さんに感謝してこの世を去るべきです。

だれも呼ばす、家族だけで、ある意味、謙虚そうですが、仏教には卑下慢(ひげまん)といい、増上慢(ぞうじょうまん)の反対語があります。自分自身を必要以上に卑下してはいけないのです。
立派に人生を生きたのですから、最後は、有終の美を飾りましょう。多くの方に送られて旅立つことも大切なことです。

そのためにも平素より、家族で話し合うことも必要なのです。
そんなお手伝いもするのが、私の使命です。

 
 2011年6月21日(火)
  お盆を迎えて
  
 久々に日記をUPしました。
前回は、4月4日でしたから、随分前になります。
その間、宗門の役職も変わり、宗務所副長も無事4年間勤め、5月からは名古屋管内の、日蓮宗寺院住職が選挙を行い、7名の協議員を選出するのですが、ナント、トップ当選をしました。自分でもびっくりです。
そんな訳で、名古屋宗務所の副議長となり、又、修法師会の副会長、声明師会の顧問にカンバックもし、現在に至ります。
 さらに末娘も、大学を卒業。社会人となり、国民健康保険も私と家内だけ、扶養家族も家内だけとなりました。

さて、間もなくお盆を迎えますので、
7月号の「法筵寺だより」のご挨拶を掲載させて頂きます。

 東日本大震災から百日以上が経ちましたが、政治も含め様々な影響で復興が進みません。被災された方々には、一刻も早く平常なる生活に戻れるようお祈り申し上げます。

今年もお盆の時期となりました。大震災では、多くの犠牲者や未だ行方不明の方もおられますが、7月3日に営みます盂蘭盆会施餓鬼法要では併せてご回向申し上げさせて頂きます。

法筵寺では、お盆・彼岸には施餓鬼法要を営み、皆様よりご先祖様や亡き方にお塔婆供養などお申込み頂いています。この功徳については日蓮大聖人も随所に示されていますが、特に、ご先祖様や亡き方に対して感謝する、その心を形に表わしたものが、塔婆供養であります。

私たちは、日常、様々な記念日やお礼など、心を込めたプレゼントをします。それと同じで、ご先祖様や亡き祖父母、両親、お世話になった方に対して、法要を通じ、感謝の心をお塔婆供養としてお届けさせて頂いているのです。プレゼントを頂いて嫌な人はいません。まして法華経、お題目の功徳の込められた贈り物です。もし、あなたの子孫や友人から、そんなプレゼントが届けられたらどんなに嬉しく、絆が深まることでしょうか。まだ、ご回向お申込みでない方、是非、この機会に、お申し込み下さい。又、何卒、ご参詣ご焼香頂けますようお待ちしています。
  
2011年4月4日(月)
 ”ひとつになろう”ではなく”ひとつ”


今年も境内の、しだれ桜が開花しました。
昨日は、お釈迦様の誕生を祝う「花まつり」を営みました。 
境内の、しだれ桜も徐々に開花し始め、やっと春らしくなってきました。 

昨日、皆さんにお話した内容の一部です。 

”ひとつになろう日本”というキャッチフレーズで、今、日本中が復興に向けて動いています。 それは、それで素晴らしいことです。 

しかし、一方では、日本全体が自粛ムードになっていることも事実です。 
多くの人々が自粛を呼び掛けています。TVのニュースでも取り上げられています。 
もちろん、自粛がいけないという訳ではありません。節電することも大切なことです。 
無駄なことは、すべきではないでしょう。 
でも、それによってかなりの影響を受けている人も大勢いると思います。 
そして、いつまで自粛をしたらいいのかという、それも定かではありません。 

そもそも、”ひとつになろう”ということですが、たしかに、こんな時にはひとつになるべきです。 
しかし、本当は、はじめから”みんなひとつ”ということを何度も言ってきました。 

もともと、ひとつなのですが、意識を高揚するために、”ひとつになろう”の呼びかけは分かりやすいかもしれませんが、そうではなく、”ひとつである”ことを思い出せばいいのです。 

例えば、日本全体を、ひとつの身体、自分の身体に例えてみたとき、身体の一部分が、重症な傷を受けた状態としましょう。それが、今回の大地震とした時、たしかに、その部分は、相当なダメージを受けています。 

しかし、それ以外の所は無傷で、なんら痛みはありません。 
入院するような状況であっても、全身のダメージはあっても、それは一時的です。他の器官や部分は、すぐに平常通り、食べたり、運動したり、本を読んだりと、むしろその傷を早く癒すために、栄養を取り、改善するための環境にしていきます。 

そのように考えると、たしかに、一時的に全体的ダメージは受けましたが、時間とともに、無傷の所や改善された所は、どんどんと前向きに進んでいかなねばなりません。そして、そのエネルギーをもって傷ついた所を癒していくことが大切ではないでしょうか。 

ひとつになろうではなく、ひとつであることを思い出すことで、すべての痛み悲しみも共有していることに気づくのです。そして、亡くなられた方も、実は自分自身の一部です。 
そのように思った時、新たなる思いが起きてきませんか? 

今、自分のできることを坦々と行うこと、意識して行うことが大きな力になるのです。 



右手を天に向け、左手を地に向け「天にも地にも、我、ひとり尊し」と言われましたが、すべての人々が尊き存在であると言われたのです。
2011年3月6日(
 送別お茶会
今日は、毎月の行事「盛運祈願会」でした。

法筵寺では、参詣された方には、昼食をお出ししています。
作るのは、家内の母親、そして、写真下に写っている若き女性達です。中学生になると配膳や食器洗いなどのお手伝いをお願いしています。

今回、10年以上お手伝い頂いていた、愛知県一宮市のM寺の長女T子さんが、めでたく結婚されることになりました。しかし、とても遠方のお寺に嫁がれるので、今日、一緒に奉仕して頂いた皆さんや有縁の方と、送別のお茶会を開きました。

長きにわたり、お手伝いを頂き、とても感謝しています。
4月からは、また、それぞれに就職や進学とスタッフも変わりますが、新たに数名加わり、皆さんに奉仕していきます。

T子さん、誠にお疲れ様でした。又、おめでとうございます。

2011年2月25日(金)
 サイパン・テニアン島 慰霊法要
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慰霊法要
0日より24日まで、サイパン・テニアン島にて慰霊法要に参加してきました。 

今から、15年前(平成8年)、法筵寺の檀家総代(現在は違います)だったO女史が、私財を投じて、戦争犠牲者の慰霊と世界の平和を祈念して、サイパン・テニアン島に、全長7Mを越す「太平洋戦没者慰霊平和塔」の石塔を建立しました。 
その建立から、法要に至るまで全般にわたり、私が大会長として関わることとなりました。 

平成8年は、2月から式典の行われた11月まで、毎月、現地に赴き、地鎮祭、完成開眼式、そして、慰霊法要と行ってきました。もちろん、多くのスタッフの協力を得てのことです。 

その時の法要式典には、日本や海外から、宗門の来賓など、僧侶100名、檀信徒や有縁の人々250名が参加した、とても規模の大きな式典で、法筵寺からも、30名余の方が参加されました。 

なにしろ、テニアン島には、セスナ機しか飛んでいない所へ(今でもそうですが)、350人を運ぶにはと、150人乗りのコンチネンタル航空のジェット機を2機もチャーターしたくらいで、島でも初めてのことだそうです。 

当日は、台風の影響で、日本を発つにも1日遅れで、準備もままならない中、しかし、奇跡的に、350名が島へ渡り、法要を行い、全員がサイパンに帰る間、5時間の間は雨も降らずに無事終えることができました。後で詳しく状況を聞けば聞くほど、奇跡としか言いようありませんでした。 

しかし、奇跡を信じ、必ず成功させるという、その発端となった、信念を持って臨むことができた理由があったのです。 
そのことは、次の日記に書きます。 

今回は、その当時、関わっておられた僧侶の方が、なんとしても再度、慰霊法要・平和祈願を行いたいとの熱烈な希望で開催されました。 
今回は、僧侶50名、檀信徒20名の参加でした。 
わたしは、一参加者としてでしたが、当時のことを、始まる前に皆さんにお話しする場を設けて頂けたので、皆さんも改めて思いを一つにされたと思います。 

又、テニアン島は、広島・長崎の原爆を積み込んだ場所でもあります。 
今は、その場所をドームで残したあります。周囲の戦場跡は、まだそのまま残されていますの、実際に自分の目で確かめることで、思いが変わるかもしれません。 

また、いづれ訪れる日があると思っています。
 


参加全員での記念写真
2011年2月25日(金)
 サイパン・テニアン島 慰霊法要-2 テニアンの奇跡


今も残る戦車
※この日記は、前の日記と関連しています。 

それは、今から15年前(平成8年)のことです。 

私のお寺(法筵寺・ほうえんじ)に、当時、檀家総代を務めておられたOさんという、信仰熱心な女性がおられました。 

そのOさんが、ある時、太平洋戦争で犠牲となられたすべての方に、僅かでも慰霊の気持ちと、今日あることの感謝、世界の平和を祈りたいと発願(ほつがん)されました。 

そのことを、私に相談されたのですが、私には、経験も財力もありません。 
しかし、なんとしてもそのことは成し遂げたいとの深い思いをもたれ、私もならばと、どうなるかさえ分からないまま、その計画を進めることになったのです。 

話は、どんどんと進み、1月には、当時のテニアン島の市長と場所が決まり、2月には初めて現地へ行きました。そこは、南太平洋に面した、常に風がやむことのない、日本軍が最後の砦として追いつめらた岸壁の前でした。 
もちろん、その洞窟には、当時の鉄カブト、スプーンなど、そのままの状態でした。 
初めて目にした時は、かなりのショックを感じました。 

一方では、その場に、建立する石塔のデザインや規模も徐々に決まりかけていましたが、あのような大きな一枚板の石が簡単に手に入ることなど考えられませんでした。もちろん、台座等も、日本から運びしました。 

さて、いよいよ4月30日に地鎮祭を行うこととなり、その時、すべてが決まったと思いました。 

私と3名の僧侶、そしてOさんと、日本人3名、現地の市長と秘書だけで、地鎮祭(じちんさい)を行うことになりました。地鎮祭は、その場を清める供養と、神仏に無事、円成を祈ります。 

供養をはじめて、しばらくたった時、突然、同行した日本人男性(ちなみに信仰心はありません・宗教には無関心です)が、私たちの横に、立ち上がり、「我は○○なり、もはやこれまで、天皇陛下万歳!」と敬礼して、猛烈な勢いで、塔婆(とうば)をつかむと、日本刀のように振り上げて、まっすぐに全力疾走していきました。 

前は、葦のような草が、身長程の高さで覆い茂っています。しかも、とても固いです。 
やがて、そのままの状態から、飛び上がったと思いきや、その茂みに倒れていきました。 
まるで、敵に向かっていく兵士そのものの姿であります。 

その間、お経を止めることなく、そのなりゆきを見守っていましたが、その男性が、突然立ち上がって、大きな声で叫んだ時、私は緊張感を覚えるものの、心も身体も引き締まる思いでした。 
同時に、ちゃんと伝わっているという感動も覚えました。 

しかし、次には、この男性の元に行かねばなりません。 
木鉦(もくしょう・リズムをとるもの、木魚とおなじ)を叩いている僧侶の方に、そのまま続けてお経を読んでいてくださいとお願をして、もう一人の僧侶の方を同行させ、その男性の元へと行きました。 

その時、浮かんだのは、もし、この男性に怪我一つでもしていたら、我々のしていることは歓迎されていない。即刻中止すべきと思いました。 
しかし、怪我がなければ、このまま、いや、さらに進めるべきと瞬間に浮かんだのです。 

倒れている男性は、気を失っています。 
まるで戦場の傷ついた兵士を抱えるようにして、又、あるお経を読めと浮かび、そのお経を上げながら、その男性の傷の有無を調べました。 

やがて、男性は気をとり戻し、再度、怪我の有無を調べました。すると、なんと、どこにも怪我はなかったのです。 

男性は、何が起きたのは覚えていません。しかし、私たちは当然ながら、その後の法要に対する意識は変りました。 
そして、その後は、しかるべき思いと方法で、11月の法要当日を迎えたのです。 


目に見えない世界・・・・・供養ということ。祈りの大切さ。 

多くのことを体験させて頂いたひとつです。 



本来は、とても美しい島です。
2011年2月6日(日)
 田中照代さん健闘されました。
以前、この日記でも紹介しました、車イス競技の田中照代さんが、今回、ニュージーランドで開催された、2011世界大会(http://www.jaafd.org/2011_sekai.html)にて、4種目で、いずれも3位(銅メダル)の成績にて帰国されました。 

今年の、新年盛運祈願会にも参詣されたのです、私のミスで紹介できませんでした。 
すぐに、皆さんにはハガキでご案内しましたが、今日は、そのお礼を兼ねて参詣されました。 

田中照代さんをご紹介した過去の日記は、こちらをご覧ください。
bP28、129、130に掲載されています。

ご本人は、51歳となれましたが、まだまだ現役で、次のパラリンピックも出ると張り切っています。 
今回の成績が参考になるそうです。 


田中照代さんのHP
2011年1月30日(
 平成23年開運節分祭 開催


僧侶用の豆まきの箱(今年は、袋菓子も厄年の方から提供されました)
法筵寺恒例の「開運節分祭」が無事、開催終了しました。 

お天気が雪と心配されていましたが、晴天に恵まれ開催することができました。 
お陰さまにて、今年は、例年よりも多くの方々に参詣頂き、特に家族揃っての参詣が目立ちました。 
又、この行事は、宗旨宗派を問いませんので、檀家さんや信者さんのお友達も、大勢参加されます。 

開運節分祭は、9時30分から、本堂にて僧侶6名にて節分祭法要を営み、10寺30分から、境内で、修法師(僧侶)による水行です。今年は、5人で行いました。さすがに例年より一人多いだけでも、見ている人から迫力が違いますと言われました。
その後は、個別祈祷、豆まきと続きます。 

又、お帰りの際には、福引もあり、今年のメインは、「ナイトスチーマー・ナノケア(@24,000位)」が、総代さんから提供されました。 
そして、見事に当てたのは、ご高齢のご婦人でしたが、お孫さんたちは大喜びでした。 

実行委員として、総代さんをはじめ、その家族50名近くの方が、前日、当日とお手伝い頂きますが、お手伝いを頂くことでお寺との結びつきも充実していくようになります。 

準備も大変ですが、行事を行うことで、お寺に足を運んで頂けます。その為の努力を惜しんではいけないと思っています。 

皆さんが笑顔で帰られることが一番の達成感ですね。
 


尚、スライドでもご覧いただけます。


宙を飛んでいるのは、ナント「ボンカレー」です。
2011年1月1日(
 初詣・新年盛運祈願会


今年も、門松は手作りです。

元旦、正午より初詣・新年盛運祈願会を開催しました。 

心配されたお天気も晴天に恵まれ、例年に増して、大勢のご参詣がありました。特に、ご家族揃ってのご参詣が多く、又、檀信徒でない方も、初詣としてご参詣なられ、今年1年の安泰を祈っていかれました。 

今年の暦は「辛卯・しんぼう」という年です。 
いいことも、そうでないことも、過去3年間(子、丑、寅)に積み上げられてきたことが、「辛」のもつエネルギー、すなわち矛盾や、押さえつけられてきた事柄が、上に台頭しようとする状態となりますので、今まで続いてきた状況(状態)を、断固として実行していくとなれば、それを阻止しようとするような殺傷事件があってもおかしくないとあります。 

故に、社会に於いて責任あるものは、自分の心を改めていかなければ、下から突き上げられ追求される立場に立たざるをえなくなります。 
又、それを守ろうとするには、相当の覚悟が求められますが、それを抑えるには、辛抱が必要であるとの意味もあります。 

今、世の中をみれば、近隣諸国からの問題、国内の政治不信、経済の不安定など、きりがありませんが、あらゆる矛盾や不満が、限界に達し、流れを変えようと動きがあるのでしょう。しかし、どのように変えてよいのかわからないのも現実です。 

さらに、天変地異など災害も激しさを増しています。ますます、大変な時代ですが、そういう時代に、あえて生きるということを願ってきています。それゆえ、自分の考えをしっかりしていかねばなりません。 

どうぞ、本年もお付き合いの程、よろしくお願いします。 



1月30日は、平成23年開運節分祭も開催しますので、
皆様のご参詣お待ちしています。